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*第28話* 禁断症状

 先に目を逸らしたのは月島だった。 「この前も……声をかけて貰えて嬉しかったのに、驚いちゃって上手く話せなくて。今日、また会えて良かったよ。やっぱり日本語で話せるっていいな。落ち着く」  何となく寂しそうな声色に、玲旺は立ち去るタイミングを完全に失くした。日本語が恋しかったのだろうか。それならもう少し会話を続けようかと、玲旺は新たに話題を振る。 「料理の修行で、なんでよりによってイギリスを選んだの? もっとあるじゃん。イタリアとかフランスとか」 「まぁ、そうだよな。俺、学生の頃は料理コンテストで賞を取る常連だったんだ。今では笑っちゃうけど、当時は天狗になっててさ。イギリスの飯は不味いってよく聞くだろ? どんなもんかって、完全に舐めてロンドンに観光に来たんだよね」  その時のことでも思い出しているのか、遠い目をしながら月島が笑った。 「ふらっと入った店の料理が、驚くほど美味かったんだ。有名レストランじゃなくて、家庭料理を出すような普通の食堂だよ。かなりの衝撃でさ。俺は今まで自分で確かめもしないで噂を鵜呑みにして、何やってたんだって。狭い世界で生きてたことに気づいた。だから、自戒も込めてこの街を選んだ」  話し終えた月島は、手にしていたグラスのシャンパンを煽って一気に飲み干す。そのグラスを持つあかぎれて荒れた指先は、日々の奮闘を物語っているようだった。 「目標ってあるの?」 「あるよ、もちろん」  玲旺の問いに、間髪入れず月島は頷く。 「レオにもあるだろ? わざわざ日本を離れてここにいる理由」  ただの雑談のつもりで放った問いの返答は、思いがけず玲旺に痛みをもたらした。月島に玲旺を傷つける意図は全くないだろう。玲旺自身でさえ、なぜこんなに急に苦しくなったのかわからない。 「うん。……あるよ、ここにいる理由」  新年を迎える浮かれた雰囲気の中、玲旺は実際にはない胸の傷跡をさすった。 「力を付けたい。追いつきたい人がいるんだ。その人のために今よりもっと、成長しなきゃダメなんだ」  痛む心臓を押さえながら、これは傷ではなく、ぽっかり空いた穴なのだと気づく。ここを塞ぐべきピースは一つしかないのに、どうしたって手に入らない。  息が上手く吸えなくなって、玲旺は口元に手を当てた。指先がわずかに震える。 「おい、大丈夫か?」  切れ長の月島の目は、心配そうに揺れていた。玲旺は頷きながら「大丈夫」と口にする。 「いや、全然大丈夫そうには見えねぇよ」  いきなりの禁断症状。ピンと張り詰めていた糸が「ここにいる理由」を問われて緩んでしまった。 「もっと……もっと勉強して、優秀な経営者にならなきゃいけないのに。でも、あとどれくらい頑張れば会えるんだろう。こんな甘いこと考えてるうちは、まだ駄目だって、わかってるのに」  ずっと閉じ込めていた弱音が、堰を切ったように溢れ出す。

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