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第46話

 ところが唇が合わさる寸前に山岸が顔を背けたために、空振りした。くやしまぎれにことさら肩をそびやかして反転すれば、ウエストに腕が巻きついてきて抱き戻されるとともに唇をついばまれた。  どこまで、おれを翻弄すれば気がすむのだ。望月は柳眉を逆立てると山岸の胸板に両手をつっぱり、そのくせ口角を舌でつつかれると、誘いかけるように唇の結び目がゆるむ。唇と唇の狭間で舌がかち合うと鼻にかかった声が洩れて、それが気恥ずかしい。 「ん……」  舌をたぐり寄せて、軽く嚙んで返されて、覇権を争うように互いの口腔を荒らして回る。額までずり上がった眼鏡を直すのなんか後回しにして、ひたすら舌を貪り合う。  火の用心、と拍子木を打ち鳴らしながら消防団がマンションの前を通り過ぎる。  いや、真に用心すべきものは山岸だ。望月は大急ぎでキスをほどいた。そしてうっかり唇が恋しくなる前にドアを開け放つと、共用廊下に顎をしゃくった。 「きみが立ち去りしだい、お清めの塩を撒くことにする。理由は言わなくてもわかるな」 「人をバイ菌扱いして、泣くよ。暴言は許したげるから金曜、ドタキャンはなしだよ?」  山岸は、ふてくされたふうにエレベータに急ぐ。ケージに乗るまで向こうを向きっぱなしだったくせに、扉が閉まるまぎわにくるりと振り返って投げキッスをよこした。  しんしんと冷え込む。おまけにワイシャツ一枚の薄着だ。にもかかわらず望月は共用廊下にたたずみ、遠のきゆく靴音にいつまでも耳をそばだてつづけた。

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