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周焔編(氷川編)40

「ホームシックは治ったようだな?」  周はおどけ気味に言うと、自らの胸に抱き付いていた冰の頭をクシャクシャっと撫でた。 「ほら、土産だ。あまり時間がなかったから帰り際に駅で買ったものだが、京都の八ッ橋だぜ?」  そう言いながら、クッと腰を屈めて冰の額に自分のおでこをコツンと付き合わせて笑った。冰にしてみれば思わず頬が染まってしまう仕草だが、今日は少し大胆ともいえるそんな触れ合いが素直に嬉しかった。 「えっと、その……八ッ橋ってどんなの?」  照れ隠しの為か、慌てたようにして差し出された菓子折へと視線を向ける。 「そういや香港じゃ滅多に見掛けねえかもな。日本の和菓子だが――食ったことはねえか?」 「うん、ない。聞いたことはあるかもけど、食べるのは初めて!」 「そうか。そんなに甘くねえし、なかなかに美味いぞ」 「ほんと? 嬉しいな。すごい楽しみ! ね、真田さん」  子供のように瞳を輝かせて、すっかり意識は八ッ橋へと向いている。当然のように真田とも一緒に味わいたいというその心根が実に可愛いらしくて、周も思わず笑みを誘われるのだった。 「そうだな。じゃあ一休みしがてら三人で食うか。もう夜も遅いし、他の者たちには明日にでも出してやってくれ」  そんな二人の様子を横目にしていた真田が恐縮しつつも、 「お二人とも……私にまでそのようなお言葉。本当にありがとうございます。それではお心に甘えましてご相伴に与らせていただきます。只今お茶をお淹れ致しますゆえ」  にこやかに微笑みながら下がっていった。その後ろ姿を見送りながら、 「ね、白龍。京都までってどのくらい? 遠いんでしょ?」  周が帰って来てからこのかた、やたらとスキンシップの多かったことにドキドキと心拍数を上げつつも、それらをごまかすかのように冰は饒舌に語り掛けていた。 「新幹線で二時間とちょっとだな。まあ、乗っちまえば案外すぐだ。京都には情緒ある日本の名所がたくさんあるからな。今度は仕事じゃねえ時にゆっくり連れてってやるさ」 「ほんと? ありがとう! すごい嬉しい」  冰は子供のように瞳を輝かせながら素直に喜んだ。そんな仕草は幼かった頃に一生懸命な様子でまっすぐに見つめてきた最初の出会いを思わせる。周にとってはその一つ一つが心から可愛く思えてならないのだった。 「でもさ、お昼過ぎに出掛けてって今帰って来れたってことは……向こうじゃちょっとしか居られなかったんでしょ? ハードスケジュールで疲れたんじゃないの?」 「それほどでもねえさ。今日のは商談と言っても、ほぼ顔合わせみてえなもんだったし大して疲れちゃいねえよ。それよりお前はどうしてたんだ。いい子で待ってたか?」  またも不敵な笑みを瞬かせながらそんなふうに訊く。まるで子供扱いだが、冰はこの周の自信ありげな微笑み方が気に入っていた。片方の眉をクッとひん曲げるように上げて、口元には粋を通り越して気障と思えるほどに自信を讃えた独特の笑みだ。この表情は周のクセなのか、何かにつけて目にするわけなのだが、これが何とも言えずに格好いいと思えるのだ。  むろん、他の誰かがやったら少々呆れてしまうような不敵な仕草だが、周という男にはそれが憎らしいほどによく似合う。声も低めで色香があって、この顔で――この声で――この瞳で見つめられるだけで幾度心臓が跳ね上ったことだろう。  冰はそんなことを思いながらも、訊かれた問いには存外素直にうなずいてみせたのだった。 「ん――まあね。ちゃんといい子で待ってたよ」  照れて視線をキョロキョロと泳がせる様が、周にとってもまた眼福のようだった。

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