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6話-3 バッド・ガイ
そうだ。俺は楽しみだなんて無邪気に言っていられる立場ではなかったのだ。何せ、入谷の撮った風景写真を見て性的興奮を覚える異常性癖者なのだから。
ぎゅっと目を閉じても、眼裏 に焼きついた写真の残像が、着火されたように火照った全身を苛 んでくる。入谷のモノクロ作品が扇情的な静止画像としたら、これは音声がついた露骨な内容の動画といったところだ。体の内部から涌き上がってくるものの大きさと熱量がモノクロの比ではない。これはまずい、数秒と見ていられない。
ごゆっくり、なんてとんでもない。こんな状態で確認するなんて無理だ。そう言葉にする寸前、
「ちゃんと選んで下さいね? 僕は仕事としてご依頼しているんですから」
「……っ」
入谷が耳のそばで意地の悪いことを囁いてきて、肩が跳ねる。
そうだ、これは最初に契約を交わした内容に含まれる行為なのだ。したいしたくないの話ではない。
息も絶えだえに、横目で微笑している入谷を見る。
「あ、あの、できたら何かの紙にまとめて印刷してもらえませんか? 写真集の写真は見ても何ともなかったんです……っ」
提案はもはや懇願口調になっていた。
以前入谷から手渡された彼の作品集。貰った日に恐るおそる見てみたら、体に何の変化も起きなくて驚いたものだ。きっと、印刷された写真からは何らかの要素が抜け落ちているのだろう。
俺は生の入谷の写真でしか興奮しない。
「そうなのですか。それは興味深い」入谷は軽く笑い声を立てる。続いた言葉に、俺は絶句した。「ですが、それでは意味がありません。次の個展は、あなたが特に感じる写真を中心に選んで出そうと思っていますから」
「なんで、そんな……」
目の前が暗くなっていくのを感じる。そんなの、俺の性癖展示会になってしまうではないか。入谷以外には気取られるはずがないとしても、恥辱の意識が生じることに変わりはない。
入谷の指がそっと俺の頬に触れてくる。
「大丈夫ですよ。ここには僕しかいませんから、思う存分乱れて下さって構いません。あなたの体質はこの先も二人だけの秘密にします。その姿を知っているのは、世界に僕だけ」
いたわり宥めるような指の動きと、空気を多く含み耳朶に絡みつく声。両者のギャップが、どうしようもなく俺の腹の奥底を掻き混ぜ、
「ね、もっと見せて。あなたの恥ずかしいところ」
えもいわれぬ感覚が、ぞくりと背すじを駆けのぼった。
「……ッ、意地悪なこと、言わないで下さい……」
「あなたが可愛い反応をするのが悪いんです」
「そ、んな」
そんなものは、言いがかりだ。反発を覚えてもいいだろうに、なぜか自分の体は熱を持つ一方。いつだって俺は、入谷に翻弄されてばかりだ。
前回は俺が攻めていたような記憶もあるけれど、あれだって入谷からの「攻められたい」発言を前提としたものだ。手綱に似た主導権は常に入谷が握っている。
泣きそうになりながら悟ってしまっていた。どうあっても、写真を選ばなければこの時間は終わらないのだと。
心を決め、高所から飛び降りる気持ちで写真を直視する。
アナログ独特の風合いがある写真を一目見た途端、心臓が強く脈打つ。被写体の題材はモノクロ写真と同様に風景だったが、写真ごとに赤みが強かったり青みが強かったり、今まで見たことのない色合いをしていた。なめらかな発色のそれぞれの要素が、ダイレクトに俺の官能を引きずり出す。それは暴力的なまでの扇情の嵐だった。
こんな美しい写真で感じるなんておかしいと分かっているのに、全身が理性を捨てて暴走している。
「あの、何枚選べば……いいですか」
「二十枚ほどお願いします」
そんなにか。茹 だったようにぽうっと浮かされる思考を奮い立たせ、なんとか写真を確認していく。そうするあいだにもずっと、入谷の指先は俺の内腿を往復していた。敏感になった触覚が過剰にその動きを拾う。
股間が熱くなって、ずきずきして、はち切れんばかりに膨れている。痛みの中に快がある。早く解放されたい。湧き出て体内を駆け巡る熱の奔流を全部ぶちまけてしまいたい。
こんな情けない姿を、こんなに近い距離で、入谷に晒してしまっている。辱しめと興奮のはざまで頭がどうにかなってしまいそうだった。
やっとのことで写真を選び終え、震えそうになる声を抑えて「終わりました」と宣言する。入谷はにこりと目元を笑ませ、股の膨らんだ部分をするりと撫で上げた。いきなりの刺激に変な声を出さなかった自分を褒めてやりたい。
「……ッ」
「ありがとうございます。焦らしてしまいましたから、こちらを処理してあげないといけませんね」
