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11話-5 ストレンジ・アライアンス
「思ったんだけど、この件はもうこれで終わりでいいんじゃない? 誰も何も、変えなくてよさそうだし。ねえ?」
順に二人の顔を見ると、入谷はしっかり、常葉は噛み締めるようにうなずいてくれる。オフィスに来るまでは緊張していたけれど、結果として常葉にデートを目撃されて良かったのかもしれない。
何も変えなくていい。変化を厭わしく感じる俺にとってそれは望ましい結論で、ほっとしたら急に尿意を感じた。コーヒーを喫茶店でも飲んできた上に、一人だけここでもがぶ飲みしたせいか。「ごめん、ちょっとお手洗いに……」と断って席を立つ。
二人きりにさせることを気にしつつ、急いで用を足して手を洗う。一人きりになって何とはなしに考えてみると、何年も前から常葉は俺をよく見ていた。会社で使っているカップとか、PCの壁紙をクラゲにしていることとか。それが〝推す〟という行動の産物なのだとしたら納得感がある。
「……パートナーができたのかなーとは前から思ってたんですよ。橘さんが選びそうにないネクタイとか香水とかつけてたんで。いい人が見つかったんなら全力で応援しよう!って気持ちでしたけど、直接聞くのは俺にはハードル高くて」
「そうでしたか。僕は勿体ないと思っていたんですよね。彼、スタイルがいいですから。基本的に身につけるものを選ばないかと」
「めちゃくちゃ分かります。今日のニットとダウンも入谷さんセレクトっすよね? 入谷さんのセンス最高っす」
中座から戻ってくると何やら二人で盛り上がっている。空気自体が華やいで明度を増しているようだ。もう仲良くなってないか?
「盛り上がってたみたいだね」と声をかけてみると、喜色を隠さない二人ぶんの声が返ってくる。
「ええ。好きの形こそ違いますが、僕らは同志ということが分かったので」
「今まで推しトークとかしたことなかったんでマジ神っス」
常葉など、真顔で親指まで立ててみせる。まあ、二人が楽しいなら良かった。
しかし、次の入谷の言葉に耳を疑うことになる。
「今、柾之さんは魔性の男ですよね、という話をしていたんですよ」
「はい!? いや、それはない」
「ありますね」
あるんだ。あるのか、常葉よ。
「この人の良さを分かっているのは自分だけだ、て周囲の人に思わせる何かがあります」
「つくづく罪な人ですよね」
「まったくっス」
「君たち、仲良くなるの早いね……」
お互い通じ合うものがあったらしく、二人は顔を見合わせてうなずき合っている。一人だけ蚊帳の外に置かれたみたいだ。
入谷の隣に座り直した俺に、常葉がにやりと笑いかけてくる。悪い顔だ。これは良くない予感がするぞ。
「そういえば入谷さんはご存じなんですか? 橘さんが入谷さんのこと、美人って言ってたのは」
「ちょっ、常葉くん――」
「おや、そうなんですか? それは初耳です」
完全に面白がっている様子で入谷が訊いてくる。以前、確かに言った。『そんなに美人なんですか』と尋ねてきた常葉に肯定したし、『男性だけど、美人って言葉が一番しっくりくる人』ともはっきり言った。でもそれを今ここで言わなくたっていいじゃないか。
「どうなんです? 言ったんですか、柾之さん」
「い、い……言ったよ。言いましたよ」
恋人の圧に負け、降伏するように両手を掲げながら白状する。入谷はにんまりと花が咲くような笑みを見せた。
「へえ、そうですか。僕のことをそんな風にねえ……あなたに美人と言われて悪い気はしませんね」
「ぐっ、ううぅ……」
羞恥心で頬が熱くなる。何なんだこの、俺だけが辱しめを受ける空間は。まるで吊し上げじゃないか。
こちらの反応を充分楽しんだのか、入谷が常葉に別の話題を持ちかける。苦悶する俺を放置するように。
「常葉くんにもうひとつ訊いてもいいですか。柾之さんが推しになった明確なきっかけみたいなものはあるんでしょうか」
「ありますよ」
後輩は即答して深くうなずく。辱しめから回復してきた俺の耳にも常葉の声がくっきりと聞こえた。彼がきっかけとして挙げたのは、俺も聞いたことのあるエピソードだった。
新卒の配属直後、「へらへら笑うなんて馬鹿らしい」と吐き捨てた常葉に、俺が「笑って見えればいいんじゃないかな」とアドバイス(というのだろうか)をした話である。なぜか話す方も、「そうなんですか~」と相槌を打つ方も嬉しそうにしている。
「あのとき、大人になってから初めてちゃんと叱られたんですよ。だからすげえ印象に残ってるんすよね」
「光景が目に浮かぶようです。実に柾之さんらしいというか」
「叱ったつもりはないんだけどな……そういえばその話もあの居酒屋で話してくれたやつだったよね。紫音くんも一緒に行ったことある店」
店の名前を出すと、入谷が柳眉を曇らせた。
「ああ。あの、あなたに色目を遣う店員がいる店ですか」
「だからそれは勘違いだって。この前常葉くんに連絡先渡してたみたいだし……」
