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第15話

「んー……。何から話したら良いかな」  近くの自動販売機で温かいストレートティーを買ってきた松野がペットボトルを千早に手渡し、二人そろってベンチへと腰かける。千早の握っていたミルクティーはすでに生温くなってしまっていたため、風邪をひいた千早が少しでも暖まるようにと、松野が奢ってくれたのだった。  松野が呟いた後、少し沈黙が訪れた。おそらくは、どこから話せばよいものか、考えているのだろう。千早は大人しく、温かいストレートティーを飲んでいた。すると、ぽろりと口から言葉が零れてしまったかのように、松野が言った。 「なあ、お前どこから聞いてた?」 「……最初から。松野と、男の人がこの公園に入ってきたとき、から」  嘘をついても仕方がないので、正直に言った。松野は、やはりか、という表情をしてみせた後こくりと一度頷いて、千早のほうに向き直る。そして、こう言った。 「俺、ゲイではないから」 「は?」  あれだけの修羅場を見せておいて、何を言うのか。  千早が間抜けな声を出すと、松野は改まったように一度咳払いをする。 「俺はゲイじゃなくて、バイ。別に女に勃たないわけじゃないし、今まで好きだと思ったのが男だっただけだ」 「はあ……」  また間の抜けた声を出す。それを世間一般ではゲイと言うのでは、と思いながら、千早は首を捻る。  しかし、そんなことを気にしていたら話が進まないので、千早は腑に落ちないまま話の先を促した。  松野は、ふっと短く息を吐いて前を向き、静かに語りだした。 「さっき言い争ってたやつは、原田由雪(はらだよしゆき)っつって、駅前のバーのバーテン。で、俺はそこの常連だった。中学に入りたての頃、叔父に連れられてよく行ってたんだ。その頃からかな、林のこと意識し始めたのは。最初は自分でも戸惑っててさ、誰にも相談できねえし、一人でぐるぐる考え込んでて……。そんなとき、言ってごらんって話しかけてくれたのが、カウンターでコップ磨いてた由雪(よしゆき)……ユキだった」  松野は遠い目をして小さな声で話す。なんだか、昔を懐かしむような優しい目をしていた。 千早はたまに洟を啜りながら、じっと話に聞き入る。寒さを感じ、ストレートティーを一口飲んだ。 「バーに行く度に話してたら、ユキもバーのマスターのこと好きなんだって知って、なんつうか……内緒の話できる年上の友達、みたいなもんだったんだよな、あん時は。……俺が中二に上がるころ、叔父が北海道に転勤になって、それからバーに行くこともなくなった。ユキとも、会わなくなった」  松野の表情が曇った。唇が渇いたのか、湿らせるように少しストレートティーを口に含んで、嚥下する。  千早は松野が口を開くまで、横顔を眺めていた。 「……ユキに会わなくなってから、俺は林に対する思いを吐き出す場所がなくなった。いつも息苦しい感じがして、なんでこんなに好きなのに、林は気づかないんだろうって、そればっかになって。……中二の夏に、林に告白した。当然、林は気持ち悪いって俺のこと拒んで、夏休みはずっと林に避けられてたし、俺も避けてた」  ああ、あの夏か、と思った。やはり、松野がこの町を離れたのも、林の態度が少しだけおかしかったのも、勘違いではなかったのだ。 「まあ、夏休みが終わるころには親友に戻ったし、もう過去の話なんだけど。……問題はその後でさ」 「問題?」  思わず聞き返すと、松野は至極真剣な顔でこくりと頷いた。千早は小さく咳払いをしながら、話の続きを待った。 「……中三の夏休み。最後の一限だけ塾サボって、繁華街うろうろしてたんだ。別にどこに向かうってんでもなく。そしたら、たまたま叔父と通ってたバーの前を通りかかって、そこで、傷だらけのユキに会った」 「傷だらけ……って」 「当時付き合ってたやつとの別れ話で、めちゃくちゃにボコられたらしい」  松野はぐっと拳を握りしめ、苦虫を噛み潰したような顔をした。千早もつられてペットボトルを強く握る。  小さくため息をついて、松野がまた口を開く。 「酷い怪我で放っておけなくて、ユキの部屋までついて行った。そこで色んな話をして、俺もユキも、一度はフラれたのに、まだ相手を諦めきれないでいるって分かったんだ。それで……」  そこまで言って、口を噤む。ゆっくりと松野の顔を見ると、悔しそうに唇を噛んでいる。  千早はその横顔をじっと見つめ、松野が口を開くのを待った。 「お互いの傷を舐めあおうって、言ったんだ」  誰が、とは言わなかった。でも、それが由雪の言ったことだと分かった。先ほど言い争っていたとき、確かにそのようなことを言ったからだ。  そして、その言葉を心底憎そうに松野が呟いたからだ。 「俺はそれに頷いた。林のこと考えて、ユキのこと抱けば良いって、馬鹿なこと考えて。……でも、一回抱いたらもう駄目だった。林のことなんて全部吹っ飛ぶくらい、ユキのことで頭いっぱいで……でも、好きだなんて言えなかった。だってユキは、マスターのことが好きなんだ」  俺が邪魔して良い訳がない。  松野が呟いて、拳をぎゅっと握りしめたまま下を向いた。  例えその痛みを体験していなくても、胸が締め付けられるようだった。絶対に振り向かないと分かっていても、それでも、好きな気持ちを止められない。千早と小原の今の関係に少し似ていて、ちょっとだけ鼻がつんとした。 「……でも、今は少し、違うんじゃないかと思ってる」 「違うって……何が?」  つんとした鼻を小さく鳴らしながら問うと、松野は少しだけ目線を上にあげた。 「今日の六限、林に英語の和訳貸してさ。