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fortune②

 日本橋にあるフォーチュンの本社ビルに一歩足を踏み入れた瞬間、「社内では特別扱いしないようにと社長から仰せつかっておりますので」と、藤井は玲旺に背を向けて、丁度よく来たエレベーターに乗り込んだ。  急に突き放すような藤井の態度に腹が立って、玲旺は閉まりかけた扉に強引に身を滑り込ませる。総務部の階数ボタンが押されていなかったので、玲旺は「押せ」と顎で示した。藤井は特別扱いしないと言った手前、少し悩むように眉根を寄せた後、仕方ないと諦めたように五階のボタンに指を伸ばす。  一緒に乗り合わせていた他の社員は、社長付きの第一秘書である藤井を顎で使う玲旺を見て、ピタリと雑談を止めた。 「コレが今度入社した御曹司か」と、粗相してはいけないという張り詰めた空気が充満する。  不自然なほど沈黙の続くエレベーターで階床表示灯(かいしょうひょうじとう)を見上げながら、玲旺は誰にも気づかれないように小さく息を吐いた。  俺と一緒の空間は、息が詰まるかい?   俺だって、こんなに窮屈で居心地の悪い毎日は勘弁してほしいよ。と、俯きたいのを我慢して奥歯を噛みしめた。  五階フロアに降り立った玲旺は、オフィスへと続く廊下を気だるそうに進んだ。途中、喫煙ルームから出てきた社員が「社長の息子は」と口にしたので、思わず柱の陰に身を隠す。 「いつも早い時間から休憩に行ったきりで戻らないよね。女子達が目の保養が出来ないって残念がってたよ。いない方が気楽でいいけどさ」 「ボンボンに雑用なんてさせられないし、面倒なことも頼めないからさ、午前中から休憩に行ってもらってるんだよ。そんで、『ゆっくりしてきて大丈夫です』って言ってある。今日の午後からボンボンは営業部に引き取って貰えるし、これでやっと総務部に平和が戻るな」  オフィスへ戻りながら雑談している声の主は、玲旺の教育係だった。総務部に配属されてからずっと、彼から与えられる仕事と言えば楽なものばかりで、結果的に玲旺は殆どの時間を手持ち無沙汰で過ごさねばならなかった。  彼はそれで玲旺の機嫌を取っているつもりのようだったが、そんな事情を知らない他の社員からは「いい気なもんだな」と眉を顰められ、今日は遂に、噂を耳にした藤井に迎えに来られてしまった。とは言え、玲旺も進んで仕事を探そうともしなかったので、非がある事は自覚していたのだが。  こんな会話を聞かされるくらいなら、もう少し遅く戻ればよかったと思いつつ、玲旺は柱から出るタイミングを伺った。

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