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*第22話* 深海

「玲旺様は今、後継者としてフォーチュンの地固めをする大切な時期だ。こんな時にスキャンダルは絶対に避けなければならない。お前なら解るだろう」 「ああ……軽率だった。もう間違えない。だけど、会社ですれ違った時に話をするくらいは大目に見てくれないか」 「会社ですれ違った時、か。残念だが玲旺様は今、日本にいない」 「は? どういう事だよ」  何を言っているんだと、信じられない気持ちで藤井の肩を掴んだ。 「イタリアで開催するショーにフォーチュンも参加する。社長と同行してその視察に行かれた」 「イタリア? 社長が出張なら、第一秘書のお前が何でここにいる」  肩を掴む手に力がこもる。藤井は痛みに顔を歪めながらその手を払った。 「元秘書である副社長も同行している。俺よりずっと百戦錬磨の凄腕だ。まぁ、社長にとっては妻だし玲旺様にとっては母親だが。きっと今頃玲旺様は、副社長に鍛えられているだろうな。仕事に関してはとても厳しい方だから」 「戻ってくるんだよな?」  すがるような久我の声には、焦りの色が濃く滲んでいた。藤井は目を閉じて一呼吸置く。 「二週間で戻ってくる。ただ、その後すぐに玲旺様の一番上の姉夫婦が代表を務める、ロンドン支社に転勤することになるだろう」  久我は言葉にならず、息を吸い込んだまま固まった。玲旺が自分の視界から消えてしまうと知っても、脳が認めようとせずに混乱する。  二度と会えない訳じゃない。わかっている。  二週間後に玲旺は戻ってくる。少しの間は社内で見かけることもあるだろう。話だってできるかもしれない。でもその後は? 本格的にロンドンに渡ってしまった後、次はいつ会える?  そもそも「会いたい」なんて、今更どのツラ下げて言うつもりだろう。自分から恋人にはならないと突き放したくせに。  ヒヤッとした空気が流れて、いきなり深い海の底にいるような気分になった。さっきまで海面近くを泳いでいて、息継ぎなんていつでも出来ると余裕でいたのに。暗い海底から水面を見上げ、その距離を知ってゾッとした。海上に顔を出すまでに、自分の息が続くわけがないと絶望する。 「要、顔が真っ青だ。お前まさか、玲旺様に本気になっていないよな? 大学時代のトラウマはまだ克服してないんだろう? 玲旺様みたいなタイプはお前にとって一番の鬼門じゃないか。だから俺も油断していたんだぞ」  久我は胃液が上がってくるのを堪えるように口元を押さえる。藤井にトラウマと言われて、嫌な記憶まで蘇ってきた。 「……トラウマは健在だ。だから桐ケ谷を愛するなんて恐ろしいことは出来ない。今ならまだ間に合う……多分」  藤井に答えていると言うよりも、自分に言い聞かせているようだった。藤井は久我の肩に手を置いて、気遣うように顔を覗き込む。 「なるほど、もう手遅れみたいだな。かなりの重症だ」

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