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*第31話* 心の拠り所
「まぁね。ふわふわしてたのは、キミのせいだけじゃないけど。あの子はキミが日本に戻った後、どうするんだろうね。ちょっと心配になっちゃう」
「……眞のこと?」
表情を曇らせた玲旺は、月島がいるはずのカウンター奥へ視線を向けた。ここから厨房の様子はよく見えないが、懸命に仕事をこなす月島を想像する。
「お姉さんと暮らしていて、学生時代はここで過ごして土地勘もある。そんなキミでも心細くて人恋しくなっちゃうのに、全く馴染みのない場所へ単身乗り込んだ彼の孤独はどれほどだろうね? 多分、キミが思ってる以上に、彼にとってキミは心の支えだと思うよ」
月島と初めて会話した時を思い出す。確かに月島は、久しぶりに日本語が聞けて嬉しかったと言っていた。もしかしたら月島の方も、玲旺が日本人である可能性を考え、話しかけるずっと前から気にかけていたのかもしれない。
「眞は……同志だよ。大事な戦友」
「そうね。大事な戦友なら、なおさら流されないようにね」
「うん」
テーブルの上に置いた手をいつの間にか握り締めていた。珈琲はすっかり冷めている。
「キミはきっと、来年の秋には日本に戻ると思うわ。心積もりはしておいて」
手のひらに深く残る爪痕を見つめていた玲旺が、顔を上げて氷雨と視線を合わせた。区切りが見えた喜びと、それまでにもっと成長しなければと言う焦りが混ざり合って、玲旺の体を駆け巡る。
氷雨はゆったりした動作で手を伸ばし、玲旺の額を中指でピンと弾いた。
「痛って! 何すんだよ」
「なんつー顔してんのよ。焦る気持ちもわかるけど、出来る事を少しずつ増やしなさいね」
ヒリヒリする額をさすりながら、玲旺は頷く。
「うん、わかってる。足を引っ張るのだけは嫌だから」
「期待してるよ」
容赦ないなと思いつつ、気合を入れられたようで少しだけ体が軽くなる。
その後は互いの近況や他愛のない話で盛り上がり、冷めた珈琲ですら美味しいと感じた。
「あー名残惜しい。まだまだ話し足りないわ。でも、もう行かなくちゃ」
腕時計に視線を落とした氷雨が、残念そうにため息を吐く。
「国際列車 でパリに移動するんでしょ? 発着駅まで送るよ」
「発着駅じゃなくて、地下鉄の駅までで大丈夫。あんまり一緒にいると、キミを連れて行きたくなっちゃうから」
外に出ると本格的に日が暮れていて、豪華なイルミネーションに目を奪われた。
「氷雨さん。今日はありがとう。俺、色々ヤバかったからさ。今日はホント救われた」
氷雨は白い息を吐きながら、声を上げて笑う。
「仕方ないよ、キミは魅力的だからね。ヤバかったって自覚しただけ偉いと思うわ」
やがて地下鉄の駅に到着し、改札の前で氷雨は玲旺の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。
「じゃあまたね。大丈夫、自信もって。キミはちゃんと成長してるよ」
「氷雨さんと並んでも遜色ないように、これからも本気で頑張るよ。……氷雨さんも俺の大事な戦友だからね」
「キミは本当に煽るのが上手いなぁ。そんなこと言われたら、僕だってもっと頑張ろうって思っちゃうじゃない?」
じゃあねと立ち去る氷雨の背中を、見えなくなるまで眺めていた。もう少し話したかったなとか、また会いたいなとか、楽しかった記憶で体がいっぱいになる。
月島もこんな気持でいつも見送っているのかもしれないと思った時、コートのポケットでメールの通知音が鳴った。
差出人は月島だ。
『今年もうちの店でやるカウントダウンパーティー来るの?』
わざわざ今日このタイミングで確認しなくても良い内容のメールに、玲旺は胸を締め付けられながら「行くよ」と返信した。
月島の短い文面の中に、不安のようなものを感じ取ってしまう。
友人として、心の拠り所にされるのは全く構わない。むしろ頼ってくれとさえ思う。でもその先は応えられない。
『じゃあ、そん時会えるな。またね』
すぐに返ってきたメールを見て、スマホを再びポケットにしまった。
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