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一人の帰り道

 少し歩いた所で茂から電話が掛かってくる。 「弘、何やってんの? 帰って来ないから心配してるんだぞ」 「あー……、ごめん。体調悪くて……、今日は帰る」 「帰るってなぁ、荷物も置いたままなのに。今どこにいるんだよ」 「駅に向かってる。ごめん。スマホあるから大丈夫。僕のかばんだけ持って帰ってきてくれる?」 「大丈夫って……。まぁ、仕方ねーか。本当に大丈夫か? ちゃんと帰れよ。後で話聞くからな。こっちは何とかするから。本当に、ちゃんとまっすぐ帰れよ!」  言いたい事だけ言うとブツリと電話が切れる。茂はせっかちなのだ。 「ごめん」  切れた電話に謝ると、聞きなれた幼馴染の声に安心したのか涙が出そうになった。自分のわけのわからなさと情けなさに押し潰されそうになる。  何やってんだろ、ほんと……。  何も考えずに飛び出して来たけれど時計は3時を回った所で、まだ太陽の勢いは衰えずにジリジリと照り付けてトボトボと駅に向かいながら歩く考えなしな僕を嘲笑う。  歩いているうちに興奮が醒めて冷静になり、今度はクラリと眩暈を感じて慌てて日陰を探した。そんなに都合よく休める場所があるわけもなく仕方なしに日陰になっている雑居ビルの階段に座り込んだ。しばらくそこで休んでいると突然頭の上から声を掛けられた。 「ね、これもらってくんない? さっき自販機で当たっちゃったけど、荷物になるの嫌なんだよね」  顔を上げるといかにもスポーツマンといった風の若い男が愛想よく笑ってペットボトルを差し出している。突然の事に驚いていると彼は僕の返事を待たずに「ここ置くね」と階段にペットボトルのスポーツドリンクを置き立ち去ってしまった。普段なら警戒する所だけれど、言葉通りに心身弱っていた僕はありがたくその好意を受け取ってスポーツドリンクを喉に流し込む。熱さでグラグラする頭と身体にヒヤリと冷たい飲料が沁み込んでいく。  そのままぼんやりと街を眺めていると夏休みだからか平日の午後なのに人が多くカップルや仲良さげな友達同士が目について切なくなった。 「帰ろっかな……」  誰に言うでもなく呟いて気合を入れる。このままじゃ、ここで泣いてしまいそうだった。  無意識でいるとさっきの京とのやり取りを無限ループしてしまいそうで、極力何も考えないように、無理矢理違う事に意識を逸らしながら帰路に着く。けれど、電車に乗るのが限界だった。  ガタンガタンとリズム良く電車が走る音と時折大きく身体を揺らす振動、電車の中の独特の空気が、初めてキスした時の事を思い出す。電車に乗る度に密かに思い出していた、初めてキスした時の感触や気持ち。  あ、ダメだ……。  今まで何回もふわふわと柔らかく僕を幸せにしてくれた思い出が切なくて堪えきれなかった涙が溢れた。一度堰を切ってしまった涙は止まらずに仕方なく車両の隅に移動して顔を隠す。  目立たないように鼻水を啜っていると目の前に座っていたおばさんが「ここに座んなさい」と席を詰めてくれる。声を出せずにジェスチャーで大丈夫ですからと断わると「具合が悪いなら座った方がいいわよ」と更に勧められておばさんの隣に座った。 「どうしたの、悲しい事があったの? ほらこれ使ってちょうだい」  おばさんは小さな声でそう言うとバッグから出したポケットティッシュを僕の手に押し付ける。 「若い時には色々あるわよねぇ。飴あげるから元気出しなさいよ」  さらに隣に座っていた同じ年頃のおばさんが飴を差し出す。 「あらあら、じゃあ私はこれをあげるわ。お腹が空いてるといいことないわよ」  その隣に座るおばさんからはえび煎餅を渡される。見事な連携で僕を慰め好意を差し出すおばさん達に驚き、思わず笑いが零れる。 「あら、笑ったら可愛いじゃないの。泣くだけ泣いて、あとは笑ってればいいことあるものよ、ねぇ」  各々頷いて3人で話し始める。友達同士かと思ったら、偶然電車で乗り合わせた他人のようだ。おばさん達の優しい気づかいに泣くことを許されたような気がして、ますます涙が溢れ僕は隅の席でひっそりと泣き続けた。

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