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告白のあと
立ち上がった途端に零れそうになる涙を、背を向けて隠す。部屋のドアを閉めるまでが限界だった。ボロボロと溢れる涙に「だめじゃん」と呟いて一階に降り、廊下を曲がったところで洗面所から出てきた姉とばったり鉢合わせた。
「びっ…くりしたぁ。私、これで仕事戻るからさ、……あ、タイミング悪……、ごめんね。もう行くから、こっちどうぞ」
すぐに態勢を立て直して話し始めた姉が、弘の涙に気付いて言葉を止め、洗面所に促してタオルの場所を教えてくれる。
「さっき気付かなかったけど、中学頃によく来てた弘君でしょ。京は鈍いし自分勝手だから……なんか、ごめんね?」
「いえ、京は悪くなくて……」
話しかけられて、弘は困って返す。
「いいの、いいの。気使わなくても、悪くなくてもあいつが悪いんだから」
笑いながらすれ違いざまに背中をポンと叩く。その仕草が京にそっくりで胸が詰まる。でも助かった。沈み込んでいく気持ちが姉のお陰で少し上昇する。洗面所で顔を洗うと少しシャキッとして「部屋に戻れるかな」と鏡の中の自分を見ると、リビングの姉に声を掛けられた。
「ねぇ、ココア入れといたからここで飲んでから戻りなよ。私はこれで出ちゃうけど……」
「すみません、ありがとうございますっ」
「じゃあね~、行ってきます」
言うだけ言うと、弘がリビングに顔を出す前に慌ただしく部屋のドアが閉まる音がした。
すぐに部屋に戻る勇気がなかった弘は、好意に甘えてリビングに移動し、ソファに座ってココアに手を伸ばす。用意されていたココアの甘さがじんわりと身体の芯に沁みた。
京とお姉さんの優しさはよく似てる。いつだったか、失敗して凹んでいた時に京がくれたイチゴみるく味のキャンディを思い出した。子供の頃に食べた覚えのある三角のキャンディは懐かしくて優しい味で、あの時もほわっと温かくなった。お姉さんの淹れてくれたココアは、同じ温かさで僕を中から温めてくれる。
あんまり長居してたら心配するかな。
「戻ろ……」
構えて恐る恐るドアを開けると、テーブル横に転がったまま京が寝ていて弘は拍子抜けした。相手の都合も考えずに告白した言い訳も、京からされるであろう拒絶の言葉も、ひとまず先送りになる。
──シャワー浴びるような事してきたんだろうし、そりゃあ寝るよね……。と、弘は近づいて寝顔を覗き込んだ。瞼を閉じていると少し幼くて可愛くて、嫉妬と愛しさで胸が詰まる。京がもぞりと動いて起こそうか少し悩んだ後、弘はベッドから掛布団を下ろし起こさないようにそっと布団を掛けて、そのまま布団の上から京に添い寝する。
ふわりと軽いブルーの掛け布団は中まで京の匂いで満ちていて、目を瞑ってそれを吸い込む。中からも外からも大好きな匂いに包まれて弘は陶然とした。
──このまま、今のままでいられればいいのに。京の目が覚めずに、夜になる事も朝になる事もなくて、ただ隣に寝ていたられたら、それだけでいいのに。
そう思うのに、さらさらとした明るい色の髪に触れたくて弘は手を伸ばした。そっと触れて目が覚めない事を確認すると、優しく髪を梳いて手触りを確認する。身体の中にゾクリとする感覚があって、もっと触れたくなった。
弘は我慢ができず、布団の外に放り出されている左手の指先にそっと触れた。記憶の中と同じ大きな手。弘の手に比べて手のひらが厚く、節ばっていてガソリンスタンドのバイトのせいか指先がカサカサと少し荒れているのすら男らしく感じてドキドキする。手を握りたいと思ったけれど起こしてしまいそうで諦め、もう一度寝顔を見る。
会えない間も何度も想い出した、かつて優しく触れるだけのキスを繰り返した唇に触れたくて顔を寄せる。
もう少し……、
もう少し、唇を落とせばあの唇にもう一度触れられる――。
けれどそうすることができずに、弘は眠る京の頬に唇を寄せる。羽根のような、吐息が触れるだけのキス。
すぐ隣に、指を伸ばすだけで触れられる距離に居るのに――、寝顔を見つめてもう一度触れようとするけれど、結局触れる事はできずに寝息をたてる京の隣に丸くなる。
布団越しにやんわりと感じる京の熱、男らしい指先、柔らかい唇、弘を包む京の匂い……。
自分の身体の気付きたくない変化に、弘は大きくそっと息を吐く。熱が、張り詰めている。ドキドキと、心臓の鼓動と一緒に脈打つソレの温度を痛い程に感じる。
迷って、迷って、やり過ごそうとしたけれど意識を逸らそうとする程に意識する。無視できない自分の中の欲望に弘は恐る恐る手を伸ばす。軽くズボンに触れるだけでビクリとする程感じて、そのまま止まる事なく震える指でベルトを外し、前をくつろげる。
パンツの中に手を忍ばせて熱に触れるとそれだけで思わず声が漏れる程気持ち良くて弘は戸惑った。寝ている京に気付かれないようにそろそろと息を吐き、そっと自身を探り出して慰める。
