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変化
翌日、京からメッセージが届いたけれど『しばらく忙しいから会えない』と返し、その後も素っ気ない返事をしているうちにメッセージは電話に代わる。出れない電話の呼び出しを頻繁に聞くのが嫌で電源をオフにした。
ずるい事をしている自覚はある。声を聞いたらずるずると絆されそうで「今は距離が必要だから」と自分に言い聞かせて考える事に蓋をする。それでも以前に比べると大分スッキリしていた。
有り余る時間は、夏休み明けにある文化祭の実行委員に使った。学級委員をしていて駆り出される事の多い茂に押し付けられたのだけれど、あれこれと仕事を割り振られて忙しく動き回れるのがありがたかった。
「あれ? 確か、ひろむ……だったかな?」
理科室で装飾に使うという花を作りながら雑談している途中、突然先輩に名前を呼ばれて驚く。名簿を見れば名前はすぐにわかるけれど、名字呼ばずに名前を呼ぶのは学校では茂しかいない。
「そうですけど……」
「何で突然?」と言外に伝えると、僕の隣の席に移動してくる。
「当たり? ごめんね、怪しくないから。この前ちょっと見かけて、名前呼ばれてたから覚えてたんだ。二年の松枝虹也です」
松枝虹也と名乗る先輩はふんわりとした髪と明るい瞳の色が妙に現実離れしていて、気安く話しかけてくる様子が王子様然とした雰囲気にそぐわない。さらに声を潜めて続けられた言葉に血の気が引いた。
「夏休みの初め頃、カラオケのトイレで痴話げんかしてた? 見た目じゃわかんなかったけど、俺、声覚えるの得意なんだ」
「僕じゃないです。見間違いとか聞き間違いでは……」
咄嗟に自分でも呆れる程の下手な嘘で応酬する。京と喧嘩してたのを見られたって事だよな、あれを見られてたら相当マズい気がする。
「ほらほら、その声。やっぱ間違いない」
笑顔で断定されて言葉に詰まる。誤魔化しきれるか、それとも素直に認めて口止め? でもどんな人かもわからないのに口止めなんてできるのか? ぐるぐる考えていると「そんなに焦ってたらバレバレだよ」と笑われる。もうダメだ、脅される? それともバラされて京のところまで迷惑かかったらどうしよう。半ばパニックになっていると、肩を引き寄せられ耳元に囁かれて固まった。
「大丈夫、おれも同類だから」
同類って何だ?
「安心してくれた?」
耳打ちされた内容を、理解して思わずホっと力が抜けるまでに数秒かかった。思わず先輩の方を向くと、きれいな顔が至近距離で微笑んでいてドギマギと視線を逸らす。
「一緒に居たカッコ良いのは彼氏? あんな所でやらかしちゃってるなんて青春だよねぇ」
「ちょっ、止めて下さいっ! こんなとこでっ」
皆がいる場所で、とびっくりして慌てて止めた。
「誰も気にしないから平気だよ。見た目通りの繊細さだね」
平気な顔であははと笑う先輩に「僕と逆で先輩は繊細そうな見た目に反して性格はガサツそうですね」と心の中でイヤミを返す。先輩はそんな僕にはお構いなしで立ち上がると「お腹空いたのでコンビニ行ってきまーす。弘も行こう」と宣言して僕を教室から連れ出した。
学校内は夏休みにも関わらず部活動や文化祭の準備で人が多く、あちらこちらで聞こえる賑やかな声が楽しそうだ。
ここならいいでしょ、と昇降口に向かう廊下で早速質問される。
「で、あれは彼氏? 結構ハデにやってたし、弘は飛び出してっちゃったから気になってたんだよ。デバガメ根性で」
面白半分にまだ深い傷を抉られ、恨みがましい目を向けると、先輩の意外と真剣な表情にと毒気を抜かれる。
「彼氏じゃ、ないです」
「じゃあ、セフレとか? もしかして喧嘩続行中? 拗れちゃった?」
「セフっ……、違いますっ。喧嘩っていうか、そもそも違うような……」
セフレではないけど、キス友って似たようなものだったりするのか? 曖昧な関係にはっきりとそうと言えずにモゴモゴ言う僕の反応を待たずに先輩が続ける。
「帰りに近くのビルの階段で泣いてたでしょ。カッコイイお兄さんにスポドリもらわなかった?」
「泣いてないです。ちょっとバテてただけで……」
「話聞いて、てっきり泣いてたと思ったんだけどな。あのお兄さんね、俺の彼氏」
イシシと悪戯っ子のように無邪気に笑って惚気られる。世間は狭いと驚き、こんな風に『彼氏』なんて笑って言えるんだと更に驚いた。僕には到底出来そうもない。
夏休みが終わり文化祭が終わると、日常が戻ってきた。といっても僕の周りはガラリと変わって、ようやく高校生活が始まった位の気持ちだった。
頻繁に来ていた京からの連絡は無くなり、代わりに茂に僕の事を伺う電話が来たらしい。心配されるのは正直嬉しい、けど嬉しい事すらも今は煩わしくてほっといて欲しいのが本音だった。まだ、京の名前を聞くだけで心が乱されるのが嫌だった。
変化はそれだけじゃなく、夏休みの間に茂と紺野さんが付き合い始め、いつも一緒だった茂と距離が出来た。嬉しい反面寂しいのも本音だ。
隙間を埋めるように僕と虹也先輩は急速に親しくなった。
先輩は容姿のせいだけでなくキラキラしていて、ポジティブで明るく、暗くなりがちな僕を随分励ましてくれた。茂はいつも隣で見守ってくれたけど、それとは違う初めての同志の存在は随分と僕の心を軽くした。
僕が京を好きな事はオープンだったけれど話せなかった事も多く、中学時代の僕も、京の事も知らないのが話しやすさに拍車をかけた。京を好きになった事、距離が縮まった秋の事、いつも優しく見守ってくれた冬の事、高校に進学してからの事、京と距離を置いて諦めようと思った事も、話し出すと壊れた蛇口のように止まらなくて、心の中に貯まっていた澱を全て吐き出した。
僕の話だけじゃなく虹也先輩の話も聞いた。中学で好きな人に失恋した事、家族にゲイだとばれた事、それからゲイコミュニティに参加したことや、恋人が出来た事。
一つしか違わないのに奔放な性関係には驚いたけれど、さわりを聞いただけの僕には想像もできないようなハードな過去は、虹也先輩の明るさや強さの原動力なんだと思った。
僕も先輩のように強くなりたい。
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