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3 大学編 2 初夏‐① 遊園地に行った

 待ちに待ったゴールデンウィークがやってきた。大学は当然お休み、しかも今年は超大型の十連休。何だってできるような気がした。数学の課題と実験のレポートを抱えていることだけがネックだが、そんなもんは最初の二日間で必死に終わらせた。    なぜなら、俺にはどうしてもやりたいことがあった。瑞季と遊園地に行ってみたい。家族や友達とは何度も行ったことがあるが、瑞季とはまだ一度もない。せっかくの連休だし、知ってる場所だから安心だし、などと理由を付ければ色々あるけど、とにかくデートっぽいことがしたかった。    だが、実はまだ誘えていない。機会はいくらでもあったのに、何となく言い出せなかった。断られるわけないってわかってるけど、いざ誘うとなると緊張してしまう。近所のファミレスに行くのとは訳が違うのだ。わざわざ遊園地に行こうと言うのが恥ずかしい。こいつおれとデートしたいんだな、と思われるのが恥ずかしい。    でも誘わなきゃ始まらないのもわかっているので、俺は今ベッドの上でスマホを握りしめている。今夜こそ、電話しよう。   「……もしもし」  電話越しに聞く声。やっぱりちょっと掠れていて色っぽい……って違う違う。要件を伝えなくては。   「……柊也?」    ああほら、瑞季が困ってる。   「あ、えと……お前、ちゃんとスマホ使えるようになったな」 「うん? ああ、お前が教えてくれたからな。最近は文字も打てる」 「すげぇじゃん! もう立派な現代人だな。これからは電話じゃなくてラインにしようか」 「でもそれって文字だけなんだろ? お前の声聞きたいから、こっちの方がいい」 「っ……」    どうしてこいつはこういう殺し文句を、まるで至極当たり前って風にさらりと言ってしまえるんだろう。毎回心臓を掴まれている。これじゃ身が持たない。   「……俺も、このままがいいよ」 「ふふ、おそろいだな」    今笑ってるね。電話越しなのがもったいない。その顔が見たいのに。   「なぁ、明日か明後日空いてる?」 「ずっと暇だ。何か用事?」    話が早くて助かる。後はもう、思い切って誘うだけだ。   「じゃあさ、明日、遊園地でも行かない?」 「遊園地?」 「そう。行ったことないかな。色んな遊べる乗り物があって……観覧車とかお化け屋敷とか。とにかく一日中遊べる楽しい場所なんだけど」 「ん、いいぞ。行こう」 「ほんと!?」 「変なやつだな。断るわけないのに」 「そうだけど、でも、嬉しい」    嬉しくって変な笑い声が出る。恋人と遊園地デートだなんて、誰でも一度は夢に見るだろう? 俺もずっと憧れてた。かわいい恋人とポップコーンを分け合って、アトラクションに乗って、パレードやショーを見て、記念写真を撮って、最後に綺麗な夜景でも見られたら最高だ。   「お願いがあるんだけどさ、よかったら着物で来てよ」 「なんで。目立つぞ」 「えー、だって俺好きなんだもん。お前の着物姿。着流し? っていうんだっけ。別に目立ってもいいじゃん、似合ってるんだからさ。俺は好きだぜ」    瑞季は少し黙ったが、じゃあそうすると小さな声で言った。   「へへ、やった。じゃあ明日な。楽しみにしてる」 「うん、おやすみ」    おやすみ、と言ったけどまだ風呂に入っていない。一階に下りると両親がリビングでテレビを見ていて、顔がニヤついてるわよと母さんに指摘された。      というわけで翌日。約束通り、瑞季は和装で来てくれた。鮮やかな紫色の着物で、袖と裾に蝶の模様が入っている。よく見ると、黒い帯にも細かく蝶が描かれている。   「どう……? おかしくないか……?」    そわそわと髪を弄くりながら瑞季が言う。    