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第21話

 いません、いないっすよ、お役に立てなくて……。リストにバツ印が増えるにつれて横顔が愁いを帯びていき、電話番号をタップする指づかいはぎこちなくなる。  眼鏡を外して鼻梁を揉んだ。やはり名前も、そうと称した職業もデタラメだったのだ。どこの馬の骨とも知れない野郎に犯られたヌケ作、それが望月誠二という男なのだ。  やぁい、だまされた、と山岸があっかんべをするさまが目に浮かぶと、かえって意地になった。  東京中の美容院に問い合わせる覚悟で電話をかけつづけること三十四軒めにして、 「お電話代わりました。山岸です」  朗らかな声が耳朶を打つ。ようやく当たりくじを引いたと確信した瞬間、ローテーブルの角に膝をぶつけながら立ち上がっていた。  舌がもつれる。もしもし、と訝しげに呼びかけてくるのに対して、精いっぱい凄みを利かせて核心に切り込む。 「先日、えらい目に遭わされた望月です」  はっ、と息を呑む気配が伝わってきた。 「心に染まぬ意味で、その節はたいへんお世話になりました。ところで、そちらさまが全額負担する意思をみせたホテル代なのですが、当方が年上だということを勘案すれば三分の二をこちらが出すのが妥当と思い、差額分をお返ししたく連絡をさしあげた次第です……というか、ド畜生が」    スマホを握る手は汗ばみ、かたや山岸は無言を貫く。 「よくもナメた真似をしてくれたな。てめぇ、ぶっ殺すぞという心境で……」 「予約入れとくから月曜日の仕事帰りに髪を切りにおいで」  行くつもりなど、これっぽっちもなかった。なかったのだが、会社を出ると自宅とは逆方向に向かう電車に乗ってしまった。  気分は吉良邸に討ち入る赤穂浪士さながらだ。ただしホームページで住所を調べたさいに嫌な予感がしたとおり、山岸の勤め先は洒落た店が建ち並ぶ一角にあった。  南欧風の瀟洒(しょうしゃ)な店構えだ。通りに面して窓を大きくとってあって、活気に満ちた店内の様子が窺える。臆し、意を決してドアを押し開けると同時に回れ右をしかけた。  通勤鞄を抱え込んでドア口に立ち尽くす。アウェイ感がすごいどころの騒ぎじゃない。間違っても、替えズボン二本つきのスーツ姿で来てはいけない類いの店だった。

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