12 / 42
3話-6 ビジネス・トーク
入谷の右手が俺の顎を捕らえる。上顎と下顎のあいだに力をこめられ、だらしなく半開きになった口に、制止する間もなく熱い舌が侵入してきた。火が点いたかのように、一瞬で総身の血が熱く滾 る。まるで、そうされるのを待ち望んでいたみたいだ。
舌を吸われ、呼吸を奪われる。唾液が混じり合い、相手の鼻息が顔にかかる。前回とは少し違う、じっくり時間をかけた絡みつくような深いキスだ。
下半身には、俺を組み敷いたままの入谷の下腹が押し当てられていて、ねっとりとしたストロークで前後に蠢いている。それに合わせてつい腰が揺れてしまう。これがセックスでないのが不思議なくらいだった。露骨に扇情的な動きは、長年独り身を持て余している男には覿面 に効いた。
自分の屹立に、ぐりぐりと当たるものがある。入谷も起っているのだ。服越しでも擦 れれば痛かったが、その中には快も確かにあった。
入谷がぢゅうっと音を立てて俺の舌を吸い、柔らかい唇が離れていく。静かに燃えている瞳で俺を見つめ、入谷は熱を孕んだ声で提案してきた。
「下、触りっこしましょうか」
シリアスな表情に反してその言葉選びは可愛らしく、こんな時でも僅かに可笑 しい。無意識に入谷の体をまさぐっていた右手を取られ、昂りへと導かれた。
「お嫌なら、無理にとは言いませんので」
「いえ……俺だけしてもらうのも、申し訳ないので」
思えば、ギャラリーでは一方的に抜いてもらうばかりだった。他人のそれを触るのはこれが初めてだが、彼のものに触れることに抵抗を感じていない己が不思議だ。
自分がベルトを抜いて前を寛げる時間も、相手がスラックスを取り払う時間ももどかしい。興奮のために指先が震えていた。互いの男の象徴は、とうに先走りで濡れている。
入谷の指が触れて、数瞬音が遠退くほどの快さに脳が支配される。彼の手は何度目でも切なくなるほど気持ち良かった。俺も、自分のよりややほっそりして思える入谷の昂りに指を添わせる。先走りで全体を濡らしつつ、硬く張り詰めたものを親指の腹と掌で挟んで扱く。何かに耐えているように柳眉をひそませる、眼前の表情がたまらなく色っぽかった。
くちゅくちゅという二重の水音や、互いの荒い息、露出した肌の熱 、ぎらついた視線が糾 える縄のように絡み合う。二人とも、次第に高められていくのが分かった。
どれくらいそうしていただろう、
「……ッ、柾之さん……」
「やば……気持ちいぃ……っ」
入谷のものが俺の掌の中で、俺のが入谷の掌に包まれて、びくりびくりと痙攣して白濁を吐き出した。その瞬間に、上下感覚が無くなるくらいの快感に襲われる。堪 えきれずに出た猫のような長い嬌声は、どちらのものだったか。
どちらが先に達したのか分からなかった。いつの間にかお互い肩で大きく息をしている。首を傾けると、自分の腹の上でどろどろに混ざり合った二人ぶんの精液が見えた。言いようもなくエロティックな光景だった。
入谷は汗ばんだ顔で蠱惑的にほほえむ。
「気持ち良かったですね」
「はい、とても……」
「じゃあ、次はこちらで――いかがですか?」
相手はボクサーパンツを穿いたまま、俺の股間ですり、と腰を動かした。入谷の目つきも口元も仕草も、俺を強く誘っている。思わずぎょっとした。その意味するところはどう考えてもひとつしかない。
「あの、ちょっと、待っ」
「大丈夫ですよ。柾之さんは寝ているだけで構いませんから。指よりももっと、気持ち良くしてあげられるはずです……」
達 った直後だというのに、入谷の双眸にはぎらぎらした光が宿ったままで、ほとんど舌なめずりまで始めそうな雰囲気だった。このままだと、俺は、食われる。
――指であんなに良いのにもっとだなんて、俺はどうにかなってしまうのではないか。
そんな逸 る好奇心を無理やり打ち消す。興味だけでしていいことじゃない。相手の動きを一旦止 めたいのに、竿の部分をまた上下に扱かれ始めると、手に力が入らなくなるのが情けない。
