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第3話

「予約客にドタキャン食らってムカついてたけど、早上がりしたおかげで面白い人に会えたな。俺、山岸っていいます。で、とうま」 〝透真〟と空中に綴る指の動きがきれいだ。つまりフルネームは山岸透真らしいが、通りすがりの青年が唐突に自己紹介をはじめるとはケッタイな展開だ。  望月は涼やかな目許に警戒の色をにじませつつも、会社員の習性で名刺を差し出した。 「申し遅れましたが、こういう者です。今後とも弊社をお引き立てくださいますよう」 「へえ、オオトリ化学っていったら一部上場の医療機器メーカーじゃん。そこの係長さんのわりには、貧乏くさい恰好してない?」  山岸は小顔で目がくりっとしていて、いかにも今風の整った顔立ちだ。身長は望月よりわずかに高い程度だが、手足がすらりと長くて八頭身に近い。それに量販店のスーツ姿の望月と違い、凝ったデザインのジャケットをさらりと着こなしている。  ストールを上手にあしらっているあたり、仕事はアパレル関係だろうか。いずれにしても自分とは真逆の人種だ。  望月はそう結論づけて、眼鏡をひといじりした。そして、その可能性に思い当たってじりじりと後ずさる。  山岸は、実は悪徳セールスマンなのかもしれない。カモを捕まえるべく網を張っていたところに引っかかったのが、自分かもしれない。   悪用される恐れがある名刺を取り返し、法外な値段の壷や絵画を売りつけられる前に逃げるに限る。いかんせん名刺は財布にしまいこまれたあとで、そのうえ肩に腕が回された。 「割り勘で飲みにいこ。フラれたときはヤケ酒を飲むのがセオリーっしょ」  山岸は人なつっこい反面、押しが強い。居酒屋のテーブルを挟んで向かい合い、乾杯、と生中のジョッキを掲げ合うまでは、あれよあれよという間の出来事だった。  加えて山岸はコミュニケーション能力が高い。熱心に相槌を打つ彼に乗せられる形で、望月は赤っ恥をかくに至った事情をかいつまんで話した。

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