21 / 41

好き

 連行されるように連れられて来た京の家は記憶の中の懐かしいそれのままだった。京はリビングにいた姉が「おかえり」と言うのも、弟の友達に興味津々なのも無視して、弘を自室へと促す。姉は慣れているのか「お友達可愛い! ね、今度ネイルさせて! うちのお店メンズネイルもあるから、絶対に似合うよ」と無視する京を無視する。 「仕事戻るんじゃねーの? 早く行けよ」 「すぐ出るわよ。君はああなっちゃダメだよ。男は可愛さが命だから」 「余計な事言ってないでさっさと行け。弘も、早く来いよ」 「友達と喧嘩しないでよ!」 「うるせぇな、喧嘩なんかしねーよ、早く行け」  弘は兄弟喧嘩の板挟みにオロオロしながら、京の後をついて二階に上がる。何度も訪れた京の自室は、家具の配置もベッドやカーテンの色も変わって見知らない場所になっている。ドアの内側で立ちすくむ弘に「あのさ」と京が詰め寄り、不機嫌丸出しのままで弘を責める。 「泊りがけで男の部屋に行くって、どういう事? 何で俺に内緒にすんの?」 「え、と……」  弘は飛び上がり、どうしていいか判らずにオロオロと視線を彷徨わせる。一人っ子で回りに可愛がられて育った弘には喧嘩の耐性がない。加えて大人にも「いい子」と可愛がられる事が多く、怒気を正面から受け止める機会が極端に少なかった。口が悪く割と短気な京も、弘には優しいばかりでカラオケボックスでしたのが最初で最後の喧嘩だった。 「あの……」  身を縮こませたまま何の言葉も出ない弘に、京は意地悪をしているような気分になって溜息を吐いて気を落ち着かせる。  弘と再会してから、SNSの文章上では自分の知っている『弘』なのに、目の前に立つと見た目も声も『弘に似たやつ』で別人のような気がしていた。かつて自分が好きだった『弘』は居なくなった。だから、友達として新しく付き合えば上手くいくだろう──。そう思っていたのに駅で見かけて『恋人の所に行くんだ』と思った途端に、身体の中に押し込めていた衝動が爆発して、気が付いた時には強引に弘を連れ出していた。  今、目の前で怯えているのは『自分が守りたい』と強く願った弘そのままだ。視線の高さが変わって別人のような気がしていた弘は『弘』だったんだと、京の中で初めて実感として繋がる。 「悪い、思わず……。そんなビクつくなよ。もう怒んないから……、とりあえず、座って」  京に促されて、試験の勉強道具が拡げられたままのローテーブルの前に向かい合わせで座る。  もう一度、ふう、と大きな溜息を吐いて京が口火を切った。 「あのさ、怒りたいわじゃなくて、なんて言うか、……ごめん……。ついムカついて連れて来ちゃったけど、よく考えたら俺が口挟む事じゃなかったな。わかってるつもりだったんだけど……」  何を言われるかと怯えて構えていたのに、最初に謝られて拍子抜けする。俯いたり笑って誤魔化したりが常の弘と対照的に、気の強い性格そのままにいつも正面を向いている京が、真っ直ぐに弘を見つめた視線を逸らした事からもその気まずさが伝わる。  そこで、ようやく弘は気付く。  ──嘘をついちゃいけなかった。本当の事を言わなきゃいけなかったんだ。 「……あの、僕の方が謝んなきゃ……」 「あー……、そんな気使うなよ。どう見たって俺が悪いじゃん。彼氏との邪魔するみたいな事してさ。そうだ、ちゃんと連絡したか?」 「違うんだよ、そうじゃなくて……」  どこから説明すればいいのか、どう説明すればいいのか、ちゃんと話したいのに頭が空っぽになって何も思い浮かばない。 「連絡してないならすぐしないと。電話するなら部屋出てるから……」  今にも立ち上がり部屋を出て行こうとする京を慌てて引き留める。 「あのっ、先輩は彼氏じゃないから!」 「……どういう事?」 「先輩とは付き合ってるわけじゃなくて……」 「付き合ってもいない男の部屋に泊りに行こうとしてたって事?」 「僕が好きなのは京で……」 「じゃあ、どういうつもりで好きでもない男の部屋になんか、」 「だから、そんな意味で行くわけじゃなくて……」 「そんな意味じゃなきゃ、どんな意味だよ! ……ん?」  弘を咎めようとして言葉を発したものの、男が男の部屋に行くのに何の問題もないのか? と京は一人で混乱する。 「えっと、……恋人じゃなくて、ただの友達って事?」  弘がコクリと頷く。 「……なんっだ……、焦った……」  思わず京の本心が漏れる。安心して今頃心臓がバクバクと鳴り出し、それから弘の言葉を反芻する。 「……俺の事、好きって、言った?」  付き合っていた時でさえ一度も聞けなかった言葉を、信じられない思いで確認する。弘はそこで、勢いで告白してしまった事に気が付く。  コクリと頷き「言った……」と自らの言葉を肯定する。 「俺の事、好きなの?」  