おかしいおかしくない以前に、めちゃくちゃ派手だなと思った。正直、かなり目立つ。家に遊びに来る時はもう少し大人しめの、無地の着物が多いのに。そういえば去年のゴールデンウィークに出かけた時も派手めの着物だったっけ。あの時よりも派手だ。まるで女物みたい。だけど、そんなの全然構わない。   「超かわいいよ。似合ってる」    素直に褒めると、瑞季は嬉しそうに顔を綻ばせた。    あえて遅めに行ったので、遊園地は既に混雑していた。瑞季は不安げに俺のリュックを掴む。やっぱり、人混みはいまだに苦手らしい。大学では普通にしてるけど、初めての場所だと緊張するのかな。   「ちょっと休憩してからにしようか」 「まだ何もしてないのに?」 「でも……あ、そうだ。俺あれ飲みたい、タピオカ」 「たぴ……?」 「タピオカな。こっちだよ」    よくある移動販売だ。ピンクのキッチンカーにピンクのパラソルが架けてあって、メニュー看板とのぼり旗が立ててある。メニュー表の写真を見て、瑞季は驚いたように目を瞬かせた。   「何がいい? 普通にミルクティーでいいか?」 「いや待っ、なん、何だこれ、大丈夫なのか?」 「何が?」 「だ、だってこれ……か、蛙の卵だろ」    驚いているというか、怯えている様子だ。俺の背後にさっと隠れてしまう。俺自身はそんな風に思ったことがなかったので、蛙の卵みたいだなんて言われて逆にびっくりした。店員のお姉さんも困ったように苦笑している。申し訳ない。   「だ、大丈夫だぞ! これ蛙の卵じゃねぇから!」 「本当か……? だったら何なんだ」 「え? えーと、確か芋だったような」    キャッサバという芋の一種ですよ、と店員さんが助け船を出してくれる。   「お芋のデンプンを丸めて固めたものです。もちもちしていておいしいですよ。ぜひ一度お試しくださいね」    店員さんの丁寧な物言いになんだか気まずくなって、俺は急いで注文を済ませた。商品を受け取り、パラソルの付いたベンチに座る。瑞季はまだ訝しげな目をしている。   「本当に大丈夫なのか……?」 「大丈夫だって。見てろよ、今から飲むからな」    少し緊張しながらストローに口を付け、ゆっくり吸った。甘いミルクティーと一緒に丸いもちもちを吸い上げ、よく噛んで飲み込んだ。瑞季は瞬きもしないで俺を見る。   「うん。普通にうまいよ」 「な、生臭いとか……?」 「ないない。ほんと、甘くてもちもちしてるだけだから。ちゃんとおいしいから。試しにお前も飲んでみ?」    ほら、とカップを差し出す。瑞季はあまり乗り気でないようだったけど、カップを受け取った。すぐには飲まないで、軽く振ったり掻き混ぜたり、太陽に透かして中身を覗いてみたりした後、躊躇いがちに口を開いた。形のいい唇がゆっくり動いて、恐る恐るストローの先端を咥える。    そこで初めて気が付いた。これっていわゆる間接キスじゃないのか。意図せずしてしまった。付き合う前なら何度かしたことがあるけど、告白して以降は初めてだ。変に意識してしまって、なるべく避けてきたのだ。でも今日はうっかりしていた。色々あったから、そこまで気が回らなかった。    瑞季が今咥えているストロー、あれはさっき確かに俺が口にしていたものだ。そう思うと直視できない。まるで本当にキスしているような錯覚に陥り、思わず口元を押さえた。恥ずかしすぎて逃げ出したいくらい。全身が熱い。   「うん、普通にうまいな」    その声にはっと顔を上げる。   「すごく変な食感だし、吸いにくいけど……もちもちしてておもしろい。な、これなんていう食べ物だっけ」 「タピオカ……」 「たぴおかか。最近は変わったものがあるんだなぁ」    瑞季はもう一口ストローを吸い上げる。ミルクティーを飲み、タピオカをもちゃもちゃ噛んでいる。