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第5話
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馬の蹄の、パカパカという音を聞きながら、優良は自身の身体を強張らせていた。
白い大きな馬はエルトゥールのもので、川の近くでおとなしく主が来るのを待っていた。
優良は勿論、馬に乗ったことなどなかったため、エルトゥールの馬に乗せてもらうことになった。
二人分の体重がかかることを心配したが、小柄な優良が一人増えても大したことはないとエルトゥールは言ってくれた。
サヤンはあまりいい顔をしなかったが、サヤンの馬はエルトゥールの馬よりも小さかったため、仕方ないと思ったのだろう。特に、口に出して反対はされなかった。
二人のやりとりを見る限り、基本的にサヤンはエルトゥールの命令に逆らうことはないようだ。
偉い人、なんだよね……?
着ている衣装は勿論、剣から何からエルトゥールが身につけているのは全て煌びやかで、上質のものだ。
サヤンも年齢は同じくらいだが、エルトゥールへの接し方は友達に対するものとはまったく違っている。
二人の会話を聞く限り、どちらも騎士団に所属しているようで、身分もエルトゥールの方が高いようだ。
自分とそう年齢は変わらないだろうに、彼らは騎士という立場で、おそらくすでに仕事をしている。
やっぱりここは、別の世界なんだ。
勿論、優良のいた世界でも外国では年端のいかぬ子どもたちが働かされていることが問題になっていたが、それとはまた違うだろう。
何より、エルトゥールもサヤンも、騎士である自身の立場に誇りを持っているように見えた。
それは、優良のことをエルトゥールが神の愛し子であると口にした途端、それまでとは明らかに態度が変わったサヤンを見ていても思った。
何かの間違いだと思うんだけどな……。
今、優良はエルトゥールの馬に一緒に乗り、二人とともに宮殿を目指していた。
エルトゥールの話では、優良は数百年に一度この国に現れる神の愛し子であるというのだ。
神の愛し子は異世界で育てられ、やがてこの世界に豊穣と安寧をもたらすためにやってくる、特別な存在。
最初は、勿論信じられなかった。そんな、漫画やライトノベルのような話が自分の身の上に起こるとは思えなかったからだ。
「この国の名はアナトリア帝国、聞いたことがあるか?」
「いえ……」
世界の国名はほとんど頭の中に入っている。中学受験では必須ではないが、将来のことを考えても知っていた方がいいと覚えたからだ。勿論、国際情勢は日々変化しているため、自分の知らないうちに新しい国はできているかもしれない。
けれど、そうだとしても彼らの服装や身につけているものはどう見ても現代のものとは思えなかった。
「アナトリアはこの大陸で、もっとも大きい国だ。大陸に住む者で、知らない者はいないだろう」
お前はこの世界の者ではない。異世界からやってきた神の愛し子だ。
エルトゥールはそう言いたかったのだろうが、優良は勿論すぐに理解することはできなかった。
「何かの、間違いです……僕が、神の愛し子だなんて……」
優良がそう言えば、エルトゥールは少し困ったような顔をした。
「だったらお前、なぜ俺の言葉がわかる?」
「え?」
「この世界の者ではないというのに、お前は俺たちの言葉を何不自由なく使うことができている。それは、お前に愛し子としての力があるからだ」
確かにそれは、優良自身もずっと思っていたことだった。
日本語と、あと簡単な日常会話程度の英語はできたが、今自分が喋っているのは聞いたことがない言葉だ。
それなのに、まるで最初から全て知っていたかのように使うことができている。
けれど、だからといってエルトゥールの話を素直に聞き入れるのは難しかった。
それはそうだ。優良はこれまでなんの変哲もない、日本に住む普通の小学生だったのだ。
突然異世界で神の愛し子などと言われて、信じられるはずがなかった。
「……とにかく、お前のことは帝都に、宮殿へ連れていく」
「え……」
エルトゥールに言われ、出たのは思ったよりも不安気な声だった。
「大丈夫だ、誰もお前を傷つける人間はいない」
そんな優良の気持ちを察したのだろう。俯いてしまった優良の手を、エルトゥールが優しく包み込む。
ゆっくりと視線を上げると、そこには最初と同じ、優しく穏やかな眼差しがあった。
その瞳は真摯で、嘘をついているようには見えなかった。
どうせ、自分に行くところはないのだ。優良が頷けば、エルトゥールが微かに口の端を上げた。
優良がいたのは、帝都からは少しばかり離れた場所だったようだ。
青々とした草原と、広大な大地を進み続けると、大きな門があった。
どうやら検問所のようだが、エルトゥールと同じような、けれどだいぶ簡易な衣装の兵士たちは、エルトゥールの姿を確認すると姿勢を正し、検問を通してくれた。
自分の父親のような年齢の大人たちまで、エルトゥールに対してそんな態度を取るのだ。一体、エルトゥールは何者なのだろう。
そんなふうに想像しながら、街の中へ入っていくと、目に入ってきた景色に、優良は一瞬、言葉を忘れた。
「すごい……!」
ようやく絞り出した言葉は、ひどくシンプルなものになってしまった。
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