そのとき常葉の肩がぴくりと動く。後輩は腕組みをして、ため息をつくように言葉を発した。
「あー、ありましたね。言ってませんでしたけどあれ、橘さんに渡してくれって言われたんスよ。文字通り握り潰しましたけど」
「えっ」またも意外な事実の開陳。嘘だ、と言いたくなるが、この場で最も観察眼に劣っているのはきっと俺だ。
入谷は呆れた様子で肩を竦める。
「僕が言ったとおりでしょう。というか、見ていれば分かりますよね、常葉くん」
「そっスね、割とあからさまに」
「えっえっ」
「そもそも俺みたいなのに初手で連絡先渡すような人まずいませんよ。橘さんと違って性格の悪さが顔に出てるでしょ。橘さんは鈍感すぎるんですって」
「ええ、本当に。僕も常々そう思っています。先ほどの常葉くんの言葉は言い得て妙でしたね。『冷めてる割に脇が甘い』というのは」
「入谷さん、いつも気を揉んでるんじゃないスか。パートナーが変な輩に目をつけられないか心配でしょう?」
二人は目配せしてうなずき合う。互いに共感するものがあったらしい。
「入谷さん。橘さんにおかしな虫がつかないよう、会社にいる時間は俺がブロックしますから。任せて下さい」
「それは心強い。お願いできますか?」
「もちろん。任されました」
二人はテーブルを挟んでぐっと固い握手を交わした。俺の目の前で、俺に関することが俺抜きで決まっていく。妙な気分だった。
商談がめでたく成立したあとのようにしばらく他愛ない話をしてから、とうとう常葉がくっとコーヒーを飲み干して席を立つ。「そろそろお暇しますね。長居してすみません」と会釈する後輩の顔色は晴れやかだった。
入谷と俺で玄関まで見送りに出ると(常葉と共に来た訪問者の分際でおかしな状況ではあるが)、ドアを開きかけた常葉がくるりとこちらを振り向いた。
「そうだ、あとひとつだけ。入谷さんなら共感してくれると思うんですけど、こういう見た目に生まれると、周りからちやほやされたりやっかまれたり、生きてるだけでそういうのばっかりじゃないスか」
「ええ……」
「でも橘さんは最初から、俺をただの後輩の一人として見てくれて、叱ったりもしてくれて。そういうフラットな態度がすごく嬉しかったし、ありがたかったんです。だからまあ、俺のエゴでしかないスけど、橘さんには幸せに毎日を過ごしてほしくて。俺が言えた義理じゃないけど、重ね重ねよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて、入谷の返事も聞かずに常葉はさっと帰っていった。おそらくだが、彼としても照れくさかったのではないかと思う。
「いい子ですねえ」
入谷がしみじみと言うのに、本当に、と実感をこめて返す。常葉が俺をずっと見守ってくれていたのに、俺は彼についてそれほど注意を払っていなかった。そのことに今さら軽い罪悪感を覚える。
「良かったですね。あなたが他人に無関心でいることに、救われる人もいるのですよ」
はっとして隣に立つ入谷の横顔を見る。視線がこちらに向いて、彼がにっこりと綺麗な顔を笑み崩した。その笑顔に釣られ、俺もつい笑ってしまう。
おそらく常葉は、俺の態度が変わることを歓迎しないだろう。今までどおり、彼とは単なる会社の先輩と後輩。きっとそれでいいのだ。
今日は夜の会食まで予定がないと入谷が言うので、オフィスから彼の自宅部分へと移動する。ふかふかしたソファに深く座ると、疲労感がじわりと座面に抜けていくようだった。後輩と恋人との対面に、思った以上に気を張っていたらしい。
カップにお茶を淹れてくれた入谷が、スマホをタップしながら何やらほくほくとしている。
「常葉くんとあなたの話をするのは楽しいです。のろけ話を聞いてくれる人ができるとは思ってもいませんでしたから。彼とはよい友達になれそうです。ほら」
横からにゅっと差し出されたスマホの画面を見ると、そこには『橘同盟(2)』と表示されている。何だこのグループ名は。入谷と常葉だけのグループをもう作ったのか。というかいつの間に連絡先を交換していたんだ。
「……色々訊きたいことあるんだけど、それ俺自身は入れないの?」
「はい。二人で秘密の話をする予定ですので」
口の前で人差し指を立て、入谷がいたずらっぽく笑う。秘密の話、か。二人なら変な展開にはならないと思うが――。
「ふふ。大体どんなやり取りをしたか、都度お知らせしますから。あなたを悲しませるような真似はしませんよ」
俺の懸念を先回りしたように入谷が言う。もちろん分かっている。けれど、初対面の二人がもう親しくしているのを見ると、胃の底あたりが勝手にちりちりと焼けるような感覚に襲われる。みっともなく身の内側を焦がしているこれは、嫉妬か。
「なら、いいけど。紫音くんの気持ち、俺よりも常葉くんの方が理解できるのかもね」
ああ、みっともない。三十を過ぎて、くだらない嫉妬で面白くなさそうな声色を恋人にぶつけてしまうなんて。
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