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せめてもの餞②

「会社の部下だ。勘違いするな」 「えー、じゃあまた遊ぼうよ。連絡先教えて? センセイかっこいいから、連れてるとみんな羨ましがるんだよね。気が向いたらまたセック……」  根本が言い終わるよりも先に襟首を掴んで捻り上げていた。 「もう、黙れ」  古傷を抉られるよりも、関係があったことを根本の口から玲旺に聞かせてしまうことが、はるかに耐えられなかった。 「な、何だよ。カンジ悪っ」  久我の手を払うと、根本は逃げるように走り去る。うんざりしたように深く息を吐きだし、久我は玲旺を振り返った。 「桐ケ谷、ごめん。俺は今日、とんでもない厄日みたい。帰りに事故でも起こして巻き込んだら大変だから、お前は電車で帰って」 「何言ってんの、一緒に帰ろうよ。車はどこ?」  玲旺は辺りを見回しコインパーキングに気付くと、そちらに向かって歩き出した。仕方なく車に玲旺を乗せ、エンジンをかける。  車を走らせてから少し経った頃、助手席から玲旺が唐突に「ねえ」と声を掛けた。 「さっきの奴って、昔の恋人?」  運転中の久我は玲旺の表情を見る事が出来ないが、声から察するに不機嫌そうだった。  久我はすぐに返事をせず、唇を噛んだまま思案する。勿体ぶるつもりはないが、「恋人」と言うには少し語弊があった。 「大学三年の時に家庭教師のバイトしてて、その時の生徒だよ。教えてるうちに恋愛関係になって、暫く付き合ってた。俺は真剣だったけど、あっちはそうじゃなかったみたいだから、恋人と呼んで良いのか解らないな」 「どういう事?」 「あいつが東京の大学に合格したから、それなら一緒に暮らさないかって部屋の鍵を渡したんだ。俺は先に就職で上京してたからね。でも、向こうはただの遊びだったらしくて……」  淡々と話していたが、その時の場面が鮮明に蘇って言葉に詰まった。今でも忘れられない。   心底呆れたような声と嘲笑。 『合鍵とかマジでありえねーんだけど。ってかゴメン、俺、本命いるから。つーか、フツーに考えてさぁ、こんな年の差で本気で付き合う訳ないじゃん? センセイ大人だし、体だけって割り切ってくれてると思ってたよ』  事もなげにそう言い放った彼にとって、久我は都合の良い道具かアクセサリーだったらしい。だからきっと、そんな言葉を吐いたところでこちらが傷つくなんて想像すらしていないのだろう。 『見て。俺のコレクション』  笑いながら見せられた根本のスマホには、ずらりと遊び相手の連絡先が並んでいた。名前の横にはそれぞれ星印がついていて、星の数によってランク付けをしていたようだ。 『久我センセーはお気に入りだったから星四つだったのに、残念だなぁ。でも同棲なんて重すぎでムリ! ま、最近マンネリ気味だったし? 丁度良かったかもね。じゃ、今日でバイバイってことで』  付き合っていた二年という月日も想い出も、久我が愛だと信じていたものをバッサリ切捨てて、根本は振り向くことなく立ち去った。  その後ろ姿に、どうしても玲旺を重ねてしまう。 「やっぱり年が離れてると空気感が違うよね。カルチャーショックもあるし、話題もズレる。きっと退屈で飽きられたんだろうな」  言いながら心の中で「桐ケ谷だってそうだろう?」と付け足した。どんなに好きだと言う気持ちが本物だとしても、いつ色褪せるかわからない。自分と玲旺の流れる時間の速さも違う。 「俺にとっては見慣れた日常も、若い子には新鮮で、毎日目まぐるしい変化があるんだろうな。俺は置き去りにされそうだ」

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