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第39話

「秘書室に行ってきます」  専務付きの秘書を拝み倒して本人に取り次いでもらい五分、時間を確保した。 「元旦には滝に打たれることで心身ともにリフレッシュするというくだりなどたいへん興味深いのですが、他の役員の方々との兼ね合いというものがございます。玉稿に手を入れていただくのは心苦しくてならないのですが、なにとぞ斟酌していただけますよう……」    ごねるのを平身低頭で説得にこれ務め、了承を得てひと安心といくまでには、宮仕えの悲哀をどっぷりと味わう羽目になった。  総務部に戻る途中、資料室に寄った。就業中に私用でスマホをいじるのは、もっての外。その主義に反して履歴を確かめて、がっかりした。  今日は火曜日、山岸は休みで、何かメッセージを残しているかもしれない、と淡い期待を抱いた自分をぶん殴りたくなる。  社内報のバックナンバーをおととしの分まで遡って、参照すべき点を抜き書きしていく。その間も、ちらちらとスマホを見てしまう。  山岸は、今ごろ遊びに出かけたのか。それとも雑誌の撮影あたりに同行して、アナクロい言い方をすればカリスマ美容師だという店長のアシスタントを務めているのだろうか。  山岸は愛嬌があって、今風のイケメンで、見た目に限っていえば極上の部類に入る。女性モデルにモーションをかけられて、解散後はお茶をしにいくという流れになるかもしれない。  それどころかホテルにしけ込んで、乳繰り合うなどということもありうる。  心臓に錐を刺し込まれたような胸苦しさに襲われて、膝をついた。社内検診ではどの検査項目も余裕でパスして健康体と太鼓判を押されたのに、いつの間にか病魔が忍び寄ってきていたのだろうか。  山岸と美女のツーショット。  それが妄想の域にとどまらず、3D映画のような立体感にあふれて視界いっぱいに広がると、原因不明の胸の痛みがますますひどくなる。幻影の類いに体調を左右されるのは、初めての経験だ。  産業医に診てもらうべきだろうか。ネクタイをゆるめて書架に寄りかかった。と、折しも山岸がLINEしてきた。  以心伝心か、と独りでに顔がほころぶ反面、動悸がいっそう激しくなる。それはさておき、ことさら時間をかけて通信アプリを開いたとたん、スマホを床に叩きつけたくなった。

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