70 / 110
*第23話* せめてもの餞
桜華大に着いてもまだ玲旺からの電話はなく、大学のすぐ側にあるコインパーキングに車を停め、久我は歩いて正門前へ向かった。
まだ暑さは残っていたが、吹く風はどことなく乾燥していて秋を思わせる。
時計に目をやると、間もなく十三時になろうとしていた。午後からの講義を受ける学生たちがぞろぞろと門を通り過ぎていく。場違いなスーツ姿でこんな所にいるせいか、ちらちら見られて居た堪れなくなった。
早く出て来いと思いながら正面玄関を睨んでいると、学生の流れに逆らうようにして玲旺がこちらに歩いてくるのが見えた。すれ違った学生は、玲旺の顔を見惚れたように振りかえる。
「あ、久我さん! ごめん、今電話しようと思ってた」
玲旺がこちらに気付いて手を振った。笑顔になると、パッと辺りの雰囲気まで華やぐ。あのノーブルな風貌は、もはや才能だなと感心した。
驚くほど綺麗な顔の青年が、自分の名前を呼びながら駆け寄ってくる。
客観的に玲旺を眺め、久我は何だか不思議な気分になった。
「ただいま。なんか久しぶりだね」
あんなに酷い扱いを受けたのに、次に会って最初に放つ言葉がそれだった。
「うん。おかえり」
玲旺にとってもう乗り越えた出来事なのか、それともなかった事にしたいのか、解らないまま玲旺のトーンに合わせる。
久しぶりに見る玲旺の顔つきが、少しだけ大人びて見えた。二週間での成長を目の当たりにし、やはり自分が玲旺の行く道を邪魔してはいけないと改めて思う。
まじまじと顔を見つめてしまい、玲旺が不思議そうに首を傾げた。慌てて目を逸らし「行こうか」と歩き出した時だった。
「え、嘘。もしかして久我センセイ?」
離れた場所から思いがけず名前を呼ばれ、久我はそちらに顔を向けた。声の主を見て、地面がぐにゃりと歪んだような感覚に襲われる。
「根本……?」
自分の声と思えない程、酷くしゃがれていた。
「やっぱ久我センセーだ。懐かしー。何年ぶりだろ。元気だった? 凄い偶然だよね。超びっくり」
見た目は良いが軽薄そうな青年が親し気に近づいてきた。隣にいた桜華大の学生らしき彼女は、「じゃ、講義始まるから」と、構内へ入っていく。
「昨日彼女の家に泊ったから、送りに来たんだよね。まぁ、ホントは仕事に行くついでなんだけど。つーか、センセー遠くからでも直ぐわかったよ。背が高いから目立つよね」
聞かれてもいないことを一方的に話す根本に、久我は不快そうに目を伏せた。玲旺は久我の変化に気付いて心配そうに袖を引く。その姿が根本には、嫉妬しているように見えたらしい。
「ごめんごめん。彼氏さん妬いちゃった? センセー、今その人と付き合ってんの? めっちゃイケメンじゃん。でもまた一人で盛り上がって、いきなり部屋の鍵とか渡しちゃだめだよ? あれホント、ドン引きだから」
あははと声をあげて笑う。本人に悪気はないようで、本気でジョークのつもりらしい。久我の方は到底笑えず、一秒でも早くこの場から立ち去りたかった。
何しろ長年苛まれていたトラウマの原因は、彼なのだから。
ともだちにシェアしよう!