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ろいどっくほすぴたる 4/6
退院を待つ三日間は今までのどんな時間よりも長く感じられた。
そして、手術も無事終わり迎えに行くという段階でもまだ、素直に喜べなかった。
出迎えて応対してくれたのは最初に会った検査医の吉岡さんだった。
そのまま、ミオが眠っているという部屋へ二人へ向かう。
「執刀医の辻井からの報告もいただきまして、手術はもちろん成功しました。
わたくしの方でもミオ様と簡単な質疑応答いたしましたが怪我も病気もなく、すっかり回復しております」
「はい、ありがとうございます」
そして俺の方は、やっぱりどうしても沈んだ声になってしまう。
「いつものように起こしてあげてから退院手続きをして下さい、松沢様のタイミングで全然よろしいので」
「はい………」
「………大丈夫、ですか?」
俺の声のトーンに、吉岡さんは顔を覗き込んできた。
「えっ? あ、………すみません、こんなことになるなんて思ってもみなかったもので」
「えぇ、お気持ちはよくわかります。彼たちは痛みを感じてもそれを私達には伝えてくれませんから」
「痛み、ですか? ロイドなのに」
「もちろん彼たちだって痛みを感じますとも。わたくし達と同じです」
「…………………」
「………先日、手術の手続きで松沢様の担当をした篠田という男ですが」
「? ………はい、」
「彼は別の部署へ異動させましたから」
「へ?」
思わず顔を上げ、吉岡さんを見つめる。
「彼は以前から、応対の態度がよくないというクレームが何度か来ておりまして………こちら側も勤務態度としては望ましくないという認識はありましたが。
まさかロイドの彼たちや、お客様にあんなに酷いことを言っていたまでは気付かずにいまして、」
「………………」
「松沢様にも不快な思いをさせただろうとこちら側も深く反省しております、わたくし共としてはなんとお詫びしてよいか」
「あっあぁいえっ、そんな吉岡さんが謝らなくてもっっ」
深々と頭を下げる吉岡さんに逆に慌ててしまう。
「わたくしたちは人であろうがロイドであろうが、その人の人生の大切なパートナーである事に変わりないと思ってます。
お二人が、今後も楽しい関係を築いていかれるためにわたくしたちは存在してますから」
「…………………」
「特に松沢様の場合、わたくし共スタッフ、久々に胸を打たれるものがありました」
「は? ………僕が、ですか?」
吉岡さんはうなづき、チェックシートをめくって目を通す。
「ミオ様には右手首に染みが残ってる、という事でしたが」
「あ、はい、初日にコーヒーをこぼしてしまいまして………」
「それを『消さないでほしい』とご所望されましたよね?」
「は、はい……………」
目を細めて、吉岡さんがチェックシートに書かれた文字を指でなぞる。
『彼の右手首には、不注意でコーヒーをこぼしてしまい残ってしまった染みがあります。
ですが、この染みは僕も、そして彼自身もとても愛着があり気に入っています。
世界にひとつしかない、彼だけのものです。消さない方向でお願いします。
その他の変更も一切希望いたしません、どうか、すべて同じままでお願いいたします』
「…………………」
「このお言葉だけで、お二人がとても素晴らしい関係を、その絆を築かれてるのだと伝わり、スタッフ一同、感謝の想いでいっぱいです」
「いえ、そっ、そんなっ………」
「お客様の中には、メンテごとにあれこれと気まぐれに趣味嗜好を変えられる方もいらっしゃいます、もちろんそういった方を否定する気持ちはありませんが、私個人の気持ちを言わせていただければ、ありのままを受け入れ、愛せるというのはとても素晴らしいことだと思います」
「……………………」
「ですので、もちろんそのまま残してミオ様をエステをさせていただきました。
ただ、どうしてもこちらの部分は他よりもお肌が荒れやすくなりますので、簡単なピーリング、そして十分な保湿とパックをさせていただきました」
「………ありがとう、ございます………」
研磨とかコーティングとか、他の言い方もあるはずなのに、あえてそれを使わない吉岡さんの言葉に、俺の方も胸がいっぱいになった。
つか、ホントにあの男だけがとんでもない奴だったんだなぁ(苦笑)。
一つの部屋の前に辿りつく。
「それでは私はこの辺で。あとはごゆっくりどうぞ」
「あっ、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。………あ、それとこちら退院後の説明が書かれた冊子ですので、必ず読んでおいて下さい」
「はい」
冊子を受け取り、もう一度吉岡さんに礼をして別れる。
一呼吸してドアを開け、中に入る。
ベッドの上でミオが眠っている。
椅子を引き寄せてベッド脇に座り、顔を覗き込みながら頭を撫でてみる。
数日会ってない、というだけなのにその寝顔に安堵が広がる。が、安心してばかりもいられない。
早く声も聞きたいし、笑顔も見たい。けど。
起こすだけなのにひどく緊張してしまう。
でも目覚めるきっかけはただ一つ、俺の声と言葉しかない。
よし、とひとつ咳払いをして、ミオの耳元に口を寄せた。
「ミオ。ミオ………おはよう」
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