470 / 1208

漆黒の記憶34

 周はマジマジと腕の中の愛しい者を見つめながら、次の瞬間には奪い取るように唇を重ね合わせていた。やわらかなそれを押し開くように舌先を滑り込ませると、冰もまたごく当たり前のように自然な仕草で受け入れてくれる。記憶を失う前と何ら変わらぬ夫婦の口付けだ。  このひと月ほど、どれだけこの時を待ち焦がれていただろう。二人は無我夢中というように息もできないほどの激しい口付けに溺れた。 「……ッ、は……冰」 「白龍……」  ようやくと我に返ったように二人は重ねていた激情を解き、互いを見つめ合った。 「お……前、そうだ……! どこも痛くはねえか? 記憶が戻ったってんなら頭が痛えとか……どっかダルいとか……」  周は慌てて腕の中の容態を気に掛けた。 「ん、大丈夫……っぽい。どこも痛くないし」 「いや、だが安心はできん! 素人判断は良くねえ。そうだ……鄧! 鄧に診せよう。それから真田だ……! 奴らに報告しなきゃならねえ!」  周はまるで蜂の巣をつついたように右往左往して一騒ぎだ。記憶が戻ったことへの安堵感と喜びで我を失うくらいにソワソワと落ち着かず、これではまるで今度は周の方が少年に返ってしまったというくらいのはしゃぎようであった。 「真田! おーい、真田ー!」  冰の腕を引っ張って真田の自室へと向かった。 「坊っちゃま! 如何なされましたか!」  既に寝巻き姿の真田がガウンを片手に部屋を飛び出して来る。 「おお、真田! 喜べ! 冰の記憶が戻ったんだ……!」 「え! 本当でございますか坊っちゃま!?」 「ああ。ああ……! 本当だ!」 「真田さん、ご心配をお掛けして申し訳ありません。お陰様で全部思い出しました」 「冰さん……本当に……! 冰さん!」  真田も周同様興奮状態で、その目にはみるみると喜びの涙をいっぱいに浮かべている。 「坊っちゃまも……おめでとうございます! ああ、本当に良かったです!」  騒ぎを聞きつけた李や劉らも続々と集まって来て邸内は大わらわとなった。 ◇    ◇    ◇  その後、医師の鄧に診察を受ける為、階下の医院の方へと向かったが、記憶を取り戻せたきっかけについては上手い説明が思い付かない。冰は恥ずかしそうに頬を赤らめたままうつむいては口篭っているし、周もまたどう言ったものかと視線を泳がせている。鄧はひとまず冰の事務的な診察を部下の者へ任せることにし、彼を隣の診察室へと送り届けてから周と二人きりで話をすることにした。 「実はな、はしたねえ話だが……あれが記憶を取り戻したきっかけってのは――」  鄧にはごまかさずに経緯を伝えなければならないだろうと思い、自身の自慰行為を覗かれたことを打ち明ける。すると鄧は呆れることもなく、なるほどとうなずいてみせた。

ともだちにシェアしよう!