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二人の関係 2

 ──会いたい。少しでいいから顔を見たい。  生徒会室の長机に突っ伏して溜息を吐く。束の間の休息。文化祭までは夏休みを含めて一か月半、登校日だけなら残り二週間、文化祭の実行委員長を務める弘は倒れる程ではないが多忙を極めていた。優秀な副委員長以下の委員や生徒会役員のおかげで、決済は委員長だとしても、それ以外で目が回る程忙しいという事は無い。ただし、誰か一人でも遅くまで残って作業している人がいれば帰るわけにもいかず、手伝いながら、手伝えない時は諦めて勉強しながら終わるのを待つしかない。  暗くなった学校を後に校門を通り抜けて、時間を確認する。夜8時、各段遅い時間ではないが高校生がこれから出歩くには少し遅い。せめてメッセージだけでも……と、ラインの画面を開き「会いたい」の気持ちをコミカルなスタンプに託して送る。 『今からかえる』  京はバイト中なのか直ぐに既読にならず、返事を待ちながら駅へと向かった。  せっかく目を逸らし続けた思いに決着を付けて、前に進めるように──それで京と決別する事になったとしても──一歩踏み出したのに、ここ一か月程は会う事もままならず、あと数日で夏休みを迎えようとしている。勢いのまま京にアプローチしてきたけれど、この辺で補充しなければ気弱になって減速してしまいそうだ。  改札を抜けて電車に乗り空腹を抱えて家路を急ぐ。電車の中は疲れ果てたようなサラリーマンと対極的に楽し気な大学生が目立っていた。椅子に腰かけてうとうとしていると下車する駅の手前でスマホが震え、京からの返信が届く。 『おつカレー』 『ハラ減った』 『カレー喰いたい』  立て続けにふざけたスタンプが送られてきて思わずクスリと笑う。  カレー好きだったもんね。高校に入学したばかりの頃、カレーチェーン店で大盛の激辛カレーを「辛すぎた! 多すぎた!」と大騒ぎしながら食べた事を思い出す。また行きたいな、と思ったところで『またカレー食べに行こうぜ』とメッセージが入る。  ずるいなぁ。好きだと言っても、キスを仕掛けても、京は友達の距離で接する。それは酷く嬉しいことでもあったし、弘からの特別な好意があっても何も変わらないとあしらわれているようで寂しくもある。 『いいね、行きたい。たくさん食べられるようにお腹空かせて行く』 『夏休みいつから?』  カレーの話から、夏休みに会う予定を取り付けた。あと数日、夏休みになったら会えると思うと浮足立ってくる。高校三年生の僕らは雑事に何かと忙しい。隙間の時間に一緒に居たいと思ってもらえるのは単純に嬉しい。  カレーを食べに行く、それ以外の予定は決めないで電車の時間だけ決めて待ち合わせた。夏休みに入って三日目、学校の設備点検のおかげで出来た貴重な平日休みだ。京も何かと忙しい上に彼女との時間が入って、その隙間に滑り込むようにして弘との時間を取っている。 「夏休みなんて言って、学校行ってる時より忙しいかもな」  注文したカレーを待つ間、カランと氷の涼しげな音をさせながら水を一気に飲み欲した京がぼやいた。 「そうだねぇ。京のところも忙しい?」 「俺就職だからなぁ。時折求人も見に行くし、会社見学とか実習とか、あとバイトめちゃめちゃ詰め込んだら、丸々休みがほとんど無くなった」 「会社見学?」 「求人票で目ぼしい所とかは見に行けって。あとは学校の協力企業の研修とか資格試験とか……。とりあえず就職に有利なやつは出来るだけやっとかないとな」 「すごいね。就職なんてまだ具体的に考えた事ないや」 「もう勉強したくないからな。弘だって大学受験じゃねーの? 予備校とか行くんだろ」 「オープンキャンパスはいくつか行くけど、今は文化祭の方もあるからそれ終わったらだね」 「ふーん。大学って東京とか? 一人暮らしとかすんの?」 「うん、まぁ、首都圏希望ではあるかな……」 「そっかぁ。