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「あ、そうか。生徒の名前は言ってなかったんだ」 「はい……俺が聞きたくなくて、名前は伏せてもらってました」 生徒と教師の恋愛。ドラマみたいなその関係。その全てが悪いものとは思ってないし、お互いが本当に好きならいいだろうと思ってる。でも、あまりにも身近だとその生徒への見方も変わってしまう気がした。だからズッキーは仕方無いとして、その相手生徒の名前は明かさないよう俺が言ったんだ。なのに、関係が終わった直後に口を滑らせるなんて……。 「あー……じゃあ今のなし。忘れてくれ」 「そんな都合よくっ……」 「集計も終わったし、そろそろ帰れよ。外暗いぞ。ぁ、寮まで送ってやろうか?」 「いらんわ」 「ははは、じゃあな、また明日」 「……うーす」 軽い挨拶をして、微妙な気持ちのまま教室から撤退した。 伏せてって言ったのは俺だけどさ……終わってから知るこの衝撃。裕太って……千田 裕太、だろ。あの天使だろ。癒してほしい時に現れる超可愛い子だろ。まさか、ズッキーの相手が千田とは……。 寮のエレベーターホールで、エレベーターのボタンを押して暫し待つ。 人を見た目で判断しない子……外見超可愛い上に、性格まで素晴らしい。あれほどの容姿なら、ズッキーには失礼だけど、もっと上を求めても…………なんて、そう考えた時点で俺は最低ですね。 余所事を考えていると徐々に近づいてくるエレベーター。 エレベーターがもう間もなくこの1階に到着しようという時、お喋りする集団の気配が近づいてきた。 「えー夏祭り行かないのー?」 「一緒に行きたいよー!」 「一緒に行けると思ったから、家に帰るのもやめたのに」 もう夏祭りのお誘いをしているらしい。数人から誘われるなんて、随分モテモテな奴だな。 「そんなの頼んでないよ。今からでも帰る準備したら」 げっ……。 塩対応の声の主に、俺は気持ちが曇る。こっちに声が近付いてきてるってことは、エレベーター利用ってことだよね。あと数秒早くにエレベーターが着いていれば、逃げ切れたんだろうなぁ…… 「……あっ!なりちゃんっ!!」 見つかって(そもそも隠れてないけど)、タックルに近いハグをされる。 「……痛いっすよ東舘さん」 「相変わらずクールだねぇっ」 ハグをやめ、肩を組まれる。東舘さんを取り巻く、ファンの視線が痛い。 到着したエレベーターの扉が開く。 こんな人でも生徒会副会長様。エレベーターの扉を抑えて、東舘さんに乗るよう促す。副会長様と御一緒するなんて滅相もない。 「あれ?乗んないの?」 「お先にどうぞ」 周囲の雰囲気見りゃ分かんだろ。この圧のなか、どんな奴が一緒に乗れるわけ? 「大丈夫だよ、なりちゃんのことはみんな知ってるから。一緒に乗ろぉ?」 「嫌です」 あんたが牽制するから彼らは何も言わないだけで、腹のなかに抱えているものは計り知れない。知りたくもない。 「……あのねぇ」 頑なに動かない俺の耳元に口を寄せた東舘さんは、周囲に聞こえないようボソリと呟いた。 「藏元くんと一緒にいない理由も聞きたいんだけど?」 「!」 予想外の言葉に踏ん張りを緩めてしまい、その一瞬の隙にエレベーターに引き摺り込まれる。ある種の、恐怖映像みたいに。 「ばいばいみんなぁまた明日ぁ」 「ちょ、助けっ……!」 俺の抵抗も虚しく、ファンの苦笑いの見送りをもらって、扉は閉まった。 「……最悪」 「えー?」 呑気な声も、またムカつく。 ……まぁとにかく、乗ってしまったら仕様が無い。今後どうしようか考えよう。 ため息を吐いて階数ボタンを押した直後、両腕を引っ張られて、視界が歪む。 ゴォンッ 鈍い音がエレベーター内に響く。背中と後頭部が地味に痛い。 「……地震感知器、誤作動したらどうすんすか」 東舘さんに両手首を掴まれ、壁に万歳の状態で押さえつけられている。 今度は何?これは一体、何の真似ですか? 「あいつと一緒にいないのは、なぁんで?」 「……はぁ?」 藏元の話はしたくない。あんたに話す事でもない。 「俺は嬉しいけどね。でも、何かあったのは確かでしょ」 「別に。ずっと一緒にいるわけじゃないし」 「……なりちゃんて、ほんと危機感ないよね」 「は?」 「この状態で何も思わないの?」 「……」 「ノンケだからって油断しすぎ。俺にチューされたの覚えてる?」 「っ……ぁ、れは………………事故っす」 「事故?」 「はい。ぶつかっただけです」 「誰としても、そう思えるわけ?」 「…………」 「そんな隙だらけで考え浅いなりちゃんには、とーっても強力なお守りあげるね?」 「浅いってあんたには言われたくない…………ぇ、なに、ちょ……?近いっ!東舘さんっ!?」 近づいてくる東舘さんの顔。この光景が藏元の時と重なって、慌てて顔を背ける。 「無理っ!いやだっ!」 顔を背けた先、階数画面が2から3に替わった。やった!脱出できる!と思った次の瞬間、首に激痛が走った。 「っ!!??」 声にできないほどの痛み。 激痛の原因が理解できないでいた俺の耳に聞こえてきた、ちゅっ、という艶かしい音。 「……ふふ。」 愉しげに、意味深に笑う東舘さんに寒気を感じて本能的に思う。逃げなければ。 「……はなっ、せっ!!」 力一杯振り切って、開いた扉から飛び出して東舘さんから少しでも離れようとひたすらに廊下を走り抜ける。 ガタガタと震える手を無理矢理に働かせて自室のドアを開けて逃げ込んだ。 ドアの閉まる音で一気に緊張から解放された俺の体はその場にストンと座り込んで、膝を抱えて丸まった。 荒い呼吸を必死に整えようとするけど、俺はそこまで大人じゃない。恐怖と動揺が収まらない。ドクドクと脈打っているような首の痛みがそれを更に増強させる。 恐る恐る、痛みを主張するそこに手を当ててみた。 「い゛っ……!!」 ビリッとした痛みに襲われた。 噛まれたんだ……俺……。こんなっ……噛み痕なんて…… 「もう……まじ最悪だっ……」 震える肩を抱いて、暫くそこに踞った。

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