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第76話
「聞いたぞ、昨日の武勇伝。うちの部長をとっちめたんだってな、やるなあ」
「おれのサラリーマン人生は終わりです。田舎に帰って百姓でもやりますよ」
望月は乾いた笑い声をあげた。
「お遍路さんになるのもいいかもですね」
「ヤケになりなさんな、正論を吐いた社員を罰するわけないさ。うちの部長はパワハラ傾向が強いからね。ぎゃふんと言わせた勇者がいるって、陰じゃ、大絶賛だ」
特に俺、と鬚 をひと撫ですると、うってかわって案じ顔になった。
「元気ないな。もしも不当人事なんてことになっても組合に訴えて一緒に闘おう」
「ミソをつけたのは自業自得なので、処罰されてもあきらめがつきますが……」
空き缶を握りつぶした。
「例の知り合いが恋の虜になってしまったみたいで。ただ相手が問題児なので、自分の心の変容ぶりに納得がいかなくて……」
「躰からはじまる恋ってのはザラにある話だ。小難しく考えるより肝心なのは、ここ」
心臓の真上をぽんと叩かれた。
「ハートの問題」
ハート、と鸚鵡返 しに呟くと、望月は胸を押さえた。透真、と呼び捨てにしてほしいと言われたとき少なからず……いや、かなりときめいた。彼が女性と仲よくしている現場を目の当たりにすれば腸が煮えくり返る反面、切なさを覚えた。
それは、なぜだ?
山岸との親密度が高まれば心が浮き立ったのも嫉妬したのも、恋の前駆症状というやつではないのか? 潔く認めたらどうだろう。山岸に恋をしている──と。
田所がスマホの画面で曜日を確かめた。
「おあつらえ向きなことに火曜日か……よし、ひと肌脱いであげよう。楽しい店につれてってあげるから、定時であがる方向で」
その数時間後、裏通りにひっそりとたたずむバアに案内された。間口は狭いがウナギの寝床のように奥行きがあり、カーテンで仕切られた通路の向こうには小部屋が並んでいる造りに望月はいたく好奇心を刺激された。
田所とカウンターに並んで座るのも待ちきれず、ウッディなフロアを見回した。
ボックス席で寄り添う男性のふたりづれや、人待ち顔を扉に向ける青年が、親しみのこもった会釈をよこす。望月はいちいち律儀に頭を下げて返すと、今さらながら首をひねった。
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