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翌朝
ぬくぬくとした幸せの中に包まれている。
回わされた腕は逞しくて、寄り添う身体は温かい。規則的な寝息と、トクトクと身体の中まで響く相手の心臓の音。
穏やかな春の陽みたいな夢が醒めないよう、弘は覚醒の気配に抗う。少しでも長くこの夢を見ていたくて、チュンチュンと朝を知らせる小鳥の囀りに蓋をして、身体に響く心臓の音だけを聴く。少しでも動いたら逞しい腕も寄り添う身体もその力強さを失ってただの布団に戻ってしまう。それが惜しくて身じろぎせずに息をひそめて夢が醒めないように祈る。
ごそりと弘を抱き締める腕が動き重みが増して、ふわっと恋焦がれた匂いに包まれる。
──あれ?
弘はいつもと違う違和感に、そろりと意識を現実に醒ました。
しっかりと回された腕、寄り添う身体、恋焦がれた匂いに、朝を告げる小鳥の声……、目が醒めても全てが現実で、バクバクと鳴り出す心臓の音を感じながら、寝ぼけたままの頭で昨日からの出来事を思い出す。
──昨日、昨日は……。
駅で京に会い家に連れて来られてからの告白と寝姿をおかずに抜いた事、そのまま添い寝した事までを一気に思い出して、布団から飛び出し頭を抱えて走り出したくなる。
──ということは、この腕は現実……。
何て事したんだ、僕は。告白だけならまだしも、京が寝てるのをいい事にあんな恥知らずな事するなんて……! しかも、この下半身の感触……夢精してる……。抜いてから寝たのに!? 気が付いてしまうとペタリと張り付くパンツの感触が気持ち悪くてモゾモゾしてくる。
そのくせ「夢精する程ってどんな夢だったかな」と曖昧な夢の記憶を手繰り寄せる。
夢の記憶はリアルで感触もやけに生々しい。初めての深いキスに理性ごと翻弄されて、深く口腔を探り合って抱き締め合い、求めて、その快感だけで下半身に触らないまま頂点を極めた――。
──あれは、夢だった?
快感なのか、悪寒なのか、背中をゾクリとした感覚が走る。チカチカと警告が点滅する。
──よく思い出さないと……、あれは本当に夢だった?
誰かが動く気配に微睡んでいるうちに唇を奪われた。軽く触れあうだけが、いつしか口腔の奥深くを探られて舌を絡めとられる。覚醒する間もなく理性は遠く流されて、与えられた快感に酔い、気が付けば夢中で求めていた。そして、京が自分でシテいるのに気づいてしまったら、もう全てがどうでも良くなった。都合のいい夢で構わない、今目の前にある快感だけが全てで――。
──あれは、夢じゃなかった……?
