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第三話 プリンスの着蕾
「バイアスのナンバーワン! 苺達がいまハマってるんだって!」
桃が嬉しそうに雑誌を持ち上げて、声を弾ませる。ミナミはあきれた顔で怪訝そうに首をかしげた。
「どうせ整形だろ? 俺には関係ない。それより、今日は長谷川さんくるの?」
「え~、ロシアとのハーフだよ? あ、長谷川さんはこれから来るみたい」
長谷川とは桃の太客である。ここ最近、足繫く通う三十後半のアルファ。金回りがよく、上等なシャンパンを注文して、触りもせずに帰っていく良客だ。
「熱心だよな。サービスタイム、触ってこないで延長だろ? 最高にいい客だよ」
「う~ん、まぁ、いい人だよね……」
なぜか桃の声は歯切れが悪く、奥歯にものがはさまったような態度で視線を漂わせた。
「桃、どうした? なんかされたのか?」
「あ、いや……! なんでもない! さて、きょうも頑張ろうね!」
桃はニコッと笑って、ミナミの肩をかるく叩いて待機室へ歩いていった。
◆
その日は土曜日。
忙しい金曜日とは違い、客はほんの数えるほどしかいなかった。店内は仄暗く、落ち着いた演奏がスピーカーから響いていた。
「ミナミちゃん、元気ない?」
ベータの客が乳首を舌先で転がしながら、どこか肩を落とすミナミに声をかける。
「……んっ、いつもどおりです」
「可愛いなぁ。感じてる?」
恍惚とした表情で、粟立つ乳輪の膨らみをべろべろと舐められ、赤い舌がのぞいたり隠れたりして見えた。可愛いといっても、筋肉はほどよくついており、可もなく不可もない身体だ。
なんとなく、嫌だなと反射的に思う。いや、ほんとうは身震いするほど嫌だ。でもあと一時間で終わる。ミナミは客の首に手を回しながらも、視線をソファーの背もたれへ落とす。
それでも、もう慣れたな……。
体が続く限り、ミナミは働かなければならない。気が遠くなるような治療費に加えて、家賃に生活費。大切な金が泡のように消えていくのだ。
随分と長く舐められて、馴染み客が下方にも手を伸ばした。嬢の射精は許可されるが、客の射精は基本NGでも躊躇 いもなく触れてくる。
「あっ……」
ミナミは気持ちよさそうな声で呟く。触れられてる感覚に身を捩り、奥歯を噛みしめてしまう。
自分の身体の価値ぐらい分かっている。金と引き替えに体を売っているのだ。
淡い快感が忍び寄ってきて、揺れうごく藍色の瞳の奥にちらりと気弱な陰が宿る。仄暗い照明の下、ミナミは静かに瞳を閉じて、奏でる悲しげな曲に耳を傾けた。
サービスタイム専用のR&Bが終わり、ミナミは客に頭を下げて、すぐに更衣室へ戻って全身をアルコールとおしぼりで消毒した。いやな気持ちも唾液ごと拭ってしまえば、すぐに忘れてしまう。
更衣室のほかに待機室もあるが、苺達が占領しているので狭いこの場所がミナミの休憩場となっていた。無造作にひらかれたままの雑誌に桃が話していたホストのプラチナ・ブロンドが輝いて目に入る。
(なんでも持っている奴はいいよな)
胸のなかで悪態をつくが、金が生まれるわけでもない。
こうしている間に、時給四千円は発生していく。オメガとアルファが存在するおかげで、ベータの男でも高い時給が支払われ、煌めく夜の街でも働けるという概念が夜の掟のようにこびりつく。オメガの男がいなければ、男のセクキャバなど存在しないし、夜のベータはオメガよりも位 が低いのだ。
体 のいい労働力と思われても、しょうがないか。
ぼうっとしていると、心休まる暇もなく黒服に呼ばれ、ミナミは入口手前のブースへ案内された。
なんだ、こいつ……。
すでに待機していた新規の客はニット帽を目深に被り、分厚いレンズの眼鏡をかけている。はっきりと顔はわからないが、白のカットソーにパーカーを羽織り、黒のスキニーパンツを穿いてシンプルな装いをしていた。
ゆったりと長い脚を伸ばしていたが、憮然とした態度で不機嫌そうに座っていて、ミナミは恐る恐るニット帽男の隣へ腰を下ろす。
プラチナは狭い店舗だ。入口から店長室の角部屋を曲がると左手に両左右に三席、全部で六席ほどのブースしかない。ブースは背丈ほどの壁で仕切られ、なかには並んで座れるほどのソファーと、酒を置くボードが設置されている。
