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最終話
目を覚ますと、部屋はもう薄暗かった。ベッドには千早一人だけで、小原はどこかに行っているらしい。起き上ろうとすると、腰が軋むように痛んだ。
「つ、う……」
どうにか上体を起こしベッドから抜け出すと、体全体が怠い。頭がぼうっとして、何故か眠りに着く直前の記憶がない。
(一回やったあと、優吾が収まらなくてもう一回やって、体べたべたして気持ち悪いって言ったあと浴室行ってやって、部屋戻ってきてからまた盛り上がってやった……気が、する……?)
一つ一つ丁寧に思い出していると、どれだけ盛っているんだと少し恥ずかしくなる。しかも、浴室から帰って来たあとのセックスは最後まで覚えていない。
本当に漠然と、すごいセックスをしてしまったと思う。小原の上に乗って自分で動いたり、浴室で立ったまま後ろから入れられたり。それ以外にも色々な格好をさせられて、喉が痛くなるまで喘いだ。
しかも、よがって泣くたびに小原は。
──可愛い、千早。……もっと中、入っていい?
そんなことを低く甘い声で囁かれて、どうして断ることができるだろう。そこで許してしまう自分は、やはり小原にべた惚れなのだと思う。
「……つか、あいつどこよ」
よろよろと足に上手く力が入らないまま一階へ降りると、キッチンの方から良い香りがしてきた。
キッチンの扉を開けると、Yシャツにスラックス姿の小原がコンロの前に立っていた。
「千早! 体、大丈夫? どっか痛くない?」
小原がコンロの火を止めて近寄ってくる。千早は微笑んで、大丈夫だと告げた。
それよりも、コンロの上のものが気になる。千早はすうっと息を吸って視線を投げかけた。すると、千早をコンロの前に誘導した小原が、土鍋の蓋を開ける。
「わっ」
「ミルクがゆ、なんだけど。千早、風邪ひいてるし、おれ、酷くしちゃったし……その、ごめんねって、意味も込めて……」
頬を赤く染めながら謝る小原は、何とも言えないくらい可愛かった。思わずこちらまで赤くなってしまって、上目づかいに小原を見るしかない。
「……誘ったのは俺もだし。それよか、ありがとな」
恥ずかしくて、ぼそぼそとしか言えない。でも、小原はほっと安堵の表情を浮かべた。
「あ、そういえばあっちの方で携帯鳴ってたけど……」
小原が指差したのはキッチンから間続きになっている食卓の方だ。確か、昼食を食べてそのまま小原を家にあげたから、携帯が置きっぱなしになっているはずだ。
(誰だろ)
食卓へ向かうと、机の上で携帯のランプが点灯している。取り上げてメールボックスを開くと、父親からのものだった。
【伊依、風邪はどうかな? さっき急に依頼人から連絡があって、神奈川まで急に出張しなきゃいけなくなりました。伊依の風邪が酷いようなら、深夜になるかもしれないけどそっちに帰ります。見たらメールしてね】
タイムスタンプは今の時刻から十分ほど前。千早はすぐに返信を書いた。
【風邪はもう大丈夫だよ。熱も平熱に下がりました。今、友達が見舞いに来てくれて、ご飯作ってくれたとこ。だから心配しないで。遅くなるようなら、無理に帰ってこなくて良いから】
送信ボタンを押すと、しばらくして完了の文字が表示される。フラップを閉じると、土鍋の前に立った小原がちらちらとこちらを伺っているのが見えた。じっと見つめていると、目があった。微笑むと頬を染めて視線を逸らす。それがまた何とも言えない。
(誰とメールしてるのかとか、気になってんだろうなあ)
携帯を手にしたままキッチンへ向かうと、小原が待ちきれないというように問いかけてくる。
「……誰から、とか、聞いても良い?」
「ん、父さんから。今日は出張で神奈川に泊まるって」
まだ返信はないが、たぶん父親はそうするだろう。そう思って答えると、小原は少しほっとしたようにそっか、と言った。
メールの着信さえ気にかけてくれたことが嬉しい。ここ数週間、ぐらついていた気持ちも、一度は空っぽになった心も、もうどうでも良い気がした。
温めるためにもう一度土鍋を火にかけて、粥をかき混ぜる。鍋の中を見る小原の隣に立って、千早は何の前触れもなく空いた片手に触れた。
「え、ちょ」
「外じゃないし……いいだろ?」
顔を赤くする小原の返事を聞かないまま、千早は指を全部絡めるように手を繋ぐ。しばらくして、小原は返事の代わりに強く手を握り返してきた。
こうして、普通の恋人みたいに小原と手を繋ぐことを、ずっと千早は望んでいた。言葉にしなくても好きだと分かるなんて、そんな幸せなこと、感じてみたかった。
穏やかな気持ちで微笑んでいると、小原が鍋の中をかき混ぜながら、小さく呟いた。
「……言うの、忘れてたけど。……奥田さんからの告白は、ちゃんと断ったから」
はっとして顔を上げると、小原が真面目な顔でこちらを見ている。甘く胸が締め付けられて、千早は顔を歪め、もう一度強く小原の手を握った。
「……俺、やっぱ、優吾のこと好き」
肩に頭を預けながら呟くと、小原がふふ、と笑った。
「おれも、千早が好き」
これからは、ちゃんと隠さないで言うね、と。
小原が大好きな顔で微笑むから、千早はたまらずその頬にキスをしたのだ。
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