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第15話 今日は飲もう

「久我さんはまだかかるから、後で合流するって。ちょっと歩くけど、そんなに遠くないよ」  吉田の案内通り、会社を出て十分もしないうちに店が見えてきた。路地を挟んだ向かいには、大きな複合オフィスビルがそびえ立つ。都会の真ん中に急に現れた一軒家の居酒屋は、まるで映画のセットのようだった。店先にはビールケースが乱雑に積み上げられている。  居酒屋と言っても場所柄、小洒落たダイニングバーのようなものを想像していた玲旺は、入り口に掛けられた縄の暖簾を珍しそうに眺めた。吉田が店の引き戸を開けたので、その後に続く。 「わぁ……」  店内に入って玲旺は思わず感嘆の声をあげた。壁も天井も剥き出しの梁も、経年の味わいを感じさせる見事な飴色だ。作り物のアンティークにはない迫力に圧倒される。  店内はそれ程広くなく、十席あるかないかのカウンターと、テーブル席がいくつかある程度だった。  物珍しさにキョロキョロしながら、壁際の空いている席へ進んだ。シンプルな木のテーブルに、背もたれのない四角い椅子。壁一面を埋め尽くす酒瓶と、木札のメニュー。どれもこれも初めてなのに、なぜか落ち着く。 「ここは日本酒と焼酎の種類が豊富なんだけど、レモンサワーも絶品なんだよ。久我さん待たずに先に乾杯しちゃおうか」  玲旺はメニュー表を見てもさっぱりわからなかったので、吉田が適当に見繕ってオーダーしてくれた。鈴木は終始ご機嫌で、振り子のように体を左右に揺らしている。  直ぐに運ばれてきたレモンサワーのグラスには、分厚い輪切りのレモンがゴロゴロ入っていた。その上、更に半分にカットされたレモンと果汁絞り器まで付いてきて、玲旺は目を輝かせる。 「桐ケ谷くんの分も絞ろうか?」 「ううん、自分でやってみたい」  凄い、凄いと興奮しながら、玲旺は自分のレモンサワーを完成させた。三人揃って「乾杯!」とグラスをぶつけ合う。 「なにこれ、凄く美味い!」 「でしょう? シロップは自家製なんだよ」  鈴木が自分の手柄のように得意気になるので、玲旺は思わず吹き出した。甘過ぎずスッキリした味わいは、飽きずに何杯でも飲めそうだ。そうこうしているうちに、テーブルに次々と料理が運ばれてくる。  だし巻き卵に焼きたらこ、大根おろしの添えられた、アジの干物とゆで卵。 「はい、これ桐ケ谷くんの分」  殻が付いたままのゆで卵を手渡されて戸惑った。これをどうしていいのかわからない。 「半熟で美味しいんだよ。塩を付けて食べるの」  殻を剥くのも初めてで、手掴みでそのまま噛り付くと、塩を付けただけなのにとんでもなく美味かった。焼きたらこもアジの干物も「これを店に出すのか?」と思うような色気のない見た目に反して美味い。  カルチャーショックを受けながらレモンサワーで流し込むと、引き戸が開いて久我が現れた。店内を軽く見まわし、すぐにこちらに気付いて玲旺の隣に腰掛ける。 「お待たせ。うわ、桐ケ谷がいるのにこのメニューは攻めすぎじゃない?」 「いやあ、良いリアクションしてくれるから、ついつい」  吉田が頭を掻く。  冷酒を注文した久我が大人に見えて、ときめいた後に少し寂しくなった。  どれだけ焦がれても、きっとこの想いは受け入れてもらえない。レモンサワーのグラスに伝う水滴を眺めながら、そっと息を吐く。

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