客が互いに見られないように工夫され、嬢は案内されるまで客の顔がわからない仕組みになっていた。
「ミナミです。はじめまして」
「ちっ、ベータかよ」
吐き捨てるような声に顔をあげると、先ほど雑誌で見かけた顔にどこか見覚えがあり、ミナミは空名刺を出しながらも訝しげな表情になった。男は眼鏡を無造作にはずして、ボードへ投げるとアイスグリーンの瞳が光り輝いてみえた。
名前、だれだっけ……。
「ホス……」
「しっ! 黙ってろ!」
「んっ」
ニット帽の男は腕を掴んで引き寄せ、ミナミの口を大きな手で覆う。爽やかなシトラスの香りが鼻腔をくすぐり、男の眼差しを辿ると斜め前にいる桃に視線を流していた。
「やっぱりここにいたな」
「ここって……」
「あのオメガ、誰だ?」
橙色 の灯りが男の横顔の鼻筋をすっきりと照らすが、男は楽しげに会話を滑らかにつなぐ桃を食い入るように見つめている。
「ナンバーの桃ですけど」
「おっさんが格好つけやがって。……ってなんだ、この酒!」
男がじろじろと桃に視線を巡らせている隙に、ミナミは麦焼酎である鏡水から薄めの水割りを作った。男は舌打ちして、手前にあるカーボンタッチ調のメニューブックを奪うように手にとる。
「シャンパンは?」
「カフェド ならありますけど、別途料金です」
「はぁ? あんなクソ甘いの誰が飲むんだよ。モエとかねぇの?」
ミナミは黒服を呼ぶとモエという酒が店の粗利を乗せただろう、二万五千円でだせると耳打ちされた。おそらく定価は半額だ。
「二万五千円なら……」
「じゃあ、それな。あと、おまえ延長して」
さも当然のように偉そうに言い放ち、男はメニューをぱたりと閉じる。
「なんで……?」
ミナミはどうして指名されたのか分からず、男の目的がてっきり嬢の桃だと思っていたので戸惑いの色を顔に浮かべてしまう。男はうんざりしたように舌打ちを小さくもらした。
「オレに惚れなさそうだから」
「はぁ……?」
どこまで自信過剰なのだろう。この界隈の嬢が客にすぐに惚れるわけがない。ミナミは横にいる男に見られぬよう、唇を不機嫌にすぼめた。
(こいつ、なんて奴なんだ。最悪だ)
あと少しでラストなのに、胸くそ悪い客にあたってしまった、とミナミは胸のなかで悪態をついてしまう。大概、嫌な客は存在する。説教する奴、自慢する奴、話が一方通行で通じない奴……まぁ、色々いる。
「めんどくせぇの嫌なんだよ。どいつもこいつも、すぐ惚れやがる」
そんな話をしていると、すぐにサービスタイムとなり、店内が薄暗がりに沈んでいく。ミナミはニット帽の男に跨り、チョッキの釦を三つほど外して乳首を飄々とさらした。
「なにこれ」
「え? ピアスだけど」
ニット帽の男がじっとミナミの胸元を凝視する。
目下にはキャプティブビーズリングが光り輝き、ニップルのトップにはトゲトゲボールが揺れていた。桃が選んでくれた、クールで目を引くスタイリッシュなデザインのピアス。
「いや、おまえ、なんで、乳首にピアスしてんの?」
「陥没なんだよ。ほら、凹んでるから、片方だけ出してんの」
ミナミは恥ずかしげもなく、慣れた声で答える。
刺激を与えても突出せず、常に埋没した状態の乳首を客がしつこく舐めてくるのだ。桃に相談すると、他の嬢との違いを見せるためにピアスを開けたらどうかと提案をされ、すんなりとミナミは応じてしまう。功を奏したのか、傷の痛みにうめきながらも、客には好評だった。
「ぶっ、やべぇな。くそ、笑わせんな」
「いや、チャームポイントだし……」
「はっ、おまえ、おかしいだろ。色気ねぇのに面白すぎ」
ニット帽男はミナミの胸元に顔を埋めて、笑いを堪えた。どうしてこんなに笑うのかミナミは理解できなかった。周囲はリップ音が響いて妖艶な雰囲気が漂うのに、ここだけ陽気に満ち溢れてしまう。
(なんだよ、全く面倒くさいな)
「……ご満足いただけたようで」
「気に入った。何時までだ?」
「は?」
男は顔を見上げて、膝の上にいるミナミに向かって、にっと口許をゆるめた。気のせいか、微笑に妖しげな気品が漂う。
絡まれたくないな
さっきまで舐められるのすら嫌だったのに、この男を前にすると早く舐めて帰って欲しいと思ってしまう。
ミナミは目を細めると、男は嬉しそうな声をだした。
「アフター、付き合えよ」
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