息を殺して自分を慰めながら、京の顔が見たいと思った。そろりと四つん這いのような格好になり横目で京の顔を見る。男らしい、弘の全てを刺激するその顔を見るだけで、ゾクゾクとするような快感が込み上げた。受け入れた事も無いのに、後ろがウズウズとして受け入れたいと叫んでいる。
空いている手の指を口に含み唾液を絡ませる。その手を後庭に忍ばせると息が溢れた。
「ん……」
ヒクヒクと開閉して誘い込もうとするそこに、優しく唾液を塗り拡げてからそっと指を差し込む。潤いのないそこは指一本を咥え込むのが精一杯で、けれど、それだけで信じられない程満ち足りた。
「っ、は、んっ……」
思わず溢れた吐息は完全に喘ぎ声のそれで、突然響いた声に弘は自分で飛び上がる。けれど手の動きは止められない。いけないと思う程、罪悪感がある程、強く感じた。
──やばい……、これ、気持ちいい……。止ま、らない……。
はっ、はぁっ、と息を張り詰めながら自分を追い立てる。あの指で触れられて、あの唇で触れられて、京に追い詰められたら──。
声を立てちゃダメだ、気付かれたら……、と理解っていても止まらない。吐息の中に時折喘ぎが零れる。
──好き、京、好きだ……。
心の中で言ってしまったら、知らず知らずに言葉が溢れた。
「ん……、きょっ……、っ……」
息の詰まるような快感に、頭の中で何かが弾けて痺れるようなそれを追いかけた。
「はぁっ……、すきっ……ぅ……」
言葉と一緒に、頂点を極める。
「ぁ……っ、はぁっ」
残ったのは、荒く乱れた息と後悔だ。けれど他人の部屋では後悔に浸る間もない。
──やば、垂れちゃうっ。
慌ててティッシュを探し、吐き出した白濁とした欲望を拭う。息は荒いままだが、さっきまでの興奮はすっかり去って頭は冷静だ。
──なんでやっちゃったんだろ……。あ、ごめん京、布団もちょっと汚しちゃったかも。部屋の空気も入れ替えなきゃ……。
汚れをゴシゴシと拭い、窓を開けて京の匂いと弘の欲望の匂いが交ざった空気を入れ替える。罪悪感と一緒に、汚れた布団と混ざった匂いに言い知れない高揚感があって、弘は自分が空恐ろしくなる。
部屋を見回して違和感を探して大丈夫だと確認すると、欲望の残滓を流しにトイレに立った。
ドアが閉まると、そろそろと息を吐いてそっと身を起こす。まさか、まさか、だ。寝ていると思ったからって、弘があんな大胆な事するなんて。掛けられた布団の弘がいた場所をそっと触ると、ぬくもりが残っていた。
──さっきまで、ここで……。あー……、もう。
いくら彼女とした後でも、至近距離であんなの聞かされて反応しないわけがない。零れた声は思ったよりも低かった。抑えた吐息が色っぽくて、やっとで繋がった『前の弘』と『今の弘』に隠された知らない顔が足されて京は混乱する。ついでに、京の股間も混乱しているのか、これでもかという程に主張している。
どうしようか、と迷う程の間もなく階段を登る音がして、京はあわててもう一度寝たふりをする。あんなのを聞いた直後に平気な振りをして顔を合わせるなんて無理だ。しかも股間は『興奮した』と主張している。とてもじゃないけど、無理だ。
ドアが開き弘が入ってくる。室内で動く気配を痛い程に感じながら京は狸寝入りを決め込んだ。心臓はバクバクと鳴っていて、緊張のおかげか股間は収まる兆しを見せている。このまま股間が治まったらそこで起きたふりをして……、と考えていると弘の気配が近付きそのまま止まる。京の顔を覗き込んでいるようだ。
──起きていることがバレませんように。
ドキドキしながら固まっていると、掛けられている布団がふわっとめくられ、もそりと遠慮がちに弘が潜り込んでくる。
「……っ!!」
京は驚いて声を上げそうになり誤魔化そうとした寝返りで、うっかり向き合う形になってしまい後悔する。弘がどう出るのか身構えて待ったけれど、京が動かなくなるのを待ってそっと布団に入ったまま、身体を付けるでもなくただ隣でじっとしている。
──寒かったのかな?
その思った時、触れたかどうかわからない程にそっと指先に指先が触れる。自分の顔が赤くなるのが分かった。
──これ、無理……!
再び寝返りのふりで背中を向ける。
「……起きてる……?」
問いかけは無視した。一端落ち着いた股間が再び主張しようとしていた。
「寝てる、よね……」
確認するでもなく呟かれる。それは確認か願望かお願いか、どれなんだろう……。長い時間をかけて背中に手が触れる。羽根が触れるような触り方にためらいが見える。けれど、それだけだった。
我慢比べのようにただ、そのままじっとしている。
──心臓の音に気付かれませんように……。
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