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第12話

 気持ちを抑え込もうと決めてから一週間ほどが経過した。奥田は本当に呆れるほど小原の隣にいて、千早はそれを遠目から見ている。状況は何も変化していなかった。  変化したのは、千早の健康状態くらいのものだ。 (あー……頭痛え。喉も痛いし、洟も出るし……完全に風邪悪化してる)  小原について考えすぎて、自分が風邪をひいていることなんて気にかけてもいなかった。割と昔から体は丈夫な方で、風邪も放っておけばすぐに治ると思い込んでいた。しかし、やはり病は気からということだろうか。何となく気分が落ち込んでいると、ぶるり、と体が震えてしまう。日に日に頭痛は強くなるし、喉の痛みも引かない。完治する気配は一向にないのだ。  十分ほど前に四限目が終了し、今は昼休み。林と松野が前席と隣席の椅子を引っ張ってきて、千早の机に集まっている。購買で買ったパンを机に広げていると、教室のドアの前で英語の教科担任が声をあげた。 「林―、いるかー?」 「林、呼ばれてんぞお前」 「げ」  林が心底嫌そうに顔を歪める。松野はそんな林の肩を小突いて、教師のもとへと促した。 「何だろ」 「また課題出してねえとか、そんな感じじゃねえの」  呆れたようにため息をつきながら松野が呟く。それに苦笑いを返しながら、千早がパンの袋を開ける。松野もそれに倣うが、ふと手の動きを止めて顔を上げた。 「あ、そういや今月末林の誕生日だよな」 「あ、そうか」  忘れてた、という言葉は呑み込みつつ、千早が答える。記憶をたどってみると、確か林は今月最後の日曜日が誕生日だったはずだ。奥田と小原のことで頭がいっぱいだった千早は、林の誕生日すら忘れていた。そのことに少し愕然としつつ、心の中で林に詫びる。 「今年日曜日だしさ、あいつ今フリーだろうし、当日祝ってやらない?」 「あ、おう、いいよー。今年は何する?」  パンにかぶりつきながら問いかけると、松野がしばらく考え込む。小さく洟を啜って口の中のパンを租借すると、松野がそうだな、と口を開いた。 「去年はDVD大量に買って鑑賞会だったよなー……。今年は──」 「何これ?」  松野が言いかけた瞬間、教室の前方で林が声を上げた。揃ってそちらをみると、紙きれのようなものを手にした林と、その隣で真っ赤になって立ちすくむ奥田が見えた。 (なんだ?)  林はまじまじと手にした紙を見つめていて、奥田はついに顔を両手で覆った。何度か林の視線がうろうろと紙の上を彷徨い、しばらくして顔を上げて奥田を見た。 「……奥田、お前……小原のこと好きなの?」  頭が何か固いもので殴られたのかと思った。それくらいの衝撃があった。先ほどまでざわざわとうるさいほどだった教室が、今はしんと静まり返っている。奥田は顔を両手で覆ったままだし、林はそんな奥田をじっと眺めている。  はっとして、クラスを見回した。窓際の席で勉強をしていたのであろう小原の手からはシャーペンが滑り落ち、床に転がっていた。本人はといえば、驚きのあまり目を大きく見開いて固まっている。 「……そういえば、階段で小原に助けてもらったのって、奥田だっけ」  林がポツリと呟いて、奥田が目だけ見えるように手をずらした。そして、そのまま小さく頷いた。 (……なに、それ)  付き合っているのは自分だとか、小原には恋人がいるとか、そんなことは関係なかった。ただ、最近妙に笑顔が増えた小原に、その元凶と言える奥田が、不可抗力ではあるが告白した。その事実が千早にはあまりに恐ろしいことだった。 「え……なに、これっていわゆる──」 「す、好きなの!」  今まで真っ赤なまま顔を両手で覆っていた奥田が、両頬に手を添えていきなり叫んだ。直後、小原の方を振り向いてすうっと大きく息を吸った。 「小原くん、いつも私が係の仕事してると、手伝ってくれて……、階段のときも! わ、私のこと守ってくれて……っ、最近話すようになったら、それもなんか……心地よくて、いいなって……。だ、だから!」  一気に早口で言って、最後もう一度叫んだ。そして、両手を下げて力を振り絞るようにぎゅっと拳を握り、小原を真っ直ぐ見て。 「私と……付き合ってください」 (言った)  言ってしまった、と。千早の中で諦めにも似たような何かが生まれた。そして、腹の底からぐうっと憎悪のような感情が沸き立つのを感じた。  膝の上で掌に爪の痕が残るくらい、強く拳を握った。そうでもしないと、立ち上がって叫びだしそうで、怖かった。 (優吾は俺の恋人だ。たった一ヵ月足らずで優吾の何が分かるっていうんだ。優吾はおれのだし、絶対に奥田になんかやれない。