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第一話 告知

「弟さん、もって半年ですね」  銀縁の眼鏡を涼しげにかけた医師の声は冷淡だった。  ベータのミナミは担当医師を口を空けて見つめ返す。癖っ毛の黒髪ははねて、厚手のセーターは縮み、染みが所々にみえた。 「なんとかなりませんか?」 「難しいかな。ましてや、ドナーがいない。日本じゃ、まず無理だよ」  医師は首を横にゆっくりとふる。  残された唯一の家族である弟は十二歳。日向(ひなた)の余命は儚くも呆気なく告知された。  ミナミの喉は渇いて皮膚がはりつき、乾いた空気が気持ち悪い。手のひらについた消毒液はあっという間に蒸気となり消えていく。 「海外に目をむけるのが一番いいよ。ただ、その分お金がかかる。自費になるけど、調べてみようか?」 「……よろしくお願いします」  深々と頭を下げるが、無理だと胸のなかで毒つく。  オメガの弟、日向は生まれつき心臓が悪い。手術を繰り返し、殆ど病院のなかで暮らしている。長期入院かつ、オメガというバースのせいで医療費はさらに跳ね上がってしまう。  ヒート対応のため、個室部屋が指定されると差額ベッド代、抑制剤のくすり代、そして入院費、手術代……。数えればきりがなかった。  国からの補助金に頼っても、すぐに底がみえる。たび重なる手術で虫食いのように金はなくなり、自分の給料でさえ、家賃と生活費で消えていく始末だ。兄であるミナミはまだ二十二歳、ベータで収入は人並みよりも少ない。母は交通事故でなくなり、父は物心つくころからいない。  昼間は清掃員として働くがどうしても限界だった。 (……なんでバースなんてあるんだよ)  ミナミは悔しさで唇が震える。  この世には男と女の性。さらにアルファ、ベータ、オメガと六つの性に分化される。  ベータが八割、アルファは一割も満たないが、オメガはそれよりも少なく、ひと握りと希少な存在だ。それは数十年前に流行った伝染病のワクチン接種に遡る。急にだった。新しい「バース」という性が生まれた。  ベータはどこにでもありふれる、従来の「性」。  新しいバースはアルファという容姿も頭脳もすべてを兼ね備えた優秀な人材だ。ぽつぽつとその存在が確認され、いまでも日本では数少ない。そして、アルファの着床率は極めて低いことがわかってきた。  子孫を残そうとしても、流産するか幼いうちに病気で亡くなってしまうのだ。  それを補うようにオメガという性が現われる。男女ともに子宮を有して、フェロモンという物質でアルファを誘い込んで子孫を残そうとする。  美しい美貌と華奢な身体つきが特徴で数は少なく、長く差別の対象として影でひっそりと生き長らえてきた。  いまは時代もかわり、少数派であるオメガも時代の寵児として頭角を表しつつある。  それでも、オメガはまだつらい立場にある。病を抱えればなおさら酷だ。医療費は重なり、医者も限られてしまう。頭では分かっているが、高額療養費を利用しても金は足らない。  とぼとぼと入院病棟へ戻り、ミナミは病室前で深く深呼吸を繰り返して声に落ち着きを取り戻す。扉を引くと、日向は気だるそうに身体を起こして視線を投げかけるのがわかった。 「もどった~! ふう、疲れたよ」 「にいちゃん、どうだった?」 「うん、順調だって。あとすこしで退院できる」  明るく伝えると、嬉しそうにきゃっきゃとはしゃぐ日向がいた。  嘘だ。退院はまた伸びた。弟の日向はこのせまい病室から出たことがない 「本当かよ!? おれ、にいちゃんのご飯楽しみにしてるからな!」 「あはは、期待してろよ」  アッシュグレイのバックを肩にかけて、ミナミは日向に微笑む。  季節は秋。西の空が朱色に染まり、街には夕闇が漂いはじめようとする時刻。名残惜しく帰る支度をすると、つぶらな瞳で日向はみつめてくる。 「明日もくる?」 「うん、来るから元気にしてな」    不安と憂鬱な気持ちを澱ませて病院を出ると、ミナミはゆらゆらと電車に揺られる。  まだ電車にも乗ったことのない日向。変わってやりたい気持ちもありつつ、荒れて汚れた手のひらが視界にはいり溜息がでてしまう。 「かわれないよな、こんな人生……」  ぼそりと自嘲ぎみに呟いてしまう自分がいた。  どんどんと風景をめくって、電車は地響きを立てて街を過ぎていく。    電車から降りて改札を抜けると、若い学生や仕事を終えたビジネスマンが帰宅へと急いで駆け込んできた。  ミナミは重い足取りで、ビジネス街とは反対の煌々と輝く繁華街へ足を運んでいた。  けばけばしいネオンが絵のように浮いて、灯りがつきはじめる。五階建ての小さなビルへと足をはこび、階段をのぼっていくと、二階にある一角に辿り着いた。  看板には三十分七千円と記されて、チカチカと微光を放っている。  昼は清掃員。夜はちんパブ、こと「プラチナムデイト」でミナミは働いていた。

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