「い、りや、さ」
「ふふ、そんな風に呼ばれると、余計たまらなくなってしまいます。あまり煽らないで下さい」
「違っ……」
決して嫌なわけでは、ないのだけれど。体に心の準備が追いついていないのだ。理性を置き去りにして、俺の体はまた快楽を貪ろうと準備を始める。
「また硬くなりましたね」
入谷が確かめるように、とろかすように感嘆を漏らす。ああ、このままでは、本当に――。
そこで突然。
二人きりの空気に、無機的な電子音が割って入った。自分の、会社用の携帯の着信音だった。
「ちょ、ちょっと、すみません」
ソファに横たわったまま、近くにある鞄から手探りで端末を取り出す。画面には同期社員である望月の名前が表示されていた。この時間に電話とは、何かしらの緊急事態の気配がした。
片手だけで操作して着信を受けると、すぐに望月の性急な声が耳に飛び込んできた。
「橘、今大丈夫か?」
「ああ、何かあった?」
「それがちょっと、急ぎの用件でさ――」
望月の後ろから、何か大きいものがごうんごうんと音を立てているのが聞こえる。確か彼は今日、納入した薬品を循環させる大型機械の試運転に立ち会っているはずだ。まだ、現場にいるのだろう。作業着姿でヘルメットを被り、潜 めた声を通話口に吹き込んでいる望月の姿を想像する。
彼の説明によると、インターンシップで来ている学生のミスがついさっき発覚したのだという。本日納入するべき薬品の注文を受けたのに発注を忘れており、指導員をしている望月のところに客先から問い合わせが来た。
該当の薬品自体は、注文の全量ではないにしろ会社に在庫がある。しかし、学生は先ほど定時になった際に帰宅してしまい、インターン生なので今から呼び戻して独りで客先に向かってもらうことはできない。運悪く営業は皆出払っていて、緊急のヘルプとして俺にお鉢が回ってきたわけだ。
「今日中にいくらか持ってきてもらえば何とかなるとは言われてるんだ。悪いけど橘、何とか頼めないか? 俺はあと一時間はこっち離れられなくて」
「分かった、行くよ。まだ客先だから一度会社に戻って、40分くらいで着くと思う」
「すまん、恩に着る! 持っていってほしい薬品名と数量はメールしておくから」
「ああ、よろしく」
「頼むな! ほんとにありがとう」
電話を切る前、相手はしきりに謝っていた。
同僚との通話を終了し、ふと目の前の現実に引き戻されると、入谷が静かな目で俺を見下ろしていた。いつの間にか、馬乗りになったまま衣服を整え終えている。
俺はといえば下半身を曝したまま、腹を白濁で汚したままの、心底間抜けな姿だった。こんな状態で同期と通話していたのかと思うと、恥の感情が今になって湧き上がってくる。
「行かれるのですね」
「そう、なりました。すみません」
「いえ、どうぞ仕事を優先して下さい」
入谷は淡々と言ってティッシュで俺の下腹部を拭いてくれる。その感触がなんだか名残惜しくて、不覚にもきゅんとしてしまいそうだった。
入谷の家を辞去する直前、彼は出入口まで見送りに出てくれた。それでは、と会釈する俺を、相手はきゅっと抱き寄せた。触れるだけのキスが唇をかすめて、胸騒ぎのように心臓が跳ねる。
「お気をつけて。またお待ちしています」
微笑するその顔は、まるで行ってらっしゃいと言っているようだった。
定時で帰る人々の波に揉まれながら、電車内で今日の訪問を反芻する。
あれは完全に、完全にセックスをする流れだった。望月からの電話がかかってこなければ、おそらく俺は――あのまま流されて先に進んでいただろう。中断されたのが良かったのか、悪かったのか。あの時の熱の残滓が、車内にこもる熱さに関係なく、まだ体の内部に残っている気がした。
付き合っているわけでもない、三回しか会ったことのない同性とセックス直前までいったという事実が肩にのしかかる。
その重さを、嫌だとは感じていない己を、自分でも不思議に思った。
ともだちにシェアしよう!