俺が優吾の笑顔も心も体も、全部がかっこいいって見つけたんだ)  だから、邪魔するな。言いたくて、でも言えなくて、千早は唇を噛みしめた。  奥田はやりきった、とでも言うように、肩から力を抜いて、さらに赤みをました頬を両手で覆っていた。  そのまま小原に視線を移して、千早はまたも驚愕した。 (……え?)  小原の顔は真っ赤に染まっていた。  目は見開かれたままうろうろと視線を彷徨わせていて、掌は落ち着かないように握ったり開いたりしていた。何を言っていいのか分からないのか、口をパクパクと動かす。何度も奥田と自分の掌を交互に見て、思考を必死にまとめているのだろう。 (なんで、そんな反応なんだ)  小原はてっきり気遣うような表情をするのだろうと思った。眉間に小さく皺を寄せて、目を伏せて、口を歪めて。ごめんね、と言いたいけれど、傷つけるから言えない──そんな顔で。  しかし、今小原の顔に浮かぶ表情は、明らかに羞恥と喜び、そして微かな困惑。気遣う余裕すら全く感じられない。むしろ、少し嬉しがっているようにも思えるほどだった。 (なんで、そんな表情できんの……?)  仮にも恋人が同じ教室にいるのに。当然、告白などされれば恋人の視線が小原自身にくるはずなのに。少しも嫌がらず、逆に顔を赤らめてどうしていいかわからない、とでも言うような反応をして。恋人の自分は完全に意識の範疇外だと知れる。 「小原……」  告白を急かした林が、小さな声で小原に答えを促した。小原はぎくりとしたように肩をびくつかせ、それからゆっくり、うろうろと彷徨わせていた視線を奥田に向けた。  教室が張りつめた空気でいっぱいになっている。異常なくらいの緊張感だった。小原は何度か口をぱくぱくと動かし、やがてぎゅっと力を込めて唇を真一文字に結んだ。ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえた、次の瞬間。 「い、今は答えられません!」  そう叫んで、小原は教室を全力疾走で出て行った。  当然後に残された者たちは、肩透かしを食らったかのように固まっている。 「はあ?」 「え……」  教室の緊張がぷつりと切れ、林と奥田は間抜けな声を出した。それを境に、クラスの生徒が口々に呆れたような、面白がるような笑いをこぼした。 「小原、ヘタレだなー」 「マジメくんだからなー。ちょっと混乱しちゃったんだろ」  なんだか思ったよりも暖かいムードになっていて、千早はさらに眉根を寄せた。どうしてこんなにナチュラルに、さも当たり前のように、奥田と小原のカップルが受け入れられているのか。それが悔しいと同時に、むかついた。  千早が握りしめた拳を見つめて唇を噛みしめていると、林と奥田が喋りながらこちらに向かってきた。 「悪かったなー、奥田」 「もー……、一瞬、もう終わりだって思っちゃった」  本当にごめん、と手を合わせて頭を下げる林に、奥田が軽く手を振って笑いながらいいよ、と返した。  そうして、千早の席に戻ってきた林は、帰ってくるなり松野に拳骨をくらった。 「いってえ!!」 「お前、女子になんてことしてんだよ! かわいそうだろ」 「いや、おれだってびびったしさあー、ちょっと大きい声出ちゃっただけじゃん?」  ごめんって、とまた小さく頭を下げる林に対し、松野は呆れたようにため息をついて、椅子に座らせた。 「悪かったな、奥田」  反省の色を見せつつ頭を下げる林を横目に、松野が奥田に言う。奥田は、すぐさまふるふると首を横に振り、ふっと小さく安堵の息をついた。 「ん、もういいの。どんな形であれ、私が言いたかったことは伝えられたし」  微笑んで、後悔はない、と言う奥田を見つめて、悔しさと諦めが同居する胸を千早はぎゅっと強く掴んだ。そして、自分は絶対に奥田には敵わないのだろうと思った。  やっと回りだした頭が、ここには居たくない、と我が儘を言う。気づけば、千早は食べかけのパンを手に持ちながら、口走っていた。 「……なんか、俺気分悪いかも」 「え?」 「おい、大丈夫か千早」  今の告白騒ぎで顔から血の気は失せていて、体調不良という言い訳は真実のように聞こえたらしい。千早は手にしていたパンを袋に戻し、ゆっくりとした動きで席を立った。 「保健室、行ってくる」 「そういや、風邪ひいてたもんな」 「無理すんなよー?」  素直に自分の身を案じてくれる林と松野に申し訳なくなりながら、踵を返す。側にいた奥田も、何事もなかったような顔で、千早を案じていた。そんな彼らの視線を背中に受け、千早は教室を後にした。  そして、保健室のある一階ではなく、小原が逃げたであろう屋上へ向かうため、階段を上った。

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