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第59話

 髪の毛をひと房、指に巻きつけた。栗色に染められた髪が本来の黒髪に戻るにつれて、山岸に関する記憶も薄れていくはずだ。  そう、彼との関係を断ち切りさえすれば、男に犯られたひとコマは黒歴史として葬り去られる。来年の今ごろには、山岸? 誰だっけ? と、きょとんとしていることだろう。  宵闇が迫り、だがカーテンを閉めに立つのすら億劫だ。  透真……呟くと甘酸っぱいものが胸に満ち満ちてくる。次の瞬間には、あの奸物め、と舌打ちするありさまだった。   眼鏡をずらして瞼を揉んだ。ストレス解消にもってこいと聞いて涙活とやらを試してみたことがあるが、泣けると評判の小説を読んでも一滴の涙もこぼれなかった。  なのに事、山岸がからむと情緒不安定になる。心の中のいっとう奥まった領域に踏み込まれるような状況にうろたえどおしで、うだうだと悩んでばかりで、いい年をして思春期レベルだ、と自分で自分が嫌になる。  繁忙期の日曜日とあって、今ごろ山岸はてんてこ舞いの忙しさだろう。それでも如才のない彼のことだから、ばりばりと仕事をこなしているに違いない。望月に代わるオモチャ、と標的に定めた婦女子をたぶらかしにかかっているかもしれない。  喧嘩別れをした夜以来、なんの音沙汰もない山岸の動向を摑みたければ、彼がマメに投稿しているインスタグラムを見るのが手っ取り早い。  今朝は〝欲しいもの〟と題して眼鏡の画像をアップしていて、投稿に費やす時間はあっても望月のことは顧みないということは、要するに望月で遊ぶのに飽きたのだ。 「コーヒーでも淹れるか……」  よっこらしょと、わざと声に出しながら起き上がったせつな、スマホが振動した。上着の内ポケットを引きちぎる勢いで、そこに入れっぱなしだったスマホを取り出したものの、パネルに表示されているのは〝田所〟。 山岸が電話をかけてきたのかも、と一瞬でも期待した自分は世界一の大馬鹿野郎だ。

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