京は確認しても信じられず、念を押した。 「うん」 「本当に? いつから……?」 「最初から……」  何度も確認されるのに、そうさせているのは自分なんだと弘は苦しくなる。 「最初から京が好きだった。初めてキスした時も、ずっと会えなかった時も……」  ──身体の真ん中から、全部で京が好きだって言っている。 「今も、京が好き」  真っ直ぐに京を見詰めて弘が告げた。  京は不思議と弘の声を遠くに、姿を近くに感じる。遠近感がちぐはぐだった。  そうだろうと思っていた。他人より早熟だった中学時代、真っ直ぐな視線でみつめてきた小柄な同級生。同性な事も忘れて可愛いと思った。キスをして、付き合うようになって、夢中になった。視線で、態度で、弘は京が好きだと告げていたけれど、言葉にされた事は一度もなかった。いつまでも弘はほわほわと夢の中にいるように見えて、どこか掴み所のない物語の中みたいな存在に感じていた。  弘が物語の箱から出てきたのは高校一年の夏、けんか別れをした時だ。けれどそれが最後だった。その先はSNSも電話も拒否されて連絡が取れなくなった。取り付く島のない弘からの連絡を待って、いつしか諦めた。  心にポッカリ空いた穴を埋めるように遊んで、そのうちに彼女──、陽菜(はるな)に告白されて付き合い始めた。真っ直ぐに京を好きだと言い真っ直ぐな彼女が可愛かった。弘とは分かち合えなかったものを陽菜が与えてくれる。キスをして、肌を重ねて、深く繋がり合って、身体も心も全てを委ねてくれる陽菜に夢中になって、大切に守ってやりたいと思っている──。  それなのに、今の状況は何だ。  陽菜に会ったその足で、恋人の元に向かう弘を攫ってしまった。怒りのまま家に連れ込んで、恋人じゃないと聞いてホッとして、付き合っている時でさえ聞けなかった告白を聞いて……、  ──告白を聞いて、嬉しいと思っている。だけど……  弘の真っ直ぐな告白に驚いた京は喜びとは言い難い複雑な表情をしている。それもそうだ、京には付き合っている人がいる。例え過去に好きだった相手だったとしても、今更好きだと言われて手放しで喜べるはずがない。  弘はそんな京を見て、ふにゃと崩れそうな顔で笑う。 「ごめん、今更こんな事言って。困らせるだけって理解ってたんだけど……」  ──そうだ、理解ってた。京を困らせる事、告げても喜んでもらえない事、だから内緒にすればいいと思った。だけど嘘をついていても京に苦しい思いをさせるなら、本当の事の方がいい。僕が付けた京の傷を見ない振りで背負わせるより、ちゃんと僕が悪者になって僕が傷ついた方がいい。  泣いちゃ駄目だ、と弘は自分に命令する。自分勝手なのも、傷つけたのも全部自分なんだから、泣いちゃ駄目。 「彼女の事好きなのも、大事なのも理解ってる。京に、何かして欲しいとか期待もしない。それでも、僕が諦めるまでの間だけでいいから、もう少し好きでいたい……」  そこまで言って、弘は黙り込む。あと一言でも言葉を発したら泣いてしまう。  でも京の前では絶対に泣きたくない。きっと、涙を見せたら京は自分の中に抱え込んでしまう。傷つきたくなくて傷つけたズルい僕を無かった事にして、泣かせた罪悪感に代えてしまう。  ──ああでも、今こうしているだけで、きっと京は自分が悪いと思ってしまうんだろう。 「弘、……」  かける言葉を探す京に、自分勝手な『僕』を背負わせちゃいけない。無理矢理に弘は明るい声を出す。 「あー、もう。優しいから、感傷的になっちゃったじゃん。京の事好きだけど、前みたいに盲目的じゃないから大丈夫だよ。僕にもやんなきゃいけない事や大事な事もあるし。それに彼女を大事にしてるんでしょう? そういうの邪魔したくないし、京の事一番に応援したい。僕の事で気使ったりするの嫌だから、……気にしないでくれると嬉しいな」  一気に言い切ると弘は「トイレ貸して」と言い置いて部屋を出る。  トイレで一人で泣くんだろうな、と思った。思ったけれど、何て言えばいいか分からなくて京は少しほっとする。弘に泣かれるのは苦手だった。涙を湛えた瞳で見上げられると、全部を投げ捨て守ってやりたい気持ちになった。今じゃ、見上げられる程の差もないんだけど……。 「もう……どうすんだよ……。今頃言うなよなぁ……」  後ろにゴロンと転がり独り言ちる。気にするなと言われても気にならないわけがない。現状どうしてやる事も出来ないのは理解ってる。……それでも、かつて夢中だった相手に好きだと告げられて、中途半端なまま投げ出された恋情を思い出さずにはいられない。  ──これが陽菜に出逢う前だったら、せめて付き合い始めの頃だったら、迷う事なく弘を選べた。だけどもう弘は選べない。陽菜を裏切るような事は考えられない。罪悪感だけじゃない、京自身が陽菜の事を手放せない。

ともだちにシェアしよう!