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周焔編(氷川編)39

 間近で見たらドキドキしたという彼女の気持ちがよくよく分かる気がしていた。誰もが憧れる、そんな周の側にいられるという今の自分が夢幻のようにも思えてくる。  周に恋人がいようがいまいが、彼を好きだと思う気持ちだけは大切にしていてもいいのではないかと思ってしまう。  例え告げることはなくとも、この甘く苦しいほどの想いを無理に葬ってしまうことなく持ち続けていたい、冰はそう思ったのだった。 「白龍……会いてえな」  会って顔が見たい。おかえりと言って、お疲れ様と言って迎えたい。そしてあの自信に満ちた瞳で不敵に笑う笑顔に触れていたい。そんな気持ちを胸に温めながら、冰は一人、周の帰りを待つのだった。 ◇    ◇    ◇  時刻は午後の十時を回ろうとしていた。  隣のダイニングからバタバタとした足音と話し声が聞こえてきたことで周が帰宅したのだと悟った冰は、待ち焦がれていた思いのままに慌てたように部屋の扉を開けた。  そこにはたった今帰宅したばかりといういでたちで墨色の滑らかなコートを手にした周と、それを受け取らんとしている真田の姿があった。 「白龍……! おかえり!」  冰は待ちきれないとばかりの表情でそう叫ぶと、逸ったような仕草で広いダイニングの中央に立つ周のもとへと駆け寄った。 「お疲れ様! もうちょっと遅くなるのかと思ってた」  まるで無事に帰って来てくれたことに安堵するように、大きな瞳を潤ませる勢いで出迎える。そんな様子に、周の方も少々驚いたようにして瞳を見開いた。 「おう、えれえ歓迎ぶりじゃねえか。俺が帰ってくるのがそんなに待ち遠しかったってわけか?」  ニヤッと不敵ないつもの笑みを瞬かせながら、周は両手を広げてみせた。まるで父親が小さな子供を抱きとめるかのような仕草だ。冰もまた、迷うことなく差し出された広い胸へと飛び込んだ。  共に暮らしていれども、これまでは一度たりとてこんなふうに互いの距離を交えることはなかったのだが、今日は違う。ここ数日、塞ぎ込んでいた気持ちや、自らの我が侭や欲張りな感情を反省する気持ち。そして昼間出会った受付嬢だった彼女との触れ合いの中で芽生えた様々な思いが、冰の中で何かを変えるきっかけとなったのだ。  周と共に居られるという現実を、今はただ喜びたいという素直な気持ちがそのまま行動となって現れたのだった。 「遠かったから疲れたろ? 本当にお疲れ様!」  胸の中に頬を埋めながらそう言って見上げてくる様子に驚かされつつも、周はとびきり穏やかに瞳を細めたのだった。

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