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10話-2 ロール・プレイング
「あなたが笑ったら本末転倒じゃないですか」
「ごめんごめん、でも似合ってるよ。いつもと雰囲気変わるね」
「ありがとうございます。あなたが選んで下さったものは全部嬉しいです。ですがこの革のパンツは実用性には欠けますね……生地が伸びないから、座ることもできないでしょう」
「そ、そうなんだ。ごめん知らなくて」
「謝る必要はありません。このファーのジャケットも可愛いです。ただ手入れのことを思うと、身につける機会という意味では少々――」
「い、いや、俺はただ君が着てるところを見たかっただけというか……もう満足だから」
「そうですか? でもこのライダースジャケットはいいですね。ちょっと厳 つい雰囲気が気に入りました」
入谷はそう言いながら白いジャケットを脱ぎ、深い赤紫色をしたライダースジャケットを羽織る。普段の装いは彼の美人ぶりを引き立てているものが多いが、今着たそれは入谷から格好よさを引き出しているように見えた。男っぽさが増した恋人を間近で見て、つい胸がときめいてしまう。
髪を意図的に掻き上げながら、どうかしましたか?と訊いてくる入谷は、俺の内心などお見通しなのだろう。
元の服装に戻った恋人が、たくさん服の入ったかごを手ににっこり笑う。俺が選んだのとは比べ物にならないアイテムの数で、二個のかごがいっぱいになっている。
「さて、ファッションショーの開幕ですね。覚悟して下さいよ」
口元を弓形 に引き上げる入谷の目が、どことなくギラギラと輝いて見える。
彼がまず手渡してきたのは、朱色に近い鮮やかなオレンジ色のダウンコートだった。
「ちょっと派手じゃない……?」と躊躇するものの、入谷は「まあ、物は試しです。いいから着てみて下さい」とぐいぐい来る。半信半疑のままそれを羽織ると、鏡に映った自分の姿は、不思議なことに案外しっくりと馴染むものだった。
「意外といけるでしょう?」
こちらの思考を読んだかのような入谷の言葉。
俺は素直にすごいと感じていた。自分より彼の方が、俺のことを理解してるんじゃないだろうか。
それから試着は怒涛のように続いた。数着のアウターの後はハイネックを着たり、総柄の個性的なシャツを着たり。そのどれもが俺の発想にはないものばかりだった。
「次からはボトムスですね」
目まぐるしい着脱に半ばぼんやりしてきたところへ、入谷が何やら含みのある呟きを漏らす。そして、俺の耳元で囁いた。「脱ぐの、手伝いますよ」と。
「え……?」返事を待たず、後ろから腰を抱えるようにベルトへ手が伸びてくる。タイミングを狙っていたとしか思えないスピードに、俺は慌てるばかり。
見えないはずなのに、入谷の器用な手は有無を言わさずベルトを寛げにかかる。カチャカチャという金属音がなぜだかいやらしく響く。
「待って、自分でやるから」
「どうぞ遠慮なさらず」後ろから届く声は楽しげだ。
「遠慮じゃなくて……! 自分は見るなって言ってたのに――」
「僕だって、あなたに手伝うと言われたら受け入れていましたよ?」
「き、詭弁だ」
そのうちに入谷の指先がパンツと下着のあいだに入ってくる。嘘だろ、と思うのと同時に肩がびくりと跳ねた。
こんなところで、正気の沙汰じゃない。薄い仕切りの向こうに、今まさに誰かがいるかもしれないのに。目隠しのカーテンが開けば、痴態のすべてが曝け出されてしまうのだ。
ふ、と入谷が笑う息が首筋にかかった。
「おや。気のせいか、少しばかり固いような?」
「紫音くん、駄目だって……」
「本当に? なら力づくで止めればいいじゃないですか。どうしてそうしないんです?」
「……っ」
淫靡な会話のあいだにも、入谷の指は陰茎全体を掌でこねるように刺激し続けている。自分の息が熱くなっているのを知覚するが、止めようがなかった。
いけないと思うのに、入谷に触られるとすぐ気持ちよくなってしまう。彼の指先は本能まで届き、弄 び、俺をただの動物に変える。
「ねえ。この前、どうして途中でやめたんです?」
手をねっとりと動かしながら、低く入谷が囁いた。
ぼうっとし始めている思考では、言葉の意味が上手く推し量れない。
「この前って、なに……」
「オフィスセックスした日のことですよ、柾之さん。僕はビール一缶で前後不覚になるほど酔ったりしないのに、あなたは途中で帰ってしまいましたね」
「あれは……でも」
「分かっています。僕のことを考えてやめたのでしょう? あなたの倫理観がしっかりしてるところ、好きですよ。でもね」
――本当はあの後、めちゃくちゃにしてほしかったんです。
いっそう低く密やかな囁きは、俺の心をどうしようもなく揺さぶった。腰に力が入らなくなり、片手を眼前の鏡に伸ばしてなんとか体を支える。はっとして前を見ると、俺たちが演じている醜態が三面にしっかり映されていた。別の生き物みたいな、入谷の蠢く手。煽られていた体温が一段と熱くなる。