だよなぁ、一度は行きたいよなぁ」  決して東京が遠いわけでは無いけれど、小さな地方都市に住んでいると都会や自由な一人暮らしへの漠然とした憧れはあって、京が「いいなぁ」とぼやく。  一方、就職なんて考えた事もない弘には、当たり前のように自分が働く為に必要な事を話す京がひどく大人っぽく思える。それに引き換え、希望の職さえ決まらないのに未来の話をする自分が、なんだかふわふわして感じる。それに、進学してしまえばこうして簡単に会うことも出来ないだろう……。  お互いに溜息を吐いた所で「お待たせしました」と大盛りのカレーが届けられ、子供の様に歓声をあげてカレーにかぶりつく。 「辛っら! あー、でも美味ぇ」  特にヒーヒー言いながらもガツガツと山盛りのスプーンを口に運ぶ京はテレビのコマーシャルにでも使われそうな勢いだ。  目的のカレーをたらふく食べた後、クレーンゲームの景品目当てにゲームセンターへ行き、本屋や服屋をひやかして歩く。弘は何をするという目的のない街歩きが楽しくて、ついついはしゃいだ。  ショーウィンドウに映る自分と京は完全に友達同士に見える。『僕が友達に恋愛感情を抱いていて、自分が嫉妬されてるなんて誰も思わないんだろうな』と、何人目かの声を掛けてきた女の子を恨みがましく見る。 「ホント、モテるね」  声を掛けてきた女の子の相手を終えた京に嫉妬半分に呆れて言うと、逆に呆れて返された。 「弘のせいだからな!? 俺一人でこんなに声掛けられる事ないから」 「そんなわけないだろ、みんな京に声掛けて来てるし」 「だから自覚がないってやつは……。俺と弘と、どっちが女好きっぽく見える?」  溜息を吐きながら返されて、それなら……と答えた。 「京じゃない?」 「だろ。弘は人当たりは良さそうなんだけど、ナンパ成功しそうな隙がないから、みんな取りあえず俺に話しかけるだけなの、分かった?」  分かった、と言われても分かるわけがない。がっしりした身体に似合う白いTシャツにチョーカー、足の長さを強調するようなジーンズ、カーキのキャップを被った京は文句なく格好いい。女の子が声を掛けたくなるに決まっている。  納得しかねる顔をする弘の背中をポンと叩いて京が笑う。 「まぁ、その無自覚が弘の良い所だよな。今日び、弘みたいなちょっと繊細っぽいのがモテるんだよ、覚えとき」  その笑顔に堪らない気持ちになって、弘の心臓がきゅんと痛む。  ──キスしたいな。  けれど、人目の多いここでは手を繋ぐ事すら難しい。 「あの店、見たかったんだろ。行こうぜ」  弘の心を知ってか知らずか、京は大きな手のひらを頭に添えて先を促す。弘はうつむいて赤くなる頬を隠し「うん」と促されるままについていく。  入った小さな雑貨店は多国籍でカラフルなファブリックの隣にゲームのフィギュア、メタルが格好いい時計、日本の城のプラモデル、所狭しと雑多な商品が置かれている。これが面白いと店内を冷やかして歩き最奥の通路に来た時、弘が京の手を引き、振り向いた京の頬に軽くキスをした。  驚いて一瞬黙った京に「ごめん、なんとなく……したくなった」と弘が謝る。  眉をしかめ「ふぅん」と良いのか悪いのか判断に迷う返事をした京が、少しだけ握られた手を握り返して手を離す。  ──それは、どういう事?  弘の心臓はドッドッと痛くなる程鳴っている。  二人の空気が、少しだけ、中学の頃に戻ったような気がした。  ──嫌なの、良いの?  拒否されない事が不安になるなんて、どうかしている。期待、したいけどしたくない。  今日だって彼女が予備校に行っているから、と空いた時間だった。彼女の次に、空いた時間を割いてもらっている……。わかりきった現実があるはずなのに、弘の頭は都合良くそこを忘れたくなる。  角を曲がって姿が見えなくなった京を、弘は追いかけた。

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