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後宮という名の籠の中

 長々とした事情説明になってしまったが、つまりエヴァンが女性の園である後宮に足を踏み入れたのは、王妃候補の中から誰か一人が選ばれるその日まで、三人の令嬢を守る為である。  Ωでありながら騎士団への入団試験を受ける許可まで貰えていたエヴァンに、この仕事は確かに最適だ。  Ω同士なら例え男女の別があっても発情する事は無いので、誰かがヒートになっても影響はない。逆を言えばエヴァン以外に完全に安心出来る護衛はいない、というのが正しい所かもしれない。  王妃候補はそれぞれβの女官を数名連れてくるらしいし、王宮でも世話役の女官は用意出来るが、盾になり身の安全を守る者を探すとなると難しいだろう。  副団長からの打診は、エヴァンに取ってもこれ以上なく都合の良い条件だった。  騎士になる夢は潰えたが、家に籠もるのではなく誰かの役に立てる仕事に就ける事には変わらない。  描いた未来とは違ったが、それでもずっと夢を捨てずに鍛え続けてきたエヴァンにとって、たとえ短い期間だとしても報われる条件である事に間違いは無い。  遠い存在の特にΩには許されることのない王城という場所に、急に近付く事への不安や緊張はあるが、エヴァンが王に直接会える訳ではない。  王がお渡りになる時は、強いαが居る事によるΩのヒートの連鎖という危険も伴う為、絶対にフェロモンが漏れない様に厳重に造られた各屋敷の特別室で逢瀬を重ねる事になっている。  その時には日頃から王を守っている騎士の中から、優秀なβの騎士が選出されて屋敷と部屋の周りの警護を担うので、エヴァンは残された他の王妃候補の護衛に付く事になる。エヴァンが王と遭遇してしまう心配は不要だった。  Ωの多くなる傾向のある後宮は、一つの建物の中で何人もの妃が暮らすのではなく、敷地内で一人一人に小さな屋敷があてがわれる形になっている。それは豪華なようで居て、屋敷の外での自由はなく隔離監獄かのようなものとも言えた。  見た目こそ美しく王妃候補一人一人に小さな屋敷が与えられているような形にはなっているが、実際はそこから一歩も外に出られない。  王妃候補に与えられる小さな屋敷の数々は円形に設置されていて、その真ん中には交流出来る美しく整備された庭なども用意されているが、ほとんど使われたことはないという。結局Ωは、どこに行っても囚われの籠の鳥として生きていくしかないという事だ。  それに今まではΩの騎士など一人も存在していなかったのだから、この屋敷の数々を警備していたのはβの騎士達だ。いくら忠誠心が高く、身持ちの堅い者が選ばれると言っても万が一というものはある。  王妃候補達が警備の騎士と鉢合わせすることの無い様にするには、出来るだけ外出を控えるという対策しか出来なかったという所もあるのかもしれない。  エヴァンはヒートの間隔が他の一般的なΩよりも広いので、抑制剤さえしっかり服用して時期を見計らっていればそこまで窮屈な思いをしなくて良いが、通常のΩのヒートの間隔は二ヶ月に一度程度。αが近くに居たりすると毎月のようにヒートに悩まされるΩも居るという。  王の子を期待される王妃候補のΩであれば、本人は苦しいだろうが頻繁にヒートのあるΩの方が望まれているのかもしれない。エヴァンの様に日常的に抑制剤を服用している王妃候補はいないだろう。  そうなると確かに、騎士以外の男性禁止の後宮の中とは言え、屋敷の中から出る行為は難しいことなのかもしれない。  今この時に王妃候補と女官にエヴァンが顔を合わせる為に全員が集まっている光景さえ、きっとこの先二度と見る事はない可能性が高い。それはとても悲しく息苦しい事のように思えた。  護衛として今回就任して挨拶出来るのはエヴァン一人だ。元々βの騎士を護衛に付ける時は、挨拶なども顔を合わせることなく屋敷の扉越しに行われ、王妃候補達からすれば声しか知らない誰かが屋敷の外にある庭を周回しながら警備している、という形だったらしい。  どんな姿をしているのかわからない男の気配が四六時中屋敷の外にあるのは、若くして数名の女官と後宮に入った女性には結構怖いものなのではないだろうか。  そう思って今回仕事を振ってきた副団長に最初の一度だけで良いから挨拶をさせて欲しいと打診したのはエヴァン自身だった。  この間の事件以来、自分を欲望にまみれた目で狙う男達の気配が怖い事を身をもって知っているからこそ、顔を見せて自分は大丈夫だと安心させてやる事の重大さがわかる。  エヴァンにも休憩の時間や睡眠の時間は必要なので、四六時中と言うわけにはいかないが、誰か一人でも見知った顔が居るのといないのでは、格段に安心感は違うはすだ。  副団長も思案の上、比較的簡単に許可をくれた。ただし本来エヴァンを紹介すべき副団長がαである為、付いて行く事は不可能だから一人になる事と、エヴァンも伯爵家という身分であるとはいえ、王妃候補の三人はそれ以上に上位の貴族のご令嬢であるから、くれぐれも失礼の無いようにとのお達しだった。  そうしてエヴァンは後宮で、王妃候補三人とそれぞれに一人付いた女官、合わせて六人の前に一人膝をついている。 「エヴァン・アルトーと申します。王妃様が選ばれますその時まで、俺……いや私が皆様をお守り致しますので、どうぞお気を安らかに後宮での日々をお過ごし下さい」  片膝をつき頭を垂れ、利き手を胸に当てて従順な騎士の体勢を取り、出来るだけ丁寧な言葉遣いを心がけつつ慣れない挨拶を告げる。  同じΩ同士とはいえ、相手は王妃候補達だ。返事はないはずだと副団長にも聞かされていたし、エヴァンも少しでも安心して貰えたらそれでいいと承知しているので、三人がエヴァンの姿を確認し立ち去るまでこの体勢を崩さず居る事が、今日の一番の任務だった。  身分が高く王妃に一番近いとされているのは公爵令嬢のベアトリス。その次が侯爵令嬢のアデール。そして隣国の第七王女であるナタリア。後宮に入ったのはこの三人で、エヴァンが命をかけて守るべき令嬢達だ。 「よろしく頼みます」  凜とした声でそう応えてくれたのが一体どの令嬢だったのか、頭を下げたままのエヴァンにはわからなかったが、返事を貰えないはずの挨拶に言葉をくれただけで充分すぎる程の名誉だったし、王の為にも絶対にお守りしようと固く心に誓った。  そして周りから全ての気配が消えるまで不動を貫いたエヴァンが、遠くからその様子を見ていたもう一人の人物に気付くことはなかった────。

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