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第五話 毒気を抜かれる

 ホテルや風俗店が集まる繁華街の一面に立っていたのはバッティングセンターだった。夜空に響く打球音を耳にしながら、二人は寂れたビルに足を運ぶ。  建物は一階と二階に分かれており、一階はクレーンゲーム、階段を上がるとゲームコーナーとバッティングコーナーが存在した。鳶色の床遮音材が敷かれ、深夜だというのに二人ほど先客がバットを振っていた。  一見すると、寂れたゲームセンターのようなビルは人けも殆どなく、七打席ほどの丁度よい広さを持っている。周りの目を気にすることなく、練習できるので、週一回あるかないかの少ない楽しみだ。 「なんだ、バッティングかよ」 「不満なら帰れ」  キン! という金属音がどこからなくとも鳴り響く。なかは打った球が当たらないように両横や後方は仕切られ、ミナミは緑のネットをくぐり、打席正面の的を眺めた。  二十球で二百円という相場で、かなり安い料金体系。球速は七十~九十キロと少し遅めだが来店ポイントカードがあり、点数が貯まると無料券も貰えて気軽なバッティングにはもってこいだ。ここなら打って、言うだけ言わせて聞き流すだけで済む。 「とりあえず、ミナミちゃんのお手並み拝見だな」  ミナミは男の意地悪そうなひんやりとした視線を背中で感じたが気にしない。各打席にある操作パネルにコインを投入した。 「黙ってろよ」 「ミナミちゃん、そういうわりには嬉しそうだけど?」 「……ちゃんづけするな」  投球位置は高低のみにして、左右方向の調節はないので普段通りの設定を確認する。  慣れた指先でボタンを押し終えると打席内にある備えつけのバットを手にして、ミナミは右打ちレーンに立った。軽いバットはスウィングスピードが増すので、重めのバットを選んだ。  重量によって下半身を上手く使わないといけないので、バランス感覚が必要になる。配球をイメージしながら軽く素振りをして、バッティングフォームを固めると正面を向いた。 「へぇ、それなりに決まってんな。こっちは玄人かよ」 「……酒よりマシだろ」  ライトが点滅し始め、透かさず正面から速球が流れこんでくる。軽く振ると、|破《やぶ》れ鐘のような音と鈍い痛みを感じて、球がころころとバウンドした。次の球の合図がして、また奥でチカチカと光る。 「お、ミスったな」 「うるさい。これからだ」  ミナミは足を肩幅程度にひらいて、腰を回転させやすくするようにフォームを変える。    バットを握る部分のグリップを肩の高さ程度まで持ち上げた瞬間、ボールが風を切って飛んできた。両手の小指を意識して、バットコントロールを慎重に狙いを定める。ずしりとした重みと甲高い音が鳴りわたった。 「すげぇ! おまえ、うまいな」 「中学までやってたからな」  亡くなった母親が少ない金を工面してシューズやユニフォームを用意してくれた。普段は会社と病院の往復で時間なんてないのに、名札をミシンで丁寧に縫いつけてくれたのを思い出す。  幸か不幸か心覚えもない父親にゴミのように|棄《す》てられて、二人の子供を懸命に育ててくれた母親。夜に隠れて泣いていた背中がまだ目に焼きついている。相手は恐らくベータだ。ベータ同士でさえ上手くいかない世の中なのに、アルファとオメガの関係なんて知ったこっちゃない。むしろ母親がオメガでなくて良かったとさえ思っている。 (アルファとオメガなんて関わりたくもない……)  高校に入学するときっぱりと野球をやめて、部活もせずに家に飛んで帰る日々だった。一刻も早く帰りたい。洗濯物を畳んで、弟の着替えを紙袋に詰めこみ、料理も覚えて、疲れて帰宅する母親に夕食を用意する。文句も言わず、病院を往復する母を支えたくて頑張った。 (……結局、俺はずっとこのままだ)  体重を後ろ足の方へ移し、力をためてゆっくりとテイクバックの動きを押さえる。グリップを後ろへ引き、後ろ足の股関節辺りに体重を乗せて移動させた。上半身をひねりすぎると肩が入りすぎてしまい、肩の開きが早くなりフォームが崩れてしまうのを意識する。  ぼんやりと母親の顔が浮かんで消え、頬をかすめるように空気が触れた。空振りだ。それでも、ひんやりと冷たい夜気が気持ちいい。頭上には(おひただ)しい数の光を浮かべた空がみえた。 「はは、ミスった」 「うるさいな。