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11話-3 ストレンジ・アライアンス

「あ、いや……うん。ええと、このことは――」 「絶対に誰にも言いませんから」  顔を伏せたまま、常葉が言葉尻を待たず断言する。まだ混乱のさなかにいたが、ひとまず俺は胸を撫で下ろした。常葉は本心が読めない男ではあるが、俺の知る限り悪意のある嘘をついたことはない。  それにしても、昨日彼と目が合ったと感じたのは本当に一瞬だったはずだ。あの瞬きのような時間で、俺と入谷が恋人だと看破したというのか。そんなに俺たちの関係は分かりやすいのだろうか。  常葉がずっと頭を下げたままなので、「常葉くん、顔上げて……」と促すと、後輩はやっとそろそろと姿勢を直す。整った容貌に浮いているのは、神妙をもっと濃縮したというか、思いつめた表情だった。  手元あたりに落とされていた常葉の目線が、いきなりふっと上向いてこちらを捉える。その揺るぎのなさに暫時:気圧(けおされた。改まった口調で「橘さん」とまた名を呼ばれる。  そして。 「できたら一回、会わせてくれませんか? 入谷さんに」 「えっ!?」  予想もしていなかった要望につい声が高くなる。まさに爆弾に等しい動揺を与える発言だった。  慌てて周囲を見るが、誰もこちらには注目していないようだ。少し安堵しつつ、再び常葉に向き直る。相手は俺の出方をじっとうかがっていた。その顔からはいつも通り、感情らしい感情は読み取れない。  会社の先輩の恋人に会いたい、という希望。それはどういった気持ちから来るものだろうか。想像しようとしても、雲を掴むような話でまったくイメージができない。  常葉は何かに思い至ったように、体の前で両手を広げた。 「もちろん、橘さんが断ったからといって、言いふらすだとかそんなことはしませんから」 「それは……うん。分かってるけど。会いたいっていうのは、どうして?」 「本当に、駄目だったらいいんです。もしできたらで」  常葉が理由を口にしないまま食い下がる。困ったことになった。彼の希望が興味本位ではないらしいのが分かるだけに、最適な対応が分からない。俺は無意識のうちに腕を組んでいた。思えば、常葉が面と向かって俺を困らせるのはこれが初めてかもしれなかった。 「……一旦、先方に確認してみてもいいかな? そうじゃないと返事できないかも」 「それはもう、もちろんです」常葉が首を何度も縦に振る。  なんとも変な展開だ、と思いながらソファに置いたコートを手に取る。ポケットからスマホを取り出し、入谷へのメッセージを打ち込んでいく。  昨日会社の後輩がデートの場所にいたこと、後輩に問われて君と恋人同士だと打ち明けたこと、後輩が君に会ってみたいと言っていることを、かいつまんで説目する。常葉の話は入谷にも一度したことがあるので話は早い。  返事が来るまで時間がかかったらどうしようか、という心配は杞憂だった。すぐに既読がついて、入谷からのメッセージが返ってくる。最初はただ一言だけ。 〝構いませんよ〟  思わずえっ、と声が出た。こんなにもあっさり、いいのか。断ってほしいわけでもなかったが、あまりの呆気なさにこちらがどぎまぎしてしまう。  入谷は続けて、〝今からオフィスにお越しになりますか? おふたりで〟などと書いてくる。現実の進行に頭がついていかない。暖房が効いた室内にいるのに、背中が冷や汗で冷えていく。  俺の心情を無視して突き進む現実にぐらぐらと脳を揺さぶられながらも、かろうじて常葉に現況を説明する。 「えーと……確認、取れたよ。大丈夫だって。というか、今から来るかって言われたけど……どうする?」 「行きます」間髪入れない答え。後輩はもう、覚悟が決まった顔つきをしていた。  自分で尋ねたくせに、おお、マジか……と展開の移り変わりの早さにまごついてしまう。 〝急にごめん。じゃあ、これから向かいます〟と入谷に返信して、俺はスマホをポケットに仕舞う。  それから会計をするのも、最寄りの駅に向かうのも、なんだか現実味がなくて、足元がふわふわしていた。  道中、「ちょっと遠回りしていいスか? 手土産買いたいんで」という後輩の言葉で、駅ナカにお土産売り場が充実している駅に寄った。律儀な男である。 「入谷さんは、洋菓子と和菓子どっちがお好きですか?」と訊かれ、「ああ……和菓子かな」と返す。  いつも美味しい和菓子を食べさせてくれるんだよ。という無用な言葉は辛うじて飲み下した。  後輩と連れ立って再び電車に乗りこむ。休日の半端な時間の車内はほどほどの混み具合で、俺たちは中ほどの吊り革に並んで掴まった。互いに会話はない。  窓の外をまっすぐ見つめている常葉の横顔を盗み見る。一体何を考えているのだろうか。普段から表情を崩さない彼の心模様を、俺みたいな粗忽者が推し量れるはずもなかった。  視線を戻し、いくつかの可能性を思い浮かべてみようとする。もしかすると、あの一瞬で入谷に一目惚れしたとか? 己の発想の飛躍に呆れるが、彼の人目を引く存在感を思うと可能性はゼロではないだろう。そうだと仮定して、入谷はどう受け取るだろうか。俺よりも遥かに容姿に恵まれた後輩に、正直な気持ちをぶつけられたら。