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第86話

 東の空が白むころ、情欲に彩られた嵐がようやく過ぎ去った。  望月は息も絶え絶えにベッドを離れた。玄関先に投げ出されたっきりだった通勤鞄をよたよたと取ってきて、 「何日か早いがバレンタインおめでとう」  ハート柄の包装紙で包まれた箱を山岸に差し出した。それには〝祝・ばれんたいんでぃ〟と墨痕鮮やかな熨斗がかかっている。  ひと工夫凝らせば冗談という印象が強まり、男が男にチョコレートを贈っても変じゃない、と知恵をしぼった結果がこれだ。 「できれば、あげたいと思って持ち歩いていた。無駄にならずにすんでホッとした」 「熨斗って熨斗って……お歳暮かよ」   山岸は笑いころげた。急に真顔になると、ステンドグラス風の台座が美しいスノードームをチェストの抽斗(ひきだし)から取り出して、 「バレンタインに渡すつもりで作ったやつ」  手錠の痕が残る手を摑み寄せた。  望月はスノードームを天井灯に翳し、七色のパウダーがきららかに輝くさまに見惚れた。プレゼントされるのはこれで三つ目となるスノードームは、こんな一情景を描いたものだ。 〝鋏をたすきがけにしたミニチュアの狼が、眼鏡をかけた羊に膝枕をしてもらってご満悦の体〟。  山岸が甘えたい放題に甘えてくる未来を暗示しているようで、うれしい反面、恐ろしい。 望月はワイシャツの皺をできるだけ伸ばし、手錠にこすれてできたミミズ腫れをさすった。  と、キスマークがちりばめられた背中に山岸が抱きつき、赤みを帯びた耳たぶを食んだ。 「スノードームってさ、ひとつの完成された世界じゃない。誠二のこともよそ見をするのは許さない感じに束縛するから覚悟しなよ」 「ふつつかものだが末永く頼む……物騒に硬いものが尾骶骨にあたるのだが?」 「ん? 永久不変の愛を誓ってもう一戦」 「会社に遅刻する。勘弁してくれ!」  全力で叫んでみたものの、虚しい。山岸のために誂えられたように蕩けきっているそこは、それを迎えてはしゃぐ。  区民プールで泳ぐ回数を増やして体力の増強に努めよう。望月は嘆息交じりにそう独りごちたあとで、晴れやかに笑った。

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