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決意
おばさん達の優しさでよけいに涙は出たけれど、多少は恥ずかしさが緩和された電車を家の最寄り駅で降りる。泣くだけ泣いて多少涙は引いても、まだ誰にも会いたくなくて人目を避けて足早に帰宅する。幸い知り合いには誰も会わずに家まで辿り着くとどっと疲れた。
そのまま寝てしまいたい気もしたけれど、汗まみれの身体が気持ち悪くて軽くシャワーを浴びる。浴室に入り、鏡に映る自分の顔を見てあまりの酷さに思わず笑った。目もその周りも真っ赤に腫れてとてもじゃないけど誤魔化せない状態で改めて知り合いに会わなくて良かったと安堵する。ベタベタとした汗と一緒にさっきまでの涙の余韻もシャワーで流せればいいと感傷的になるのが自分でも可笑しかった。
腫れぼったい目を冷やすための保冷剤をタオルに包み、ついでにアイスを持って自室に籠る。窓を開け籠った空気を入れ替えようとするが、蒸し暑い空気が流れるだけで期待したような清々しさはなかった。アイスで束の間の涼を取り、冷えたタオルで目を冷やす。あんなに泣いて、正直子供の時より泣いていたのに、今は冷静に腫れを取るために目を冷やしてる。そんな自分のバカらしさが可笑しくて、それでも泣いてしまう自分が悲しかった。
勢いで興奮して飛び出して来たけど冷静になってみると、何に泣いたのか、怒ったのかもよく解らない。仕方なしに一つ一つ、自分自身に自問自答して整理していく。
何で泣いたのかな?
――何でだろう? 悲しかったから? 嫌だったから?
何が悲しいの?
――自分だけが京を好きな事。
何が嫌なの?
――京が、女の子にデレデレすること。女の子を好きな事。僕を、いちばんに見ない事。
……いや、京は僕の事を好きだって言った。その事実に今更ながら気付く。トイレでキスされた時は興奮しすぎて聞き逃してた。
「俺は好きなのに!」
抑えて叫んだような京の声が甦る。なのに僕は「好きじゃない」って言った。ギュっと心臓が引き絞られるようだった。
あの時は僕が僕じゃないみたいで言っちゃダメだと思う前に言葉が滑り出していた。あれも間違いなく抑え付けられていた僕の本心で、だけどあの言葉全部が本当じゃない。
あんな風に興奮して箍が外れた感覚は初めてだった。京は僕の中から僕の知らない僕を引きずり出していく。
何で泣いたのかも、本当はわからない。濁ったような嫉妬と一緒に吹き出した、僕の知らなかった感情が一気にブワっと溢れ出て止められなかった。
――嫌われたかもしれない。
――あんな京はもう嫌い。
――僕だけを見て、僕だけにして。
――嫌わないで、好きになって。
――僕をずっと好きでいて。
――ずっと、ずっと、京が好き。
……結局、好きなんだなぁ……。
落ち着くところ、それしかなくて情けなくて一人で力なく笑う。
女の子に嫉妬して、劣等感を刺激されて、京の気持ちも聞かないで、勝手に怒って爆発して、嫌われたかも知れないって泣いて――。
でも、もういっか。いっそのこと、止めてしまおうか。京の事は諦めよう。
唐突にそう思った。
京は僕の事を好きだと言ってくれた。でも、それがずっと続くわけないって僕は思っている。
女の子への京の視線、態度――。
それは僕が攻める事じゃない。恋人の不貞と言って攻める事もできるのかもしれないけれど、でも、京は僕と違う。普通の男子なら女子に興味があるのは当然の事だ。
僕が、今まで恵まれていたのだ。『男だけど男じゃない』そんな存在だったから京は僕を拒否しなかったのだろうし僕を好きになってくれたんだろう。僕が例えば茂や武のように普通の男っぽい見た目だったら、僕が京の事を好きじゃなかったら、僕の事を好きになってくれただろうか。
京しか好きになった事がないからわからないけど、多分僕は京が男だから好きになった。他の男でも良かったのかと言われると違うのだけど、男であることも含めて京を好きになるのが自然だった。
僕が次に誰かを好きになるとしたら、多分それは男だ。
京は、きっと女の子を好きになるだろう。
僕の背がもっと高くなって、声も低くなって、逞しく男らしくなって、顔も可愛くなくなって、京が可愛いと言ってくれた容姿が無くなったら……、京は昔の僕に似た女の子を可愛いと言うんだろうか? 僕はその時京の隣で笑えるだろうか?
来てもいない未来が怖い。
それに――、と思う。
それに、もし京が僕でいいと言ってくれたら、僕は嬉しい。だけど女の子も好きになれる京をわざわざ生き辛い道に誘い込んでいいんだろうか。僕はその負い目を背負っていけるんだろうか。
結局の所、僕は自信がない。
京がずっと僕を好きでいてくれる自信、京が僕を選んで後悔しない自信、――僕が京を幸せにする自信。
いつだったか茂が僕に「大切なものなら自分から動かないと後悔する」と言った。僕は、受け取るばかりで自分から動いただろうか。与えられたものに返すばかりで、心の中で想うばかりで、自分から掴んだものはあるだろうか。自分から、掴みに行かないから後悔ばかりで自信がないのだと、どこかで声がする。
今、僕がしなきゃいけないのは――。
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