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◇第2章 人の上に立つ素質◇ *第8話* 『熱でもあるんじゃないの』
「藤井さん、おはようございます」
翌朝、会社のエレベーターホールで玲旺が声を掛けると、藤井は驚きのあまり抱えていたファイルの束を床に落とした。
「お、おはようございます。あの、玲旺様。もしどこか具合が悪いようでしたら、すぐに車を用意しますので、ご自宅に戻られて休まれた方がよろしいかと」
藤井は散乱したファイルをかき集めながら、玲旺の顔を心配そうに見上げる。玲旺は一瞬苛立ったように片眉を上げたが、すぐに抑えて「いいえ」と答えた。
「家を出る前、姉からも『熱があるんじゃないか』と心配されましたが、問題ありません。それより、今後名前に『様』付けは結構ですので」
足元に落ちた書類を拾い上げ、藤井に向かって「どうぞ」と差し出す。藤井は得体の知れないものでも見るように、ポカンと口を開けたまま目をしばたたかせた。
エレベーターの到着を知らせるチャイムが鳴り、玲旺が先に乗り込む。困惑したまま藤井も後に続き、玲旺は自分と藤井の行き先階ボタンを押した。
「あの、玲旺様。……いえ、玲旺さん」
玲旺に無言で睨まれて、藤井は慌てて『様』を取り消した。
「一体どうされたのですか。まるで別人ですよ。昨日久我と一緒に行動した事で、何か心境に変化でも?」
「まぁ、そんな所です」
返事を聞いて、藤井は顎に手を添え興味深そうに玲旺の顔を見る。
「久我は優秀ですからね。たった一日で感化されても不思議ではありません。が……それにしても、玲旺さんの急な変わり様に驚きました」
そりゃそうだ、と玲旺は心の中で小さく笑う。
誰よりも驚いているのは、他でもない自分なのだから。
昨日まではただ、誰に必要されることもなく、居ても居なくてもいい時を過ごすだけだった。
そんな環境に不貞腐れ、自分が哀れだとすら思いながら。ずっと誰かのせいにして、傷つくことを恐れて、変わろうともしなかった。それが唯一の身を守る術だと信じていたから。
だけどもう、口を開けて待っていれば自動的に餌を運んでもらえる雛鳥とは違うと、気づかせてくれたのは久我だった。
『もっと知識を身につけろ。正しい方法で自分の身を守れ』
棘だらけの鎧を捨てて、自分自身で勝負しなければいけないと思えた。
「いずれ俺が上に立った時、優秀な社員に恥を掻かせないよう、その地位に相応しい人間になりたいんです。死ぬ気で学ばないと追いつけないから……生まれ変わらなきゃ」
散々好き放題してきたのに、今更何を言っているんだと笑われるかと思ったが、藤井は意外にも真面目な顔で「なるほど」と頷いた。
「あなたのお父様は非常に優れたリーダーです。あなたへの接し方が不器用な所は玉に瑕 ですが、社員は皆、尊敬しております。そして……」
玲旺は藤井を真っ直ぐ見ながら、次の言葉を待った。普段あまり表情を変えない藤井が、珍しく微笑む。
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