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第4話
帰り支度をすると断ってミーティングルームから出た真澄は、大慌てで携帯電話を取りに走る。荷物は稽古場の隅だ。残っているスタッフに挨拶をして、大きなスポーツバッグを探った。携帯電話を取り出す。マネージャーから何件も着信が入っていた。
電話をかけつつ、荷物をまとめ、稽古場から外付けの非常階段へ移動する。
『あー、高石くん! 繋がったぁ! あのね、あのねぇ!』
息せき切って話し出すのは、マネージメントを担当している安田(やすだ)博史(ひろふみ)だ。真澄の所属する事務所では、よほど現場に不慣れな新人以外に同行マネージャーがつくことはない。
「話は聞いてます」
真澄は口早に答えた。
『ごめんね! 社長まで話を上げてもらって断ろうとしたんだけど、花島くんの身元が確かすぎて、押し切られた。彼は公称もアルファだし、きっと間違いはないだろうと思うんだよ。どうしようか。僕も寝泊まりしようか』
「……本当ですか?」
思わず、安堵の息が漏れた。事務所の社長は、真澄がオメガだと承知している。そして、社員で知っているのは、マネージャーの安田だけだ。
オメガには発情期(ヒート)がくる。月に一度の頻度で、一週間ほど性交フェロモンが出てしまうのだが、抑制剤を使用すれば、頻度を三ヶ月に一度程度にコントロールできる。
しかし、アルファと生活を共にすればフェロモンの影響は避けられない。とはいえ、頑強に断れば、実はオメガではないかと、いらぬ憶測を呼んでしまう。こういったことは、どこからともなく流れ出した噂に尾ひれがつくものだ。
『いま、稽古場の下に着いたところ。花島さんも交えて話をしよう』
「助かります。おれ、本当に、どうしようか、と……」
『うん、うん。大丈夫だから。稽古場の部屋ナンバーを教えてくれるかな。すぐに行く』
電話を切って廊下へ戻ると、真澄を探していたらしい花島と出くわす。
「あぁ、ここにいたんだ。事務所から連絡が来てた?」
ふわりとした笑顔が、匂い立つほどにやわらかく色っぽい。アルファの中でも、飛び抜けて穏やかなタイプだ。実力に裏打ちされた自信がそうさせるのだろう。
「マネージャーがあがってくるから、ちょっと打ち合わせできるかな」
真澄が言うと、花島はニコニコ笑いながら近づいてくる。
「それはいいけど」
腕を伸ばしたかと思うと、真澄の肩にかけたスポーツバッグがすっと取りあげられた。
「重たいね」
「……ここに来る前、殺陣の稽古だったから」
真澄が今回の舞台に抜擢されたのは、新しい演出に欠かせない立ち回りに対応できる俳優だからだ。
美しいアルファ王子と彼を守るオメガ騎士の階級を超えた物語が『サンドリヨンの鐘が鳴る』の大筋だ。アルファ王子を花島が、オメガ騎士を真澄が演じる。
いままでは歌と演技で構成されていたところへ、派手なアクションを加えることになり、新しい演出案は、すでに演劇ファンの熱い注目を集めていた。
「返してくれる?」
真澄が手を伸ばすと、花島は肩をそらした。
「いえ、これぐらい。年下ですから」
「きみのほうが芸歴は長いだろ。自分で持てるから、返して」
「ダメだよ。重い荷物は身体のバランスが崩れる」
「……花島くん」
強めの声を出したが、相手の笑顔のほうが何倍も上手だ。
「どうぞ、智紘と呼んでください」
しかも、声がいい。思わず聞き惚れてしまった真澄は、ハッと息を飲む。
「ヤダよ」
わざとつんけんして答えたが、やはり花島には聞き流される。
「じゃあ、名字の呼び捨てで。ぼくは真澄さんって呼びますね」
「高石くんのままでいい……」
ぐったりしてきたところへ、マネージャーの安田が現れる。三十代半ばの、見た目は冴えない男だが、腰の低さも兼ね備えていて、交渉ごとには抜群の粘り強さを見せる。
「あぁ、花島さん。うちの高石がお世話になっています。藤田さんからご連絡いただいた件で、お時間、いいですか。非常階段へ出ましょうか」
そう言ってふたりを促しながら、花島が肩にかけているスポーツバッグに気づいた。
「これは、高石の荷物では?」
恐縮しながら受け取ろうとしたが、花島はまた肩をそらして逃げる。
「どうせ、同じ部屋へ帰るので」
そう言いながら、非常階段へ続くドアを開けた。安田に続いて真澄が出るまで押さえ、ゆっくりと閉じる。
「その件ですが」
と安田が切り出した。
「藤田さんにどうしてもと言われ、高石のキャリアのために承諾いたしました。彼には相談もなかったことですので、今回は、僕も一緒に寝泊まりをさせていただきます。よろしいで……」
「嫌です」
最後まで言わせず、花島はばっさりと切って捨てた。
「ぼくのマンションですから、他人を入れるつもりはありません」
「では、ホテルのスイートルームを借りましょう。費用はこちらで持ちます」
「それは、真澄さんが『ベータ』ではないからですか」
真正面から返されたが、交渉ごとに強い安田の表情はぴくりとも変わらなかった。穏やかに微笑むばかりだ。
「答えなくてもかまいません」
対する花島が固い声で言った。
「ぼくはアルファですが、相手がベータでもオメガでも、同意のない行為に及ぶことはありません。見境のないケダモノみたいに思わないでもらえますか」
言葉にあからさまな険があり、さすがの安田もたじろいだ雰囲気になる。彼はベータだ。圧倒的なアルファ性を前面に出され、精神的に受けるプレッシャーは相当だろう。オメガが受けるものと大差がない。
「それは、ヒート中のオメガを、前にしてもですか」
問い返すだけの粘り強さを見せたが、アルファの花島は、まるで相手にしていない態度であきれるように息をつく。
「必要なら誓約書でもなんでも書きます。もしものことがあれば、真澄さんの一生はぼくが……」
「すとーっぷ! ストップ、ストップ!」
声をあげた真澄は、向かい合うふたりの間へ手を差し込んだ。
安田の肩をぐいぐいと押してさがらせ、かばうように割り込んで立ち、花島を見据えた。
「妙な方向に話が走ってる気がする! オレの一生をどうするって? そんなことを言われたんじゃ、ベータの俺でも狼の寝床へ入っていくようなもんだろ」
花島が同性愛者なら、第二の性以前の問題だ。それに、花島の言動はどこか危うく、下心のようなものがチラチラ見え隠れしている。いっそ、あからさまなぐらいだ。
「この話、なかったことにして。藤田さんにはオレたちが頭を下げるから……」
なにげない口調で言いながら、花島の肩に食い込んだスポーツバッグへ手を伸ばす。
「……この舞台、最後までやりきる覚悟があるんですか?」
手を握られ、ハッと息を飲んで視線を向ける。まともに目が合い、真澄の身体に電流が走る。踵から脳天までを貫くような痺れだ。
肌がビリビリと震え、産毛が逆立ち、髪の毛からも放電したような気分になる。
それでも、並のオメガのようにたじろいだりはしなかった。それこそ、真澄の中に息づく、もうひとつの人生のおかげだ。
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