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第55話
「要するにさあ、俺を独占しそこねてがっかりして、で、逃げたわけ? ひがみっぽい三十男なんてキモくて、ひくね」
残忍、と評したいような手つきでネクタイの結び目をまさぐられた。望月は力任せにその手をはたき落とし、一転して蒼ざめた。
「手は美容師の命だな。すまない……」
そう言って深々と頭を垂れると、ネクタイをたぐり寄せる形で仰のかされた。
「仲間はずれが淋しいって、しょんぼりしてる誠二がかわいくて勃ちかけて大変だった」
耳たぶを食みながら熱っぽく囁きかけてきたついでに、耳殻の溝をひと舐めしていく。
「白状すると、ムカついてることがあって意地悪しちゃったんだ。ゆうべ、うちの店を覗きにきたときに男が一緒だったよな。あいつ、誰? すっげぇ馴れ馴れしくなかった?」
「同期入社の同僚で最近、親しくなったんだ。けれど山岸くん、きみにおれの交友関係に干渉する権利はないぞ。それより置いてきぼりはアミちゃんとやらに失礼だ、店に戻れ」
「権利があるかないかは俺が決める。っていうか学習能力なさすぎ。あの男が望月さん狙いで迫ってきたら、どうするわけ?」
ぎりり、と口辺に嚙みつかれた。田所に乗せられた面はあったにしても、制裁を加えられるのは山岸のテリトリーを荒らした報い。自業自得、と頭では納得しても感情がついていかない。望月は、しゃがんで腕の輪から脱け出した。
すると山岸は大げさに背中を丸めて、こう言う。
「寒。誰かさんを追っかけるの優先で、上着を着る余裕がなかったんだ」
温めてくれと、ねだるふうに抱きついてこられた。ほだされるものか、と望月は荒々しく身をもぎ離すなり通勤鞄を拾いあげ、
「凍死しようが自己責任だ」
ぴしゃりと言って立ち去りかけたものの、続けざまにクシャミをされると良心が疼く。ため息交じりに踵 を返し、群れからはぐれた仔鹿のように頼りなげに見える躰をそっと抱き寄せると、打って変わって邪慳に突き放された。
「って感じに飴と鞭を使い分けてメロメロにさせるのがツンデレの基本パターン。ベタなやり方だけどイチコロなんだな、相手がウブいと。嫁さん候補とかで試してみれば」
そう、うそぶいてにんまりする山岸の姿がぼやける。望月は眼鏡をずらすと目にゴミが入ったふうを装って、不覚の涙に濡れる睫毛をぬぐった。
そして身を翻した。路地を駆け抜け通りに出ると、タクシーに飛び乗った。
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