彼は当然のように言い放ち、下の作業着のホックに素早く手をかける。
焼き切れそうな頭に鞭打って、俺はその手の甲を軽く押し返した。
「あの、入谷さん」
「おや、どうされました?」
「やっぱりこういうの……良くないと思うんです。ですから、そういうのは、今日からはもう」
「そういうの、とは?」入谷が切れ長の目をすっと細める。どこか剣呑な光が瞳の奥にちらついた。
「その……体に触ったりキスしたり、とか」
言えた。ずっと流され続けて言えずにいたことを。口にできたことに安堵する。
しかし、言葉では接触を拒否しながらも、俺の体はもはや限界だった。トイレを借りて自分で抜く以外にない――と考えていたのだが。
「分かりました。では、直接触らなければいいですね」
「え、あの」
入谷は自分を納得させるように小さく何度か頷き、俺の脚を抱え上げた。動きについていけずにいるうちに、ソファに横たえられ、目にも止まらぬスピードで作業着を下ろされてしまう。
どうも俺が言ったことは聞き入れられなかったらしい。
脚が外気に触れてひやりとする。自分の下着は既にじっとりと濡れ、染みになっていた。入谷は異常性癖者である俺を見下ろしながら、まるでご馳走を前にする肉食獣のように、双眸を爛々と輝かせている。
青年写真家は手を伸ばし、パンツの布地の上から玉の部分を掌でやわやわと揉みしだく。そして股間に顔を埋めたと思うと、唇で昂りを布ごとはむ、と挟み込んだ。
「う、あぁ……」
包み込まれるような、緩やかで優しい刺激。それだけで早くも達してしまう。
パンツが己の白濁で濡れていく不快感。生ぬるいそれは心なしかいつもより量が多い。このところ常葉のことで悩んでいて、自慰もする気にならなかったからか。
入谷には確かに触られてもキスされてもいなかったが、自分が達 ってしまっては前と同じだ。
「おや、もしかして溜まっていましたか?」
息を荒らげる俺の頭の上から、ふふっと軽やかな笑いが降ってくる。
「そのままじゃ気持ち悪いでしょう? 今日は直帰なさるのでしょうし、シャワーを浴びていくといいですよ。着替えも……新しい下着も確かあるので、出しますね」
「それは……」
肩を上下させる俺が何か言う前に、入谷が服を脱がそうとしてくる。シャツの上から肩を押さえ、入谷の顔を見ずに抗議する。
「……やめて下さい。自分でできますから」
「そうですか。では、お風呂場にご案内しますね」
完全に口車に乗せられた格好だが、仕方ない。いずれにせよ、このまま外に出られないのは事実なのだ。
不慣れな場所で裸になると、どうしてこうも不安を掻き立てられるのだろう。
下着にこびりついた汚れを洗面所で洗い流してから、浴室に足を踏み入れる。そこは白で統一された清潔な空間で、壁の反射光が眩しいほどだった。うっすら漂う自分の家のものとは異なるシャンプーや石鹸の香りが不思議と心地好い。大きなシャワーヘッドから流れ落ちる細かい水流を浴びると、火照った体表の熱まで流れていくようだった。
入谷は俺がシャワーを浴びている間に着替えを持ってくると言っていた。鉢合わせしないように気をつけた方がいい。物音に耳を澄ませていると――。
脱衣場ではなく、浴室の折れ戸が開けられる音がした。
予想もしていなかった事態にぎくりとして振り返れば、
「え? な、なんで入ってくるんですか!」
腰にタオルを巻いただけの入谷が、後ろ手に扉を閉めたところだった。しれっとした澄まし顔の彼とは対照的に、俺はわたわたと慌てる。前を隠せる小さいタオルすらここにはない。
「背中を流してさしあげようかと思いまして」
「いや、いいです、お構いなく」
「遠慮なさらずともいいのですよ」
入谷は相変わらず俺には頓着せずに話を先に進めてしまう。視線の先でハンドソープを手で泡立てていた彼は、不意に俺の背面へ抱きつくように体を預けてきた。
肌が密着する。心臓が跳ねる。あまり熱のない自分の背中に血の通った温 みが直接伝わってきて、いやに生々しい。
「ちょっと、入谷さん……っ」
「名前で呼んでくれませんか、柾之 さん」
耳元で湿った声がねだる。目では見えないのに、肉体の気配がすぐそこにあって。状況の変化に頭がついていかない。
泡まみれの両手が後ろから回ってきて、胸やら腹やらを掌で撫でていく。強すぎず弱すぎずちょうどよい力加減で、滑りも相まって否定できない気持ちよさを感じてしまう。
「泡越しですから、これもセーフでしょう?」
揶揄するような囁きに、びくりと反応してしまう自分が嫌だ。
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