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*第26話* 郷愁

 翌日玲旺は職場に向かうため、観光地であるショッピングストリートを歩いていた。銀座に少し似てるなと感じた後、銀座がここをモデルにしたのだから当たり前かと、納得したようにポンと手を打つ。  以前は気にも留めなかった日本の面影をあちこちに探してしまい、鈍く胸を締め付けた。  カジュアルファッションブランドに、ハンバーガーショップのMの文字。意外と日本で見慣れた看板は多い。そうすると二階建ての赤いバスでさえ、どことなく日本のツアー観光バスに見えてきて困る。  暫く歩くと石造りの美しい建物が並ぶ中、一層目立つ木造建築の大きな建物が見えてきた。   そこはロンドンでも指折りの老舗百貨店で、いかにもイギリスらしい貴族的な優雅さと気品に包まれている。  吹き抜けを見上げながら、玲旺は今日から勤務する『Grace(グレース)』のテナントを目指し階段を上った。  グレースは元々イギリスの企業だったものをフォーチュンが買収し、業務を拡大させて売り上げを伸ばしてきたファッションブランドだ。  玲旺はグレースの店先で開店準備中の店員と思わしき男性に、遠慮がちに声を掛ける。 「おはようございます。今日からお世話になる、楠木(くすのき)玲旺です」  素性を伏せるため、母の旧姓を名乗った。男性は満面の笑みで「ああ!」と玲旺の肩をたたく。 「店長から聞いてるよ。今日からよろしくね、レオ。俺のことはNoah(ノア)って呼んで。とりあえず、最初はレジから覚えて貰おうかな。レジ打ちの経験はある? って、俺早口? 英語はわかる?」 「英語は大丈夫です。でもレジ打ちはちょっと自信ないかな、未経験なので。って言うか、接客自体が初めてです」 「そうなんだ」  そこで言葉を区切ったノアの顔には「じゃあ何でこの店で働こうと思ったの?」と書いてあるような気がした。  玲旺は無垢そうな顔で首を傾げてみる。この表情で切り抜けられる場面は多い。案の定、「まあいっか」とノアは二コッと笑ってからレジについての説明を始めた。 「最初は俺も隣でサポートするから、慌てなくていいよ。ここに来るお客様はみんな余裕があって寛大だから、新人にも優しいんだ」  その言葉に意気揚々と玲旺は頷く。  しかし開店後しばらく経っても、観光客が店内の商品を眺めるだけで、レジの出番はなかなか来なかった。旅先で衝動買いするには、少し値段設定が高いのだろう。  そもそもこの店のメインターゲットは観光客ではなく、ロンドン市民だ。  例えばカーディガン一枚で三万円程度の商品は、富裕層なら「この品質でこの値段は安い」と言って色違いも欲しがるし、若い女性は「これならどんな場所でも恥ずかしくない」と、選びに選んで自分に合った色を一枚だけ買っていく。  グレースの商品は、「富裕層の普段着」あるいは「庶民の勝負服」という認識が一般的に広まっている。

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