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漆黒の記憶31

 その夜のことだ。  周に嫁といえる女性がいないことを知って安心したらしい冰にはすっかりいつもの元気が戻ってきて、顔色もすこぶる良く、二人で和気藹々としたディナータイムを過ごした。  仕事を早めに切り上げてきた周は少々事務処理が残っていたので、風呂は別々に入って冰が先にベッドで待っていることとなった。周が上がってくると寝室のテレビがつけっぱなしになっていたが、冰の方はすっぽりと布団に包まってウトウトとし掛かっていたようだ。 「……ん、お兄さん……? もうお風呂上がったの?」 「ああ。そのまま寝ていろ」  隣に潜り込んでそっと髪を撫でてやると、冰は無意識にだろうか――両手を広げて周へと抱きついてきた。 「お兄さん、今日もお疲れ様。大好き……。おやすみなさい……」  うつらうつらとしながらも幸せそうな笑みを浮かべている。周はそっと額に口付けると、 「ああ、おやすみ」  そう言ってベッドサイドの灯りを落とした。  すぐ側ではスヤスヤと安らかな寝息を立てている。瞼を閉じてはいるが、笑みの形が残った表情は眺めているだけで愛おしい。  彼が記憶を失くしてからひと月余りになるが、すっかり周囲にも馴染み、二人の間の絆も取り戻しつつある。冰の口から『大好き』とまで言ってくれるようになり、可愛いヤキモチも見せてくれたことが嬉しくて、心が躍るようだった。  ゆるゆると髪を梳きながら寝顔を眺めていると、愛しさと共に別の欲が顔を出しそうになる。  少しだけなら――そんな思いで周はよく寝入っている唇に自らのそれを重ねた。  ほんのわずか、触れるだけのキスだ。  すると冰は瞼を閉じたまま嬉しそうに微笑みの表情を見せた。きっと楽しい夢でも見ているのだろうか――。相変わらずにスヤスヤと寝息を立てているところをみると、今のキスには気付かれていないだろう。 「――ふう……。さすがに堪らんな」  このままでは眠れそうにない。強めの酒でも引っ掛けるかと思い、そっとベッドを抜け出した。  リビングでバーボンのストレートを注ぎ、眠っている彼を起こさないようにと寝室から扉一枚で続く書斎に持ち込んでデスクの回転椅子に腰掛ける。窓の外には煌びやかな大都会の灯りがうごめいて、高楼から見下ろす景色は宝石箱を眺めているかのようだ。周はロックグラスを置くと、それらを見るともなしに見つめながらカーテンを引いた。  先程ほんの一瞬重ね合わせた唇の感触が蘇り、脳裏を離れてはくれない。あのままもっと深く口付けて、あのやわらかな髪を乱し、まさぐり、熱を重ね合わせてしまえればどんなにいいか――。  そっと――羽織っていたローブを解き、硬く熱を帯びた自らの雄に触れる。 「……ッ……う!」  そのままゆっくりと指を上下させれば、瞬時に快楽の海原へと引き込まれていった。

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