表情は穏やかで、リラックスしている様子だった。俺とは正反対だ。   「あ、ごめん。お前も飲むよな」    俺がじっと見ていたせいか、瑞季がカップを返してくる。  こちらに向けられたストローは、つい今し方まで瑞季が口に咥えていたものだ。瑞季の形のいい唇が確かに触れていた場所だ。そう意識してしまえば最後、もう二度とそれに口を付けることなんてできない。   「……いいよ、俺、もう腹いっぱいだから。お前にやる」 「いいのか?」 「気に入ったんだろ。全部飲んでいいよ」 「ふぅん? そういうことなら」    瑞季はすっかりご機嫌だ。俺の態度を不思議がることもない。もしかして、間接キスしちゃってることにも気づいてないのかも。    もはや躊躇うことなく、ミルクティーをちゅうっと吸う。タピオカをもちもち食べる。そのツンとした唇、丸いほっぺたこそがおいしそう。舐めたらどんな味だろう。やっぱり甘いのかな。なんて、俗っぽいことをついつい考えた。いけないけない、邪念は捨て去らなければ。    その後、いくつかアトラクションに乗った。メリーゴーランド、コーヒーカップ、ゴーカート。子供向けのあまり激しくないローラーコースターにも乗った。それでも瑞季には刺激が強かったみたいで、降りてからも足元がふらついていた。   「お前は平気なのか?」 「まぁ、うん。これくらいならね」 「でも思ったより大丈夫だった。そんなに怖くないな」    そう言って空を仰ぎ見る。俺達が乗ったのとは桁違いに大きな、一番メインのジェットコースターのレールがそびえている。高さ八十メートルはあるというレールのてっぺんに到達した車両が、乗客の悲鳴と共にほぼ垂直に落ちていく。猛スピードで走り抜けていく。最高時速百三十キロだっけ。スリルが過ぎる。   「……あれはちょっと無理かも」    瑞季が震えながら言った。   「下から見てるだけでぞっとする。あの人間達はよく平気でいられるな」 「平気ってことはないと思うぞ。みんな怖いのが好きなんだよ」 「お前も乗りたいのか」 「いや俺は別に。友達が乗りたいって言ったら付き合うけど、そこまで絶叫好きってわけじゃないからね」 「そうか」 「お前と楽しめるやつが一番いいよ。次、何にする?」    トロッコで地底探検をしたり、潜水艦で海底探検をしたり、人形が歌ったり踊ったりするのをボートから眺めたり、そういう優しめのアトラクションにいくつか乗った。バルーンレースとか空飛ぶ絨毯とか、多少スリルのあるものも楽しんだ。    瑞季はメリーゴーランドがかなり気に入ったらしく、三回も四回も繰り返し乗った。何てことはない普通のメリーゴーランドだけど、夕暮れ時にはイルミネーションが始まり、昼間とは違う幻想的な雰囲気に包まれる。天井や壁の絵や彫刻も、イルミネーションのおかげで芸術的に見える。   「回転木馬なら、大昔に一度乗ったことがあるんだ」    瑞季はメリーゴーランドのことを回転木馬と言う。今時そんな言い方する人いないけど、レトロな感じがして俺は好きだ。   「遊園地、行ったことあったのか」 「遊園地ってほどじゃない。こんなにきらきらしていなかったし、もっとうんと狭かった。回転木馬と観覧車と長い滑り台しかなくて、道化師が曲芸をやって客を集めてた」 「へぇ。地元の? 誰と行ったんだ?」 「ああ。でももう残ってない。一人で行ったんだ。遊んでくれるやつはもういなかったからな」    寂しそうに言い、俺を見る。賑やかなBGMと煌びやかなイルミネーションには似つかわしくない、切なげな眼差しだった。   「でも今日はお前と来られた。だから嬉しい」    にこりと笑う。本当に嬉しそうで、だけどわずかに切なさを残したような笑顔だった。

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