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漆黒の記憶35

「左様でございましたか。やはり焔老板(イェン ラァオバン)の愛情がきっかけとなって冰さんのお心を呼び戻されたというわけですね」  鄧としては、昼間の冰の様子からして記憶が戻るのも近いのではと思っていたようだ。 「冰さんが老板に対してのお気持ちにお気付きになられたご様子でしたので、このままもう少し強い自我が目覚めればあるいはと思っておったのですが。――そうでしたか、老板のご行為を目の当たりにして、一気にお心に掛かっていた鍵が開いたのでございますね」 「まあな……。きっかけとしては何とも恥ずかしいものだが、あれの記憶が戻ったことは本当に良かった」  周にとってはさすがに苦笑せざるを得ない痴態といえるが、鄧は決して恥ずかしいことではないと大真面目だった。 「誇れこそすれ恥ずかしいなどととんでもない! これもお二人の愛情のなせる技でございますよ。私も良い勉強になりました」 「そんなふうに言ってくれるのは有り難えが……。お前たちにも散々心配をかけてすまなかった。尽力に心から礼を言う」  周もまた苦笑ながら、良い仲間たちに囲まれている自身の幸福を噛み締めるのだった。 ◇    ◇    ◇  次の日、知らせを聞いた鐘崎と紫月が朝一番で祝いに駆け付けて来た。その手には大きな花束と例の店のケーキを今日はホールで携えてやって来たのだ。周と冰の名にちなんだ真っ白のホールケーキに真っ赤な苺が豪華に飾られた代物だ。祝いにはもってこいの紅白の立派なケーキだった。 「氷川、冰君、おめでとう! 本当に良かったぜ!」  紫月が嬉し泣きといった調子で両手を広げながら冰を抱き締める。思わず溢れ出てしまった涙を拭い、鼻水をすすりながら喜ぶ彼に、冰もまた熱くなった目頭を押さえたのだった。 「紫月さん、ご心配お掛けしてすみませんでした! 鐘崎さんも……お二人にはとてもお世話になって……香港にまで行ってくださったと昨夜白龍から聞きました。本当にありがとうございました……!」 「いいんだよ、いいんだ! そんなこと何でもねえ。冰君がこうして戻ってきてくれて本当に良かった。お帰りー!」  まだハンカチで涙を拭いながら顔をクシャクシャにして喜ぶ紫月に、冰も同様、嬉し涙と共に微笑み返した。 「ただいま紫月さん! 皆さんのお陰で帰って来られました! 本当にありがとうございます!」  はしゃぎ合う嫁たちを見やりながら、鐘崎もまた友の幸福を喜んでいた。 「氷川、おめでとう。本当に良かった。これで一安心だな」 「ああ。お前らには本当に世話になった。心から礼を言う」  紫月と冰のように大はしゃぎではないが、穏やかに細め合う男たちの瞳には心からの安堵が滲み出ていた。 「しかしアレだな……冰が記憶を取り戻したきっかけってのが俺のマスターベーションとはさすがに参ったぜ。こんなこと、医者の他にはお前らにくらいしか言えん」  ポリポリと頭を掻きながら照れ臭そうに笑う周にドッと笑いが巻き起こる。 「恥じることはねえ。最高の愛情じゃねえか」 「だな! 男としてはこれ以上嬉しいことはねえぜ。どんなきっかけより愛にあふれてるわ!」  笑顔の中、誇らしげにそう言ってくれる鐘崎と紫月に、友のあたたかさをしみじみと感じる周と冰であった。

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