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恋敵31

「唐静雨か――。正直なところ、名前を聞いただけじゃ最初は思い出せなかったが。その女は多分、俺の大学時代の後輩だ。取っていたゼミが一緒だったんだが、ちょうどその頃、顧問をしていた教授の昇進祝いをすることになってな。幹事として担当させられたのが俺と唐静雨だった。そういや、祝宴の会場手配や祝い品の買い出しなんかで何度か一緒に出掛けたことがあったかも知れん」 「かも知れんって……お前さんの記憶力も大したものだな」  鐘崎としては思わず嫌味が漏れるくらい呆れてしまうわけだが、当時の周の記憶にその程度しか残っていないとするならば、元恋人というのは単に女の思い込みか、あるいは都合のいい勘違いなのかも知れない。 「しかし、十年以上も経ってるってのに今頃になってこんな事態を引き起こしたってことは、どこかでお前さんと冰の婚約の噂でも耳にしたってところか。それで慌てて日本にまで会いにやってきたのかもな」  だとするならば、彼女にとっては学生時代の先輩後輩というだけはなさそうである。当時想いを寄せていた周の婚約を知って、焼け木杭に火がついたのかどうかまでは定かでないが、想いとしてはある程度真剣であるか、もしくは周当人が思いも及ばない根深さのようなものがあるのかも知れない。そうでなければ、周を飛び越えて一等最初に恋人である冰に会いに行くなど考えにくいからだ。彼に会って何を言ったか知らないが、少なからず冰が動揺するようなことであるのは想像に容易い。  とにかく周と鐘崎は、唐静雨という女の現在から過去までを調べに掛かることにした。  彼女が何故、突然日本にやって来て冰の前に姿を現したのか、卒業してからどういった仕事に就いて、暮し向きはどうだったのかなどを洗っていく。 「如何せん、機上じゃ調べるといってもたかが知れている。親父と源さんに調査を頼もう」  鐘崎が父親の僚一へと助力を頼むと、そう時を待たずして彼女の素性が明らかになってきた。さすがは各地に多大な情報網を持つ鐘崎の父親である。彼女が勤めていた会社を辞めて、この春から日本で暮らし始めていることや、以前の会社から大金の横領疑惑で追われているらしいことまでもが分かってきた。 「横領か。だとすると、あのレストランに現れた男たちはそれ絡みということか」  鐘崎は冷静に事の次第を分析していたが、周にとっては心穏やかというわけにはいかないようである。女が何故横領などという大それたことをしたのかということはともかく、何の関係もない冰と紫月が巻き込まれたという事実が腹立たしく思えてならないからだった。 「それよりも氷川、ちょっと不思議な現象が起こっているようだぞ。マカオの張からの報告では、冰と紫月は一緒に行動しているはずなんだが、GPSの位置がバラバラだ」 「どういうことだ」 「同じマカオに居ることに変わりはねえが、冰のGPSはホテルの中を示している。紫月のは街中を移動中だ」 「二人は別々に行動してるってのか? だが、ホテルを張ってくれている兄貴からの報告では、二人一緒にホテルを後にしたらしいということだったが」  兄の風がホテルに着いた時には、入れ違いで彼ららしき人物がロビーを出て行ったのをドアマンが覚えていたとのことだった。二人共元気な様子で、楽しそうに見えたことから、普通の観光客だと思ったそうだ。ただ、二人がえらく男前の顔立ちをしていたので、強く印象に残っていたらしい。

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