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第7話

何とかいつも通りを装い、林と松野と共に昼食を終えた後、千早は一人屋上へ向かった。昼休みの始めに見た光景が頭から離れそうになく、一人になって心を落ちつけたかった。そして、放課後会う小原の前でいつも通りの自分になることができるように、気持ちを整理したかったのだ。  胸を軋ませている理由は三つ。一つは小原の右手の怪我。先ほど教室に帰ってきた小原は、クラスメイトに状態を聞かれて打撲だと答えていた。骨に異常はないらしいので別段ひどい怪我ではないのだが、やはり気になるものは気になる。 二つ目は、自分以外に見せることのなかったあの微笑みを、奥田に向けていたことだ。今まで、一度として小原が自分以外にあの表情を見せたことはなかった。それが、千早にとって唯一ともいえる、自分だけの特権だと考えていた。しかし、そうではなくなった。優しさと共に、千早以外にも振る舞われるものになってしまうのかという不安が、胸を占めていた。  そして、最後の一つは、小原が奥田の頭を優しく撫でたこと。そのとき、千早は本当に頭を強く殴られた気がした。それと同時に、気づいてしまった。本当は、自分だけがあの優しさも微笑みも大きな手も、小原のすべてを所有していたかったんだということに。また、それが叶わないことなのだということも。  一人になって、大丈夫、大丈夫、と唱えていなければ、もうこの混乱を鎮めることはできなかった。 「だいじょうぶ……」  屋上の床に転がって青い空を見る。雲ひとつない空が眩しすぎて、千早は両腕で顔を隠した。  目を閉じれば、それはそれで嫌な記憶がよみがえる。まぶたの裏では、先ほどの光景が壊れたテレビのように繰り返し流れている。  小原の上に重なる奥田。起き上がって泣き出した奥田に、微笑んで、優しく頭を撫でた。  それだけのことが、どうしてこんなに胸を軋ませるのか。理由は簡単だ。 (あっちのが……ずっと、恋人同士みたいだ)  所詮、自分は男子高校生。誰が見ても、小原と奥田の方がお似合いのカップルだ。男同士というのはこういう時にどうしようもなく辛い。千早はまぶたの裏に映る残像を消そうと、また青い空を見た。  顔から腕を外して、横に投げ出す。深く溜息をつくと、体が空っぽになったように感じた。 「……何もないもんな」  華奢で小柄な体も、なめらかな肌も、つやつやした髪も。ふわふわしてやわらかい胸も、おしりも。可愛く綺麗に笑う事すらできない。 (しかも、全く確信がない)  体育の時間にも、突き当たった壁。小原は、千早に好きだと言ってくれたことがない。  告白したときも小原は、うん、と答えただけ。好きだと何度伝えても、照れたように笑って赤くなって、頷いて。小原の気持ちなんて聞いたこともなかった。今まで、千早が小原を好きなことを伝えるのに精一杯で、正直、小原の気持ちを確認することなんて忘れていたのだ。無理やり唇も体も奪ってしまった後で、やっとそんな簡単なことに気が付いた。 「俺、ひっどいなー……」  どこまで独りよがりな恋なのか。この数か月、どうしてこんなにも舞い上がったまま突っ走ってしまったのか。今後悔しても遅いことだが、それが胸の中を占領してしまって、どうにもこの迷路から抜け出せそうにない。 (取りあえず、一回、優吾に聞かなきゃ)  俺のこと好き。どんなふうに思ってる。恋人って俺でいいの。 (……言えない)  もしも、それを一蹴されてしまったら、無理だ、だめだと言われてしまったら、千早はもう二度と立ち直ることができないかもしれない。今もぎゅうぎゅうと締め付けられている心臓が、もっともっときつく掴まれて、止まってしまうかもしれない。 「……俺の根性なし」  結局、決心なんてつかないのだ。自分が傷つきたくないだけだ。自分の中で小さなしこりとして残していた方が、派手に心を切り刻まれるよりも楽で良い。そして、そうまでして小原の隣にいたい自分がいるというのも事実だった。  寝返りを打つと、鉄格子の向こうに広い町が見えた。少し冷たい風が頬を撫でていって、千早は静かにまぶたを閉じた。 (もう、考えるの疲れた)  もともとそれ程回転の良くない頭を、今日は酷使した。少し休もうと思って小さく息をつくと、急に睡魔が襲ってきた。 (……寝ちゃおう)  少し休憩だ、と思った次の瞬間に、千早は眠りにおちていた。

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