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弟の仮面を被ろう③

 久我は玲旺の声に被せるように、「さあ、後半も頑張ろうな」と告げてサッと身をひるがえす。   早々に接客に戻った久我に置いて行かれた玲旺の脳裏に、もしかして逃げられた? という疑念がよぎる。まるで玲旺が何を言おうとしたのか察し、明らかに警戒したように見えた。   今までの久我の態度から、少なからず好意を持ってくれているのではないかと期待していたが、気のせいだったのだろうか。部下と接する態度にしては距離が近いし、二人の時は敬語はいらないなんて特別扱いしてくれたのに。そう考えながらふと、久我が度々、弟というワードを使う事を思い出して「ああ、そうか」と理解した。  久我が自分に求めるポジションは、恋人ではなく、手のかかる可愛い弟なのだ。  久我に言いそびれた言葉は行き先を失くし、胸の底に(おり)のように沈んでいく。その一方で、弟でも上等じゃないかという思いも沸いた。無理に想いを告げて距離を取られるくらいなら、今のままの方がずっといい。  恋人じゃないなら、別れも来ない。始まっていないのだから終わりなんて来るわけがない。  今度は弟の仮面を被ろう。  その仮面を付けている間は、側にいる事を許される。髪や頬を撫でて甘やかして貰える。それでいい。それだけでいい。  華やかな会場の片隅で玲旺は独り決心すると、どこも傷ついていないような顔で売り場へ戻った。  その後の久我は露骨に玲旺を避ける事もなく、いつもと変りないように見えた。相変わらず玲旺の頭を撫でたりもする。きっとこの距離なんだ、と玲旺は思った。これ以上近づくと、恐らく遠ざけられてしまう。  撤収後に一人乗ったタクシーの中で、じれったさに思わずため息を漏らした。結ばれないのが解っていながら側にいたいと願う自分は、いつからこんなに不器用になってしまったのだろう。そもそも今までどんな恋愛をしてきたっけと、疲れた頭で考え始める。  他人に好意を持ったことはあっても、強烈に誰かを欲したことはない。好きだと言われてなんとなくくっついて、飽きたら離れると言う雑な終わり方しか知らなかった。  こんなものを恋愛と呼べるだろうか。まともな恋愛経験がないうえに、片想いが初めてという事実に打ちのめされる。 「俺って恋愛偏差値ゼロだったんだ」    自己分析して途方に暮れた。  この恋は粗末にしたくない。叶わなくても失いたくない。  やはり久我に不用意に近づくべきではないと、改めて思いながら窓の外に目をやった。週末の二十二時などまだまだ宵の口といった具合で、繁華街は人通りも多い。コンビニや居酒屋の看板が煌々としていた。  賑やかな街並みを眺めながら、そこから隔離されたように静かな車内で、玲旺は自分で自分を抱きしめるように腕を組む。寒い訳ではないのに、どうしようもなく体が冷えていく。  恋心に気付いたその日に失恋した自分が情けなくて、流れる夜景を見ながら弱々しく笑った。

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