放課後コンビニに行ったとき、あいつ、何か奢ろうかって言ったんだ」 「うん?」  何の話だと思いながら、それでも相槌を打ちながら聞く。 「そういうお返しみたいなこと、あいつよくやるだろ。だから、俺はダチとして半分冗談で、お前のそういうとこ好きだって、そう言ったんだ」  何となく、言いたいことが掴めてきた。松野はさらに続きを進める。 「そこを、運悪く見られた」  舌打ちをしそうな勢いで、松野が言った。 「ユキの住んでるアパートがこっちだったの、完全に忘れてた。コンビニで会うかもしれないって、何で思わなかったんだろう」  松野の顔には後悔の色が濃く滲んでいた。ただでさえ好きだと伝えられない相手に、そんな現場を見られてしまって、松野には弁解以外の何ができただろう。 「……それで、さっきの修羅場?」 「うん。……でもさ、ちょっとおかしくないか? どうしてあいつは逃げる必要があった? 俺が林を好きなの知ってるなら、ユキがマスターを好きなら、ただのセフレだって言い切れるだろ。黙って見過ごせるだろ」  言われて気づいた。確かに、由雪がマスターを好きなら、ただのセックスフレンドである松野が誰を好きであろうと、関係ないはずだ。しかも、松野が林を好きなことは既に知られている。 (いや……もしかして、同時に二人好きになっちゃったとか? だから松野が林のこと好きだって改めて確認して、傷ついた?)  いずれにしても、結局、由雪は松野が好きだという結論に辿り着く。  じっと考え込んでいると、松野が小さく笑った。 「ん?」 「はは、いや。俺、バイってカミングアウトして、しかも恋の相談までしちゃってんのにさ、千早は引かないでちゃんと考えてくれてんだなあと思って」  そしたら、なんか笑えた。  さっきまで苦しそうな顔をしていた松野が笑ったことに、千早はほっとした。そして、こんなに優しく笑う、一途な彼になら、自分のことを話しても良いかと思った。 「……あのさ、バイとか、関係ねえから」 「ん?」 「……俺も、だし」  言った途端、急に羞恥を覚えて顔を赤く染める。松野は驚いているのか押し黙ったままだ。千早は怖くてその顔を見ることすらできない。 (やべ……俺、ちょっとぶっちゃけすぎた……?)  千早が引かなくても、松野は引いているかもしれない。心拍数の上がった胸の前でペットボトルを握りしめ、勇気を出して松野の方を見ると、驚愕に目を見張っていた。 「……マジか」  松野がぽつりと呟いた。頷くと、ふうんと何か考え込むように素っ気ない返事をし、少し間を置いてから口を開いた。 「……彼氏って、もしかして……小原?」 「えっ」  いきなり、しかも完全に的を射た言葉が返ってきて、千早は戸惑った。  素直に頷いて良いものか、それとも、ここは小原の保身のために嘘をつくべきか、頭の中をそれらが駆け巡って、しばらく千早は硬直したままでいた。  すると、それを見た松野が勝手に結論付けてしまう。 「うん、いや。夏あたりから急に色っぽくなったなとは思ったんだ。そういえばお前、小原が告白されてんの見た後に保健室行くって言い出したもんな。帰って来たときも、普通、寝たら顔の血色良くなって当たり前なのに、変に青白いから、おかしいなとは思ってたんだよな」  淡々とした口調で松野の推理を聞かされ、千早はもう恥ずかしくていてもたってもいられない。真っ赤になった顔を両手で覆っていると、松野が焦ったように言った。 「てかさ、お前こそ大丈夫かよ。小原、奥田に告白されてたじゃん。あの後、小原のこと追っかけたんだろ?」  どうなったんだ、と真剣に問いかけてくる松野に、千早は答えられない。  もう、小原は千早の彼氏ではないのだ。今までの小原の行動を考えても、これから先のことを考えても、絶対に今奥田と一緒になった方が小原にとっては幸せなはずだ。例え千早が小原のことをどれだけ好きでも、かなわない恋なのだ。 「……別れた」 「は?」 「さっき、屋上で、小原と別れた」  口に出してしまうと、胸がぎゅっと苦しくなる。また鼻がつんとして、目頭が熱くなる。千早は顔を覆った両手を小刻みに震わせながら、涙声を出した。 「小原は、ノンケだから。俺じゃない方が、絶対幸せになれる」  奥田みたいな、可愛くて素直で献身的で、笑顔の綺麗な女子の方が、小原には似合っている。  掌にこらえていた涙が落ちても、千早はその体制を崩せないでいた。この後、由雪と幸せになるだろう松野に、ぼろぼろの自分を見られたくなかった。 「何年後かに、ああ、あの時は馬鹿やったよなって、そんな風に思い出してくれるだけで、それだけで……」  良い、とは言えなかった。本当は誰にも渡したくないくらい、小原が好きだ。でも、独りよがりな恋愛では、小原も千早もきっと苦しくなる。だったら今のうちに離れておいた方が、情がこれ以上深くなる前に別れておいた方が、きっと良いはずだ。  分かっているのに、心が理解してくれない。胸が張り裂けそうなくらい痛い。  千早は胸の裡を隠すために、情けなく喉をひぐ、と鳴らした。 「……千早」  嗚咽が漏れそうになって、必死にこらえる。でも、松野が優しく背中を撫でてくれるから、こらえようと思った嗚咽も、小さく口から零れていく。 「……お前、小原のこと、本気で好きなんだな」  好きだったんだな、とは言わないあたり、松野もこの気持ちを理解してくれているということだろう。 「……う、ん」  しゃくり上げるように泣く最中、小さく千早が頷くと、松野はそっかと呟いて、千早が泣き終わるまでずっと背中をさすってくれていた。

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