「ですから今、溜まっているんですよ。あなたのこれが欲しくて」
どんどん熱く、大きくなっていく昂りを握りこんで、入谷が言い募る。
「ほら、見えるでしょう。あなたの腰、揺れてますよ。倫理面はしっかりしてるのに流されやすくて、いやらしくて、可愛い人だ」
「……っ」
「本当はお好きなんでしょう? 人目に触れそうな場所で、いけないことをするのが」
慈悲深くも意地悪くも聞こえる入谷の声音。
違う、好きなわけがない、とふるふる首を横に振る。俺はアブノーマルな性癖など持たないただの凡人だ。そのはずだった。入谷に出会う前までは。
けれど言えなかった。声を出したらあられもない喘ぎ声が漏れそうで、怖かったから。
「柾之。僕の可愛い人……」
「……ッ!」
入谷の掌が、昂りの尖端をぐりぐりと転がすように刺激してきて。
耐えきれなかったものが、下着の内側で弾けた。お漏らしのような量の、それ。
――やってしまった。こんなところで。
「紫音くん……今のはさすがに、やりすぎ……っ」
息も絶えだえに振り向いて抗議すると、入谷は存外驚いた顔色をしていた。すぐしゅんとした表情になり、すみません、と口にする。
「そこまでするつもりじゃなかったんです。本当です……。僕が責任を持って綺麗にしますから」
「責任、って」
「ここじゃ無理ですから、先に最寄りのトイレの一番奥の個室に行っていて頂けますか? 下着を調達してから向かいます」
「……分かったよ」
「合図として三回ノックします。僕だと分かるように」
力なくうなずいて、俺は汚れた下着の上にパンツを引き上げた。そのまま脱力したようにふらふらと試着室を出る。粘液で濡れた下半身は不快だったが、現状では打つ手がない。
男子トイレを探して奥の個室に入った。図ったように人がいない。すぐにでも下着を脱ぎたかったが、入谷が来たときに下半身を露出していたら変態だと思われそうなので我慢する。早く来てくれ、と願い続けて数分が過ぎる。その数分間が数十分にも数時間にも感じられた。
やがてコツコツという靴音が近づいてきて、扉の向こうで止まると、安心感で血が沸くようだった。
響く二回のノックの音。
反射的に指先が解錠しようと動いて、待てよ、と理性がそれを制止する。入谷はさっき、ノックを三回すると言わなかったか?
――このドアの向こうにいるのは、本当に入谷か?
にわかに緊張が全身を包む。指が強ばり、中途半端な格好で固まった。自分の鼓動の音が耳に雪崩れこんでくる。
どうすればいい。どうするべきなんだ?
永遠に引き伸ばされたかと錯覚するほどの、一瞬の逡巡。
そののちに、今度はしっかり三回ドアが鳴らされた。
俺は息急 ききって鍵を開ける。悠然とした様子の入谷が、するりと身を個室に滑りこませた。
「ドキドキしましたか?」
「生きた心地がしなかったよ」
ほ、と息をついて正直に白状する。こうやって翻弄されても、入谷の涼やかな顔を見ると怒る気になれないのはどうしてだろう。これが惚れた弱みってやつなのか。
入谷は個室の奥にいた俺と位置を変わり、壁に設置されている棚に荷物を置く。そして俺を真正面から見据えて目を伏せた。
「さっきはすみませんでした。柾之さん、許してくれますか?」
「別に、元から怒ってないから」
微笑してみせると、入谷もほっとしたように相好を崩した。
「では、綺麗にしますね。あなたは立っていて下さるだけでいいので」
入谷が便座に腰を下ろすと、ちょうど俺の股間に彼の頭が近づく格好になる。おもむろに伸びてきた指がベルトを外し、柔らかくなった陰茎を外へと取り出す。どうするのかと見ていると、入谷は精液まみれのそれに、躊躇なく舌を這わせた。
責任を持って綺麗にするとは――こういうことか。直接的な刺激に体が反応し、血流が下半身に集まっていく。
ぺニスを舐 り回した入谷は口を離すどころか、楚々とした印象のある唇をぱくりと開け、昂りを一気に深く咥えこむ。
「し、おん……くん……!」
そこは熱くて濡れていて、全体を包むように吸い付いてくるのがたまらない。強すぎる快感に腰が抜けそうになる。熱の名残りを保っていたそこはすぐに快感を得て、恋人の口の中でむくむくと膨らんでいく。
入谷は俺の腰を抱えこむようにして、喉の奥まで使ってぺニスを咥内に収めた。自分の腰も無意識に前後に動き、昂りを何度も何度も最奥へと擦り付ける。入谷の舌は自在に蠢き、俺の快感を的確に引き出していく。伏せられた睫毛の震えは繊細なのに、どうしてこうも大胆な行為ができるのだろう。
ああ、もうそろそろ出そうだ、とせり上がってくるものを感じたとき。
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