おまえもやれよ」 「オレ?」 「そう、打ってみろ」  ミナミはバットを下ろして、ネットの後ろの男ににやりと視線を送る。 「しょうがねぇな」 「ホストくんのお手並み拝見だな」 「くんづけするな」  男は銀髪を後ろに結わえて、不満げな顔を覗かせてバットを持った。ホームベースの上で軽くスィングさせて鈍った身体をほぐした。  チカチカと電光がはためく。ボールがまっすぐと飛びこんで、男は大きく振りかぶった。  美しい狼が眼を光らせ、白銀色の毛を逆立てて、ゆらゆらと夜風のなか|靡《なび》いて揺れめくようにみえた。  歳は二十歳だろうか、透き通るような白い肌が手首からみえた。そして長い体躯にすらりと伸びた足に逞しい胸板。少しも遜色がない完璧な容姿と絶美。肩を並べる奴なんていないほどの美貌なのは頷ける。  なんとなく、ミナミの胸の底でむかむかとした気持ちが波立った。  アルファなんて、嫌いだ。  オメガも、嫌いだ。  そんな風に思ってしまう卑屈な自分も嫌だ。  パス。  ボールはかすりもしないで、はじけるように飛んで落ちた。あっけに取られて、男の大袈裟な動きにミナミの頬が心なしか緩む。 「嘘だろ。ふは、下手くそかよ……」 「うるせぇ、もう一回!」  男は悔しそうに正面を向いて、赤い点滅を睨み付けてバットを持ち上げる。次は少しだけかすったのか、鈍い音が耳をかすめた。 「さすが、アルファさま。上達がはやいな」 「関係ねぇよ。くそ! またかすった!」  数回打つとすっかり調子がでてきたのか、男は夢中になってしまう。コインを追加してやり、ミナミは週一の楽しみを分けてやった。何も言わずにベンチに腰を下ろして身体を休め、誰かとこんなに話すのは久しぶりだなと思った。弟の日向とでさえこんなに気兼ねなく喋ったことがない。 「ほら、上半身と下半身のバランスを考えろ」 「あ? お! すげぇ!」  男が腰を沈めて、バットを振る。乾いた音がなってボールがバウンドして跳ねた。  男が振り返って、二人は顔を見合わせて笑う。満足したのか男はブースから出て、ミナミの前にやってくる。銀髪がふわりと風に舞って揺れ動いてみえた。 「あのさ、なんで夜の仕事なんてしてんの?」 「金が必要なんだよ」 「金? 借金かよ。家族は?」  一瞬、言い淀んで口をつぐもうとしたが、表情をかえずにミナミは話を繋いだ。 「事故で亡くなってる。弟が病気なんだ」 「……びょうき? そんなにかかるのか?」  ちらりと横目でバットを置いて出て隣に立つ男をみる。心配しているわけでもなく、アイスグリーンの瞳は好奇心を宿していた。 「かかるんだよ」 「ふーん、大変だな」 「そう、大変なんだよ。だから、俺にかまうな」  男はミナミの隣に腰を下ろした。ミナミはじっと前を見据えて、遠くの尖ったビルに視線を流した。 「……おまえさ、オメガの多頭飼いって知ってる?」  遠くから夜光虫のように密集するネオンがみえる。男の声に嫌悪がこもって聞こえた。 「多頭飼い? なんだよ、急に」 「知り合いと一緒に飼われたオメガを探してるんだよ」 「……飼われた?」  横目でそっと眺めると、男の表情は陰になって見えなかった。ベンチに置いてあった黒のニット帽をかぶり直している。 「そう、オメガを咬んで番にさせる。逆らえないのを利用して服従させて、闇で貸し出すんだよ。発情期(ヒート)のときに数人で相手させて、酷いプレイを強要する。それでもオメガは泣いて悦ぶ。使えなくなったらヤク漬けにでもして、ヤクザの相手か輪姦(まわ)して棄てるんだ」 「都市伝説だろ」 「しらね。噂で聞いた。ホスラバとツテを辿っておまえの店まで来たけどな」  ホスラバとは水商売関係者がよく利用する全国掲示板のひとつだ。地域ごとにキャバ嬢やホスト、キャバクラにホストクラブの経営者までの動向がこと細かに書き込まれている。  炎上して書かれた嬢は病んで夜を離れることも多々ある。それほどホスラバは情報が早く恐ろしい。ニュースにならない自殺する嬢のことまで詳細に調べられる。ホストに入れあげてヤミ金にまで手を出し、同僚にも金を借りまくって自殺してしまったなんて日常茶飯事だ。  嫉妬、憎悪、妬み、あらゆる感情が渦巻いて夜の街の縷々(るる)とした夜話を絶えず綴っている。

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