彼らをこのまま引き会わせていいのだろうか、と迷いが生じてくるも後の祭りである。  暗雲のような想像に鬱々とする俺を、電車は否応なしに目的地へと運んでいく。  閑静な住宅街の一角にある入谷のオフィス。インターホンを鳴らすと、返事よりも早くドアが開いた。〝あと五分くらいで着きそう〟と連絡していたので、玄関近くで待っていてくれたのだろう。  昨日ぶりに見る恋人は、深い緑色のスリーピースを身につけていた。鈍く輝く金属を留め具に使ったループタイを首元に締めていて、全体的にレトロな装いである。顔には淡い笑みをたたえているが、実際の内心は分からない。どうして俺の周りには心が読めない人ばかりいるんだろう。このときばかりは裏表なく分かりやすい性格の望月が好ましく思われる。なんて、これはただの現実逃避だ。  俺が先に室内に入り、入谷と常葉のあいだを取り持つように体を横向きにする。  常葉は入谷を見るなり、深々と頭を下げた。 「こんにちは、突然お邪魔して申し訳ありません。橘さんの後輩の常葉と申します。本日はお時間を作って下さりありがとうございます」 「初めまして、入谷です。あまり堅苦しくなさらないで結構ですよ。さあ、どうぞお入り下さい」  入谷が掌で室内を示す。言葉とは裏腹に声色はやや硬い。やはり常葉を歓迎してはいない、ような気がする。  コートを脱ぎ、履き物を替え、通された応接スペースのソファに常葉と隣り合って腰を下ろす。すごく変な感じだ。人数分のコーヒーカップを運んできてから腰を落ち着けた入谷へ、常葉が袋から出した紙箱をテーブルの上へ滑らせた。道中で購入したおかきの詰め合わせだった。 「これ、ささやかなものですが、良かったら召し上がって下さい」 「これはこれは。わざわざありがとうございます。頂戴しますね」  入谷は箱を受け取ってにこりと笑む。その笑顔が完璧なものだからこそ分かる。完全によそ行きの愛想笑いだと。  会話が途絶え、数秒間の静寂が訪れた。三者三様に出方を窺うような、緊張を孕んだ空気が満ちる。しばし、嵐の前にも似た張り詰めた沈黙があって。  まず口を開いたのは、俺の隣に座った青年だった。 「橘さんはあっちじゃないんですか?」  気負いない口調で言いながら、入谷の隣のスペースを指差す。言われてみればそうか。「確かに」とぎくしゃくしながら立ち上がり、拳ふたつほどの距離を空けて入谷の傍らに座り直す。後輩と二人で入谷に対峙するのも奇妙な感じだったが、恋人と隣り合って後輩と向き合うのも同じくらい落ち着かない。 「な……んか、変な感じだね」 「そうですね。ところでその服、よくお似合いですよ」 「そ、そう? ありがとう」  ぎこちなく恋人に笑いかけて小声で囁くと、入谷がこそっと耳打ちしてくる。常葉が見ている前だというのに、不意に褒め言葉をもらって頬が熱くなる。その常葉はといえば、 「お二人でいるときはそういう感じなんですね……」  と呟きながらほとんど瞑目するように遠い目をしている。どういう感情の表れなのか。 「それで、今日はどういったご用向きでしょう」  改めて入谷が水を向けると、常葉は居住まいを正して切り出した。 「直接入谷さんにお訊ねしたいことがあって来ました」 「ほう。何でしょう」  何だろう。常葉は入谷に、何を訊くのだろう。唾を飲みこむ音は、誰のものであったか。 「不躾ながら、単刀直入にお伺いします。橘さんには先ほどお聞きしましたが、橘さんと入谷さんは交際していらっしゃる。つまり恋人同士、ということで間違いないんですね?」  それ以上ないほど直球の質問に、「はい」と入谷は迷いなくうなずいた。腿の上に置いていた俺の手を、入谷の掌がそっと包んでくる。いつしか速まっていた脈拍は、彼に伝わっただろうか。  我々が恋人同士であることを、常葉は念押しのように確認してきた。それが彼の目的ならば、その意図とは何なのだろう。  返答を聞いた常葉は「そっかあ……」と天を仰いで噛み締めるように呟く。そのあと、一転して俯いて肩を小さく震わせた。はらはらしながら見たことのない様子の後輩を見守っていたところ、「推しが推しカプになるなんて」とぼそりと言うのがかろうじて聞こえた、気がした。  言葉の意味を図りかねているあいだに、常葉が深々と頭を下げる。それこそテーブルに額が当たる勢いで。俺にとっては本日二回目に見る景色で、完全にデジャヴだ。  良かったです、と常葉がしみじみとした声で言う。 「本当に……良かったです。入谷さんが素敵な方で。俺が言えた義理じゃないですけど、橘さんのこと、どうかよろしくお願いします」 「……」唖然とする。思ってもみなかった常葉の行動の忙しさと文言に、二人揃ってぽかんとしたまま旋毛を見つめ続ける。俺たちは、後輩に言祝(ことほ)がれているのか。 「あの……とりあえず、顔を上げて下さい」  意表を突かれた様子の入谷が声をかけるまで、たっぷり十秒ほどあった。ゆっくりと元の姿勢に戻った常葉の表情からは、思い詰めたような険がすっかり抜け落ちていた。  常葉の言動がよほど意外だったのだろう、入谷はこめかみを人差し指でつつき、言い淀みつつ言葉を探す。

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