そして微睡みの中で「はるな」と呼ばれた事も思い出す。
──間違えた……? 僕と、彼女を? あんな風に、強引にされた事ないもんな……。
ぎゅっと締め付けられる胸の痛みに耐える。強烈な敗北感と嫉妬。だけど……、与えられた熱と快感、それから抱きしめられた温もりと安堵……。それがかりそめの物でも構わないと思う自分もいる。
今、切なさと一緒に自分を包み込む幸福感は何物にも代え難い。もう手放したくない。
弘は抱き締められた腕の中で京の胸元をぎゅっと握る。
息苦しい程の切なさの中で、結局自分が縋るのはこれだけなんだと思うと涙が出る。自分が傷つきたくなくて逃げたのに……。
『傷ついてもいい』そう覚悟を決めたら京は抱いてくれるだろうか。蔑ろにされても捨てられてもいい、彼女の事を泣かせてもいいと覚悟を決めたら、全部僕のせいにして流されてくれるだろうか。
僕は『彼女から京を奪いたい』のだと、今頃気付く。何だか自分の事と思えない。
ふわふわと柔らかくて、あたたかくて、キラキラして楽しい、そして時折苦しくて苦い。そんな風に恋をしていたのに──。
弘は胸が引き絞られるような切なさと引き換えのぬくもりに浸る。
どれくらいそうしていただろうか。「んっ」と呻いてぼんやりと京が目を開ける。腕の中に収まったまま、弘は判決を待つ様な祈るような気持ちで京が覚醒するのを待った。
自分の中の願望を気付いて欲しくて気付かれたくなくて、拒否して欲しくて受け入れて欲しい。ぐるぐるする思考は自分ではどうする事も出来なくて、行き着く所を見つけられずにずっと堂々巡りだ。
ゆっくりと目が開いてその瞳に弘の姿を映す。寝惚けたままの表情で弘を見つめるとふわっと笑って、回したままの腕に力を入れて抱き締め髪を撫でる。
弘の心臓は爆発寸前で、息苦しい程に鳴る心臓の音が耳元で聞こえているみたいだ。
寝惚けているのは理解っている。それでも拒否されなかったことが、受け入れられた事が嬉しくて幸せを噛み締める。こんな風に抱き締められる朝を何度想像しただろう。何度、目が醒めて一人の朝に落胆しただろう。
弘の中の欲がむくむくと育っていく音がする。このまま受け入れて流されてくれないかな……。願望を無視することが出来ずに、弘は身体を離して、寝惚けたままの京の唇にキスをする。唇を触れ合わせただけの軽いキス。
昨日は、眠っている京にキスしようとしたけど、どうしても出来なかった。軽く指先に触れて髪に触れるのが精一杯だった。『受け入れられるはずがない』そう思ったら怖くて触れられなかった。今も緊張で手が震えているけれど『もしかしたら』その期待が弘を大胆にする。だけれど、唇から、手からあわよくばと考える自分の卑しさが透けて伝わるようで怖くなった。
それでも、束の間でもいいから手に入れたいと、もう一度唇を重ねる。僕のせいにして、代わりでも間違いでもいい、受け止めて欲しいと心ごと差し出すキスをする。
キスに応える唇が、寝惚けて流されているだけだと気付いているけれど……。
ふ……っと気配が変わる。必死過ぎて全身に神経を張り廻らせていた弘は、一瞬覗かせた躊躇いに京の覚醒を知る。やんわりと、でも確かな意思を持って唇を離されて、弘は残念に思いながらも離された唇を追いかける程強引にはなれない。
京は唇を離しただけの至近距離で弘を見詰めて瞬きをし、状況を整理する。強引に振り払われずにホッとした弘は、動揺を隠して挨拶を交わし額を肩に擦り付けて当たり前の様に甘えてみせた。
「お、はよ……」
京は戸惑いながらもそんな弘を受け入れて好きに甘えさせる。昨夜の事はお互いに口にせず、だけど二人の間には無かった事にならない親密さが残った。時計を見ると朝にはなっているがまだ6時にもならない。何を話せば……と迷っていると「ぐぅぅ」と京の腹が鳴った。見えない緊張の糸を切られて思わず二人で顔を見合わせて笑う。
「……腹、減ってね?」
「食べないまま寝ちゃったもんね」
「……って言っても何もないかも知れねぇな。でも、めっちゃ腹減ってるからガッツリ食いたい」
京は弘を離して起き上がり、スマホを見て「めっちゃ早いじゃん。コンビニかなぁ」と呟く。
「弘は? 腹減ってるだろ」
「うん」と頷きながら、でもこのままじゃ汚れたパンツが気になって何もできない。
「あの……、えっと……」
「ん?」
そ知らぬ振りでやり過ごしたいのにカッと頬に血が昇って恥ずかしさを倍増させる。
「先に、シャワー借りてもいい?」
「じゃ、俺何か買って来るよ」
そう言われて京も深夜の出来事に辿り着き思わず赤面して返す。弘に釣られて二人で挙動不審になりながら部屋を出た。
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