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正論

 冬休みは受験生最後の追い込みだといっても、明日から始まる冬休みになんとなく教室は浮足立っていた。  いつもは彼女と予備校に通う茂に「一緒に帰ろう」と誘われて並んで歩く。朝は毎日一緒になるけれど、帰宅が一緒になるのは稀だ。珍しく誘ってきたのにいつも通りの茂の態度が却って落ち着かない。 「何か言われるな」と長年の勘が伝えている。  自宅前まで来ると案の定「寄っていっていいか」と聞かれた。経験上、こういう時の茂にNOの返事は通用しない。部屋に来たいと言うことはきっと他の人には聞かれたくない話で、帰宅後じゃなくてわざわざ一緒に帰ってきたという事は、話し辛い内容だ。  そんな事、わからなくてもいいんだけど……。それでも生まれた時からの幼馴染には敵わない。 「いいよ、入って」  観念して弘は茂を自宅に上げる。そんな風にして話す内容なんて京の事意外には思い当たらない。夏からこっちの約束のことはずっと内緒にしてきたけど、どこかから何か聞いたんだろうか。それとも、僕がヘマして何かしてしまったんだろうか。 「部屋、模様替えしたの?」  自室に入るなりそう聞かれて弘はドギマギする。ただの部屋の模様替えだ。京が来るから……とかじゃないと心の中で言い訳をする。 「うん、何となく気分変えたくて」 「ふーん。落ち着いていいけど……、もうすぐ家出るのに」 「そうなんだけど、けっこう暇で色々しちゃった」 「まぁ、弘はもう受験は終わりだもんな」  そう言うと、茂はベッドを背にして腰を下ろして、制服を脱ぎ着替えをする弘を見ている。 「あの、何? あんまりじっと見ないでよ」 「いつも見てるだろ」 「そうだけど……、なんか……」 「俺の事、意識すんの?」 「違うけど! それで、そういうの言わない! じっと見られたら気持ち悪いだろ」 「いや、弘も男っぽくなったなと思って」  あははと笑い、感慨深く言われて「そうだね」と笑う。男っぽくなるのがあんなに嫌だったのに、いつの間にか大きくなった体にも慣れてしまった。  弘は着替えを終えて、机に備え付けられている椅子に座る。 「それで……、んー、何かあった?」  早速話題を切り出されてドキリとしてとぼける。 「何かって?」 「最近、弘ちょっと変」 「そう……かな? 変じゃないけど……」  一応誤魔化してみるが、まるでお見通しという茂に隠しておける気がしない。 「バレないと思ってる? 隠したいなら隠してもいいけど、心当たりがないわけじゃないし……」  そう言われて観念する。 「実は……」  春に同級会で会ってから好きだと告げた事、それから彼女がいてもいいからと迫った事を話した。  大きな溜息を吐いて、茂がじっと弘を見る。 「それで、今はどうなってる?」 「えっと……」 「言わないなら、他に聞くけど?」  さすがに『受験が終わったら寝る』という約束を言い淀んだ弘を茂が追い詰める。 「受験が終わったらって……」 「受験が終わったら?」 「終わったら、してくれるって……」  蛇に睨まれた蛙のように、弘は全てを白状する。 「12月初めだよな、弘の合格。……それで、様子がおかしかったのか。京と寝たら、他の事が手につかないって?」  さっきより大きな溜息を吐いて、怒ったような声を出す。それに反論するようにもごもごと弘が答える。 「……まだ、してない」 「まだ、とかいう問題じゃない……。なんか、色々混乱してるんだけど。もしかしてその約束は冬休みの間?」  それには答えられず、弘は赤くなって俯く。 「なるべく、口は出したくなかったんだけど、見ない振りは出来ないってのは、わかるな? だから俺にも内緒にしてたんだろ。松枝先輩は知ってるのか?」  弘は黙ったまま首を振る。 「だろうな。……とりあえず俺はまず、お前らがそういう関係じゃなかった事に驚いてるけどな。あんなに堂々とイチャイチャしてたから、とっくにだと思ってた」 「そんなに……だった?」 「だった。中学生の俺には刺激が強すぎた。だいたい松枝先輩とだって本当は付き合ってるのかと思ってた位なのに……。それが、彼女いてもいいから、初めてなのに一度だけでも寝ろって? 何でそうなる、極端すぎるんだよ。……正直、京に同情する」  文字通り、茂は頭を抱える。 「京は……、弘の事すごい大事にしてただろ。弘も男なら多少解ると思うけど、好きな相手は触りたいし、やりたいだろ。それを我慢できるのは大事にしてるからだ。それが再会して彼女いるのに一回だけって迫って来るんだろ? なんかもう、夢見てたのとか全部ぶち壊し。弘は人当たりいいのに、時折驚く程不器用だよな」 「そう、かな?」  自分ではよくわからないけど、確かにそんな気はする。 「よく言えば繊細だけど、悪く言えば臆病で自分勝手だろ。もっと相手の事大事にした方がいい。やるかやらないかは俺が口出す事じゃないけど、そんなふうにやったらお互いに傷付く。……っていうのが、正論な。……俺の感情的にはやって欲しくない。好きになったらどうしようもないのは分かるけど、やった後もっと好きになったらどうするんだ? 好きな相手に触れたら、相手の事もっと大事になるぞ」 「そうかな。それは、経験談?」 「経験談」 「そっか……」  経験談、と言われて弘は黙る。今より京の事を好きになって、そしたらどうなるんだろう。だけど、触れあう事でもっと好きになるなら、なってみたい気がする。それに京が僕を今より大事に思ってくれたりするんだろうか。もし、そうなら……。そこまで考えて弘はハッとする。  この考え方が、今『自分勝手』と言われたんじゃないだろうか。確かに、とんでもなく自分勝手でエゴイスティックな考え方かもしれない。  それに……、京はそうやって触れ合っているのは、僕だけじゃないんだった。彼女に触れて、彼女の事を大切だと思ったんだ。  そう思うと、キュッと胸が痛む。 「今更、引き留めはしないけど、泣くならやめとけ。弘は略奪なんてタイプじゃないし、京だってそうだ。二人とも辛くなる。それでも止められないなら、辛いのは自分だって思うな」  辛辣な茂の正論に弘はうつむく。  同じ事を何度も考えた。考えて、考えて、考えるのを止めた。止めたけれど、もう一度考えなきゃいけないかもしれない。

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